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キマイラに捧ぐ  作者: 春戸稲郎
六月の物語
12/31

フランケンシュタインの苦悩

 

 昼休みに教室で、慶作くんが本を読んでいるときのことでした。

「指、どうしたの?」

 背後から、愛海ちゃんに声をかけられました。

「ああ、これ?」

 慶作くんの左手の中指に、絆創膏が巻かれていました。

「ルスの餌を準備してるときに、包丁で切っちゃってさ」

「どじね。……なに読んでるの?」

「〈フランケンシュタイン〉だよ。図書室から借りてきた」

「知ってる。あれでしょ、ツギハギの大きな怪物でしょ?」

「それを作ったのが、フランケンシュタインっていう人だね。怪物に名前はないんだ」

「へー。そうなんだ」

「僕も読んでから知ったよ」

 慶作くんは本に栞を挟みました。

「あ、ごめんね。読書してたのに」

「いいよ。このごろ渚辺さんと話してなかったし」

「それはほんとにね。最近ぜんぜん家に連れてってくれないんだもん」

 口を尖らせて不平をぶつけてくる愛海ちゃんに、慶作くんは苦笑しました。

「ごめんね。ちょっと事情があって」

「そんな大人みたいなこといって……まぁいいや。〈フランケンシュタイン〉ってどういうお話なの? 教えてよ」

 そういって愛海ちゃんは慶作くんの前の席に座りました。

 まだ読んでる途中だけど、と慶作くんは断りを入れます。

「フランケンシュタインっていう学者さんがいて、その人は、死んだ人を蘇らせる研究に没頭してたの。それである日、死体を繋ぎ合わせて、実験したんだ」

「ひっどい話」

 物語のあらすじを聞きはじめた途端に、愛海ちゃんは顔をしかめました。

「大切な人を生き返らせるとかじゃないわけ? 本当に『試してみたかった』だけなの?」

「まぁ……そうだね」

 愛海ちゃんの憤慨交じりの指摘に、慶作くんは胸が痛みました。

 それというのも、慶作くんが〈フランケンシュタイン〉を読みはじめたきっかけが、「僕に似ている」という共感と反省からでした。

 もちろん誰にもいえませんが。

「信じらんない。絶対バチ当たるよ、その人。フランケンシュタインさん」

「……()()()()()()、そうだね。当然だけどひどい目に遭ってる。自分の作った怪物に弟を殺されてしまうんだ」

「えぇー……」

「怪物はね、醜い怪物として生まれた瞬間に、怖くなったフランケンシュタインに見捨てられるんだ。でも怪物はただの怪物ではなくて、人間のように言葉を理解して考える、知性のある生き物だったんだ。本当は心の優しい人らしい」

「それが……どうして、人を殺してしまったの?」

「んー……僕の考えだけど、『人が怪物を作ってしまった』ってことかな」

 愛海ちゃんは首を傾げて、わかんない、といいました。

「フランケンシュタインさんが怪物を作ったってことはわかるけど……」

「うんとね、怪物はね、誰かと友達になりたくてあちこち歩いてたんだけど、誰にも受け容れられなかったんだよ。鉄砲で撃たれたりしてさ」

「かわいそう」

「でしょ? 誰からもそんな風に扱われたら、恨みたくもなるでしょ? 友達になりたかっただけなのに」

「……だから、フランケンシュタインさんに復讐したの? その人の弟を殺して?」

「そういうことだね。……誰かひとりでも優しければ、怪物は怪物にならずに済んだかもしれないのにね。いろんな人たちが〈怪物〉を作ってしまったんだ」

 ここまで聞いて、愛海ちゃんは、「悲しいお話ね」と呟きました。

「……で? それからどうなるの?」

「今はね、山小屋の中で怪物が、『俺の妻を作れ』って、フランケンシュタインに頼んでいるところ。『同じように醜ければ俺を拒まないだろう。この願いを叶えれば、もう誰も殺さない』ってね。それを頼まれたフランケンシュタインは、もうひとりの怪物を作ってもいいのだろうか、って悩むんだ」

