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キマイラに捧ぐ  作者: 春戸稲郎
七月の物語
14/31

別れのための蜜月

 

 それからの慶作くんとルスの生活は、いたって穏やかなものでした。

 それでいて最も幸せな、蜜月と呼ぶに相応しい時間でした。

 慶作くんは一日に三冊の絵本を、ルスに読み聞かせました。朝起きて朝食のあとに一冊、帰宅してから一冊、眠る前に一冊。家の中にあった絵本を読みつくすと、学校の図書室や近所の図書館から借りてきました。

 もともとルスは、相手がたとえ慶作くんでも体を動かす遊びは億劫な様子だったので、その新しい〈遊び〉に、すぐに興味を示しました。

 ルスに「モット」とせがまれれば、応えて何冊でも読んであげましたが、そうでなければ本を読む以外の時間を、ルスとの会話に使いました。

 今日、何があったとかの日常の話はもちろん、真作さんの書斎から図鑑や写真集などを持ち出しては、自然のこと、人の社会のこと、世界のことをルスに教えました。

 美しいこと、楽しいこと、素晴らしいことを優先して教えました。どれだけ理解できたのかはわかりませんが、慶作くんが好いているように、ルスもまた彼を好いていたので、ルスはおとなしく慶作くんの話を聞いていました。

 自分の部屋は静かすぎると思った慶作くんは、あるときから音楽を流すようになりました。ふたりでいる間は、会話の邪魔にならない程度に、真作さんが所有していたCDをかけ、学校に行っている間は、ルスが寂しくないようにラジオを流し続けました。

