〈少年〉はもういない
ルスがとても珍しい鳥だと判明したので、少し遠い所にある研究施設に行ってしまった。
そう伝えると、終業式を終えて一緒に下校していた愛海ちゃんは、さっと表情を暗くしました。つい先ほどまで、夏休みの予定について嬉々として話していたのに。
「嘘でしょ?」
「いや、本当だよ。こんな嘘はつきたくない」
「……それは、いつ?」
「今日。僕が学校にいる間に、お父さんがルスを連れていったはずだよ」
「そんな……」
言葉を失った愛海ちゃんは、すぐに責めるような目で慶作くんに迫りました。
「それでよかったの? ルスと離れ離れになっても、『それでいいや』って納得してるの?」
「僕が決めたことじゃない。お父さんが決めたんだ」
「わたしは慶作の気持ちを聞いてるの」
「だから、僕がどう思ったところで、変えられなかったんだよ」
らしくもなく語調が強くなり、慶作くんは、ごめん、と謝りました。
「……もしも僕が大人で、働いていて、ひとり暮らしをしていたら、絶対にルスと別れなかったよ。でも、僕はまだ、どう背伸びをしても、子供だから」
「そっか……そうだよね。……わたしだって、家族の反対を無理に押し切って、猫とか飼えるわけもないしね……」
ごめんね、と愛海ちゃんが謝ると、いいよ、と慶作くんは応じます。
「あんなに可愛くて賢い鳥だったのに……寂しくなるね」
「それがね、そうでもないんだ。そんなに寂しくないんだ」
「どうして?」
「自己満足かもしれないけど、僕がルスにしてあげられることは、すべてできたと思ってるから、かな。……どこにいても、ルスはきっと、僕のことを覚えていてくれるんじゃないかなって。……僕の思い込みかな?」
そう尋ねると、愛海ちゃんは「そんなことないよ」といいました。
「ルスは絶対に、慶作のこと、忘れないよ」
「うん。僕も同じ気持ちだよ」
「……ねぇ、慶作。慶作って最近、ちょっと大人っぽくなったね」
「そうかな。ありがとう」
「ううん。褒めてないよ」
愛海ちゃんが急に立ち止まり、慶作くんは振り返りました。
愛海ちゃんは、寂しそうな表情で慶作くんを見つめていました。
「大人っぽくなって、ちょっと遠くに感じる。……慶作さ、好きな人できた?」
「え?」
「リーさんとか、真奈美さんとか、わたしよりずっときれいだし大人だし……」
どうしてそうなるのかと、慶作くんは心の中で笑いました。
「違うよ。変なこというね、愛海ちゃん」
「変じゃないもん」
愛海ちゃんはむきになって反駁しました。
「慶作ってさ、お父さんのこと、一番大切に思ってるでしょ?」
「……そうだね。家族だからね」
「それはわかるの。家族なんだから、慶作の中で特に大切なのは当たり前。……でも、最近の慶作は、絶対に、また別の大切な人ができてる」
そう指摘されたとき、慶作くんの頭に真っ先に浮かんできたのは、ルスの姿でした。
「一緒に歩いていても、話していても、遊んでいても、今の慶作の中に、わたしの居場所がないような気がして……ちょっと寂しいよ。わたしにそんなこという権利ないかもだけど、一緒にいるときくらい、こっちを見てほしいな」
ルスの進化を知らない愛海ちゃんにとって、一羽のペットが、まさか慶作くんの心を占めているとは想像できなかったのでしょう。
それを説明するわけにもいきませんが。
慶作くんは苦い表情で天を仰ぎました。
「……僕はやっぱり、愛海ちゃんが思っているようには、大人ではないね。まだ、たくさんの人や物事に、それぞれ心の中に居場所を作ってあげられるほどの余裕がない」
「そういうこと考えられるところが大人っぽくなったってわたしは思うよ? ほんとに子供なのはわたし。自分を見てほしくてワガママいってる」
「それもいいんじゃないかな」
「そう? じゃあもっとワガママするね?」
といって、愛海ちゃんは慶作くんの手を両手で握りました。
「わたし、慶作のこと、好き」
そのときその瞬間、慶作くんが驚くと、愛海ちゃんは、意地悪そうに笑いました。
しかし、そのまま慶作くんが見つめると、愛海ちゃんは恥ずかしそうに目を伏せました。
「それだけっ」
ぱっと、愛海ちゃんは手を離します。
「誰に夢中になっててもいいけど、これくらいは覚えてて。せめてそのくらいは、慶作の心をわたしにちょうだい」
「……うん。わかった。……今、なんとなくわかった気がする。『心を奪われる』って、こういうことなんだね」