 そうやって一週間ほど過ごしたころでした。

 少しずつ語彙と知識の増えていったルスは、自分自身に疑問を持つようになりました。


「ケイサク、ルスハ、ワカラナイ」

 ある晩のルスは、自分のヤモリの手を見つめながら、そんなことをいいました。

「ルスハ、ナンダ? ルスハ、ドウシテ、ココニイル?」

 ルスの疑問を、慶作くんは静かに聞いていました。

「ルストケイサクハ、トモダチダ。デモ、ルストケイサクハ、チガウイキモノダ。シンサクハ、ケイサクノ、オトウサンダ。デモ、シンサクハ、ルスノ、オトウサンジャナイ」

 鳥の顔であるルスの表情は、確かに読み取りづらいです。しかし長く時間を共にしてきた慶作くんには、その全身の仕草から、ルスの困惑を読み取っていました。

「ルスハ、ドコカラキタ? ルスハ、ダレカラウマレタ? ルスハ、ワカラナイ。ケイサクハ、シッテイルカ?」

「そうだね……ちょっと待ってて」

 慶作くんは押入れから地球儀を取り出し、ルスの前に置きました。

「わかるかな? これは丸い地図だよ」

「ドウシテマルイ? イツカミタチズ、シカク、タイラ、ダッタ」

「これが世界の形だからだよ。〈地球〉と呼ばれるこの世界は、大きな球なんだ」

 慶作くんは、地球儀上の二点に両手の指を置きました。

「ここが僕とルスのいる場所、そしてここが、ルスのお父さんとお母さんがいた場所だよ」

「ルスニモ、オトウサン、オカアサン、イルノ?」

 地球儀の陸地を指す慶作くんの人差し指を見比べてから、ルスは顔を上げました。

 慶作くんは頷きます。

「いるよ。すべての生き物に親はいる」

「ルスノオヤ、イマ、ドコニイル?」

「……僕にはわからないな」

 ルスを買い取ったブリーダーさんならば、〈行方〉を知っているかもしれません。それが地球上かはわかりませんが。

「僕もね、僕のお母さんがどこにいるのかわからないんだ」

「ソウナンダ」

「ルス。きみは、親に会いたいと思う?」

 問いかけに、ルスは首を傾げました。まるで人間のような仕草です。

「ワカラナイ。〈オヤ〉ハ、ケイサクヨリ、タイセツ?」

「僕には決められないよ」

「ソレナラ、ケイサクト、イッショガイイ。ルス、ズット、ケイサクト、イッショニイル」

 ルスは地球儀上の日本を指す慶作くんの指に、自分のヤモリの指を重ねました。

「ケイサク。ルス、ワカラナイコトガ、モウヒトツ、アル」

「なんだい?」

「ルスハ、オトコ? ソレトモ、オンナ?」

「んー………………ルスは、どっちがいい?」

「オンナガイイ。ルス、オンナニ、ナリタイ」

「それはどうして?」

「オンナダッタラ、ルス、ケイサクト、ケッコンデキル。オトコトオンナ、ケッコンスル。オウジサマトオヒメサマ、ケッコンスル」

 不意に顔を床に向けたルスの視線を辿ると、先ほどまで読み聞かせていた〈シンデレラ〉と〈白雪姫〉の絵本が床に散らばっていました。

 その二冊は特にルスが好んだ作品であり、そういうところは確かに女の子らしいと慶作くんは思いました。

「ケッコンシタラ、ケイサクト、ズットイッショ。『シアワセニ、クラシマシタトサ。メデタシ、メデタシ』」

「うーん。僕はまだ子供だから、結婚の約束はできないな」

「……ソウナンダ……ケイサク、ルストケッコンシナインダ……」

 露骨にしょんぼりしたルスに、慶作くんは笑ってしまうのを堪えました。

「大丈夫だよ。結婚の約束はできなくても、僕たちはずっと一緒に……」

 そこで慶作くんは言葉に詰まりました。

 そんなことを、いってもいいのか?

 もう別れることは決定しているのに。

 ルスに嘘をつくのか?

 ……逡巡し、こう答えました。

「ぼ……僕たちはずっと、一緒に暮らしてきたじゃないか。もしかしたら将来、僕とルスは本当に結婚してるかもしれないぞ?」

 咄嗟に出てきたにしては、良い方便じゃないか、と慶作くんは自嘲しました。

 それに対してルスは、「ホントウニ?」と顔を上げました。

「ショウライ、ソウナル?」

「……未来は誰にもわからないよ。ルスは、どんな未来がいい?」

「コノママズット、コノママイッショ」

「それは素晴らしいね」

 ルスの願いが叶わないことを知っている慶作くんは、泣きたくなりました。

 もしもルスが別の人に出会っていたら、もっと幸せに……

 ……違う。

 それは間違っている。

 僕と出会ったから、ルスは〈ルス〉になったんだ。

 だから……

「……ルスを幸せにするのは、僕しかいない」

 意図せず漏れた呟きに、ルスが耳聡く反応しました。

「ソレ、ドウイウイミ?」

「……どういう意味だと思う?」

「ルスヲ、シアワセニ、シテクレルナラ、ケイサクハ、ルスノ、オウジサマ」

「それならきみがお姫様だね」

「ウレシイ」

「それは何より」

 慶作くんは、片膝を立ててルスの手を取ります。

 そうして、ルスのヤモリの手に、そっと口づけをしました。

 その意味をどう理解したのか、くるる、とルスは喉を鳴らしました。


 夏休みも迫ってきた日曜日。

 外で太陽が燦々と輝くのを尻目に、慶作くんは冷房の利いた部屋で、ルスと一緒に遊んでいました。

 カーペットの上に広げられているのは、裏返されたトランプ……といっても、もうすでにその枚数は十枚を切っていました。

「ムムム。……ルス、アトゼンブ、トラナイト、カテナイヨ」

「まだまだ負けてあげないからね」

「ルス、ガンバル」

 神経衰弱は大詰めを迎えていました。

 そのとき、ふと思い出したように、ルスはきょろきょろと部屋を見回しました。

「ケイサク、サッキココニイタヒト、ドコニイッタ?」

「……ああ、あのお客さんね。……居間でお父さんと話してるよ」

「ソウカ。キュウニ、シズカニナッタカラ。コレナラ、カテル、カモシレナイ」

「頑張って。ちょっとトイレに行ってくる」

 広げられたトランプの背中を真剣に見つめているルスを残し、慶作くんは部屋の扉を開けました。

「ズルしちゃダメだからね?」

「ワカッテル」

 扉を閉じると……慶作くんは表情を消しました。

 そして一階に降りるとトイレには向かわずに、居間の扉を開けました。

 そこには真作さんのほかに、顎ひげの生えた初老の男性がいて、興奮したように真作さんに弁を振るっていました。

「以前に見せられた動画はよくできたフェイクだと思っていたんですがね、騙されるつもりで来たら本当に、今日は人生で一番驚かされました。あの奇々怪々な形態はもちろん、人語を操るだけでなく、豊かな感情を持ってそれを表現し、しまいにはゲームまでやってしまう。〈遊び〉をやる高度な知能と社会性を持つ生き物はほかにもいますが、ルスのものはそれらとは桁違いで……おおっ、慶作くん!」

 居間に入ってきた慶作くんに気付いた初老の男性は、素早く立ち上がると、がっしと慶作くんの手を取りました。

「素晴らしい。きみは本当に素晴らしいよ、慶作くん。よくぞあの未知の生き物に、ここまで言葉や知識を教え込めたね。詳しく話を聞いてもいいかな?」

 自分を誉めそやす初老の男性が、どこかの研究所の偉い先生だと一時間ほど前に真作さんに聞かされましたが、慶作くんにはどうでもよくて、もう名前さえ忘れていました。

「僕はただ、ルスとこれまでどおり普通に接してきただけですよ、先生。ペットとしてではなく、ひとりの親友として」

 淡々とした慶作くんの応答に、博士の興奮が少しだけ醒めたようでした。

「……わたしは是非とも、ルスを詳しく研究したいと思っている。ルスは可能性の宝箱。きみが名付けたように、この世界を照らす奇跡の〈光〉だ。……しかし、わたしがルスを連れていっても、きみは平気かい?」

 研究者の問いかけそのものは慶作くんを気遣うものでしたが、「嫌だといってくれるな」という願望がその表情にありありと伺えました。

 ちらりと目を逸らすと、慶作くんの父親は、逃げずにまっすぐ息子を見つめていました。

 どう応えるべきかを慶作くんは決めました。

「いつでも会いに行っていいんですよね?」

「それはもちろん。きみは特別だ」

「それなら……絶対に大切にしてくださるなら、僕はルスを先生に託します。僕自身はルスを危険だとは思わないのですけど……父の決定ですから」

 すべて真作さんのせいにしてしまったほうが、真作さんの気も楽になるだろうと慶作くんは考えていて、それゆえの返答でした。

 ほっとしたように男は頷いて、両手で握った慶作くんの手をぶんぶんと振りました。

「わかっている。約束するよ。きみに負けないくらい、わたしはルスを大切にする」

「安心しました。……ルスを待たせているんで。どうぞ、相談を続けてください」

 慶作くんはそういい残し、さっさと居間を出て行きました。

 自分の部屋のドアノブに手をかけたところで、深呼吸をして、表情を作りました。

「お待たせ。ゲームの続きだ」

 にこやかに慶作くんがそういうと、「ツヅカナイヨ」とルスがいいました。

「ゲーム、オワッタ。ルス、カード、ゼンブ、アテタ」

 見ると、伏せられていたカードはすべてなくなり、ルスの手元に重ねられていました。

 カッタヨ、と勝利宣言するルスは、なぜか慶作くんを見ずに、そっぽを向いていました。

「……ふーん。そうなんだー。ルスはすごいねー」

 慶作くんはにやにやと笑いながら、元の場所に腰を下ろしました。

 ルスは頑なに慶作くんを見ようとしません。

「でも、ほんとかなぁ? ぜんぜん覚えてなさそうだったけど?」

「ホ、ホ、ホントウダヨ? ルス、ウソ、ツイテナイヨ?」

「ふーん。……ねぇ、ルス、こっち向いてよ」

 慶作くんがそういうと、ルスは余計に首を回します。

 このことを博士にいったら、もっと驚くだろうなと考えつつ、慶作くんはルスの顔を覗き込もうとします。

「ねぇ、ルスってば。……フクロウになるつもりなの? 首が痛くない?」

 ねぇってば、と慶作くんがしつこく呼びかけると、「コチョコチョ!」と叫んで、ルスが飛びかかってきました。

 ルスの持つヤモリの両手でわき腹をくすぐられると、慶作くんは、あはは、と笑って身をよじりました。

「ルス、シッテル! ケイサク、コチョコチョ、ヨワイ!」

「もう、ルス、ごまかさないでよ」

「ルス、ウソツイテナイ!」

「わかった、わかったから」

 慶作くんはルスの角に注意しながら、その体を引き剥がしました。

 周りにはトランプが散らばり、勝者も敗者もいなくなりました。

 無理に暴れたせいか、ルスは急速におとなしくなりました。もともと激しい運動などできない体です。

「はー……まったく」

 慶作くんは息を整えると……ぎゅっと、ルスの体を抱きしめました。

「ドウシタ? ケイサク」

「いや……ルスの体は、ふわふわであったかくて、気持ちいいなって」

 襟巻きのような豊かな羽毛に顔をうずめていると、ルスがヤモリの手で慶作くんの頭を撫でました。

「ケイサクハ、アマエンボダ。デモ、ルスモ、ギューットサレルノ、スキ」

「うんうん。僕もだよ」

 そのとき慶作くんは、目に浮かんだ涙を、ルスの肩の羽毛で拭いました。

「ルス……僕はきみにとって、いい人()()()かな?」

 その問いに、ルスはしばらく、考えました。

「ルス、ホカノヒト、シラナイ。ケイサクガ、ユイイツダ」

「唯一……それは、幸せなのかな」

「ルス、ウタガワナイ。ルス、イマ、シアワセダ」

「そうかぁ……そうだねぇ……」

 しばらくの間、慶作くんはルスを抱きしめ、ルスは慶作くんの頭を撫でていました。

 できることは、すべてやった。

 もっと時間があれば、と思わなくもありませんでしたが、無理矢理納得しました。

 ……その夜、真作さんから、終業式の日にルスを連れて行くと聞かされました。


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