ふたりは肩を並べ、ランドセルを並べ、家路を歩きます。
「僕も、愛海ちゃんのこと、好きだよ」
「それは……どういう『好き』なの?」
「さぁ、子供だからわかんないや」
質問をはぐらかされた愛海ちゃんは、ずるいんだから、と笑いました。
ルスがいなくとも、大丈夫かもしれないと、慶作くんはそのとき思いました。
家に帰りつくと、真作さんが居間で息子の帰りを待っていました。ある程度事情を聞き知ったのか、リーさんもその場にいて、同情するような目で慶作くんを迎えました。
「ただいま」
「おかえり…………慶作」
何かをいおうとする真作さんを、大丈夫、と慶作くんは遮りました。
「わかってる。先にランドセルを置かせて、終業式だったから荷物が多くて」
「……おう」
慶作くんは二階に上がり、自分の部屋の扉を開けました。
部屋の中は空っぽでした。もちろん今朝まで寝ていたベッドはありますし、昨晩まで英語を勉強していた学習机もあります。本棚もパソコンも。
ルスだけがいない部屋は、しかし、それだけで慶作くんに「空っぽだ」と思わせました。
泣かないんだな、と慶作くんは、自分の頬に手を当てて思います。事実、目から涙はこぼれませんでした。
慶作くんがランドセルを置いて一階に戻ると、ソファーにかけていた真作さんは、リーさんにお茶を頼んで席を外させました。慶作くんは真作さんの隣に腰を下ろしました。
「連れていくとき、ルスはどうだった?」
「……おとなしかったよ。『検査をするために病院へ行く』ってことで連れ出した」
「へぇ。ルスはそれを理解してた?」
「どうだろな。でも、『慶作と一緒に暮らすには、検査が必要だ』っていったら、まぁまぁ納得してたよ。……ほんとに賢くなったな」
真作さんのルスへの説明は、すべて嘘というわけではありません。ルスが一般家庭で飼育するのに安全な生き物だと確認されて、研究が〈ある程度〉進めば、また一緒に暮らすことができるという確認を、慶作くんは取り交わしていました。
もっとも、未知の生命体であるルスがどれほど安全で、いつまで研究が必要か、そしてそれらが判明するまでにルスの寿命がもつかは、誰にも見当はつきませんが。
「研究所で知らない人たちに囲まれたときは不安そうだったし、俺が帰るときは寂しそうだった。『慶作を連れて会いに来るから』とは、ちゃんといっておいた」
「そう。……ありがとう」
真作さんからの説明に頷いていた慶作くんがよほど寂しそうに見えたのか、居間に戻ってきたリーさんが背中をさすりました。
「ケイサク、元気出すよ。鳥は人の心読むいうね。ケイサクが寂しがてたら、会うときにルスも心配する」
「大丈夫。本当に大丈夫だよ、リーさん。……さよならはいわなかったけど、ちゃんとルスと向き合ってきたつもりだし、僕は大丈夫だよ」
大丈夫と繰り返す慶作くんを見て、真作さんは大きなため息をつきました。
「……ごめんなぁ、慶作。……友達だったのに、引き離すことしかできなくて……」
自分よりも辛そうにしている真作さんを見て、慶作くんは、どんな言葉をかけるべきか考えました。
「いつでも……っていうわけにはいかないだろうけど、会いたくなったら、僕をルスの所に連れていってくれる?」
真作さんは、俯けていた顔を上げました。
「そりゃもう。どうにか時間を作るさ」
「だったら僕は平気だよ。ルスが殺されるわけでなし。ルスが大切にされることが何より大事なんだから」
「そういってくれると、助かる。……あぁ、でも、もっと別の方法もなかったものかなぁ」
これほどぐずぐずと悩む真作さんは珍しく、しかしやはり、立ち直りも早いものでした。
「慶作。ルスに会いたくなったら遠慮なくいえ。これから夏休みだし、時間なんてどうにかなるから、すぐに連れてく」
「ありがとう。嬉しいよ」
「さしあたり……今月中に一回、行ってみるか?」
「ああ、そのことなんだけど……」
慶作くんは何かをいいかけて、考えるように顎に手を当てました。
「どうした?」
「……確率といっていいのかわからないけど、たぶん、五分五分かな」
「うん?」
「数日中にね、ルスを預かってくれてる研究所から、連絡があるかもしれない。……『今すぐ来てくれ』って。お父さんにではなく僕に」
「……なんだって?」
不審な顔で真作さんは、不可解なことを語る息子の顔を見つめました。
……慶作くんの予想は三日後に的中しました。