「えーなにそれー。どうなっちゃうのー?」

 愛海ちゃんは目を輝かせ、ぱたぱたと足を動かしました。

「面白そう……だけど、読むのは怖いなぁ。あとで結末だけ聞かせてよ」

「やだ」

「けち」

「じゃあ百円」

「お金取るの? 先生にいいつける」

「嘘だよ。でも、渚辺さんが自分で読んだほうが楽しいと思う」

「いいもーん。絶対に慶作から聞き出すもーん」

 ふたりは笑いました。

「……僕ね、ここまで読んで、ちょっと考えることがあったんだ」

「なに?」

「もしもフランケンシュタインが女の人だったらどうなるだろう……ってね。逆に、怪物が女の人だったらどうなるだろうってね」

「……わかんない。何がいいたいの?」

「フランケンシュタインと怪物は、どっちも男でしょ?」

「うん。……ああ、わかった!」

 愛海ちゃんは手を叩いて頷きました。

「フランケンシュタインと怪物が結婚するかどうか、ってことね?」

「そう。もしもどちらかが女の人だったら、怪物が『誰も殺さないから、結婚しろ』ってフランケンシュタインにいうかもしれないでしょ?」

「怪物と結婚するか、もうひとりの怪物を作るかってことね。……究極の選択だぁー」

 腕を組んで悩みはじめた愛海ちゃんを見て、慶作くんも改めて考えました。

 僕ならどうするだろう。


 帰宅してから、晩ご飯の準備を待つ間、慶作くんは自分の部屋で〈フランケンシュタイン〉を読んでいました。

 読書の途中、ふと、この作品がいつごろ書かれたのかが気になって、インターネットで調べてみました。

 予想していたよりも、はるかに古い作品でした。原題である〈フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス〉が出版されたのは、二百年も前のことでした。

「……すごいなぁ」

 物語そのものではなく、二百年も前に書かれた物語に自分が出会ったことに、慶作くんは感動していました。執筆当時十九歳だった〈フランケンシュタイン〉作者のメアリー・シェリーという名のイギリス人は、二百年後の日本人の子供を感動させるとは、まさか想像していなかったことでしょう。

「……今から二百年後に、イギリスでお父さんの漫画を読む人も、いるのかな」

 いるといいな、と慶作くんが考えていると、ズボンの裾を引っ張られました。足元を見ると、ルスが嘴でいたずらしていました。

「ケイサク、ゴハン。ルス、オナカスイタ」

「あっ、ごめんごめん」

 読書と調べ物に夢中になっていて、すっかりルスの餌を忘れていました。

 台所から鶏肉を乗せた皿を持ってくると、ルスはヤモリの前足で掴んで、むしゃむしゃとかぶりつきます。

「ルス、おいしい?」

「オイシイヨ、ケイサク」

「そう、それは良かっ……た…………」

 瞬間、さっと、血の気が引きました。

 おかしい。

 何かがおかしい。

 恐ろしい。

 何かが恐ろしい。

「る……ルス?」

 呼びかけると、鶏肉を食べるのをやめて、ルスは慶作くんを見ました。

「ナァニ?」

 無機質な、ノイズのようなルスの声。

 今まではただそれだけでした。

 人間の声真似をしているだけでした。

「ルス……ぼ、僕は、誰?」

 慶作くんが恐る恐る尋ねると、

「ニシエガ・ケイサク。ルスノトモダチ」

 ルスのよどみない回答が返ってきて、慶作くんは呼吸が止まり、溢れかけた絶叫が喉の奥に引っ込みました。

 疑いが確信に変わりました。

 ルスが、声真似ではなく、慶作くんの言葉を理解した上で、返事をしたのです。

 厳しく管理していたはずなのに、新たな進化が起こっていました。

 どうして、どうして、どうして、どうして。

 慶作くんの脳細胞を疑問符が駆け巡りました。

 約束を、慶作くんは破っていません。あの日から鶏肉以外は与えていません。厳に自分の部屋に立ち入らないように伝えているリーさんが、慶作くんに隠れて何かを与えたとは考えられません。

 ならばどうして。

 体が大きくなると知能が著しく発達する? 人語を理解し操れるほどに?

 そんなはずはありません。つい先日まで、ルスの声真似は意味を持たず……

「……あっ」

 慶作くんは、雷に打たれたように、思い出しました。

「あのときだ……!」

 日曜日。

 ルスを居間に入れた日。ルスが歌を唄っていた日。

 あの日、慶作くんは、ルスの餌を準備しようとして、鶏肉を包丁で切り分けている最中に、誤って指先を切ってしまいました。

 そしてそのとき、そばで調理を見守っていたルスに、指先の傷口を、舐められました。まるで傷を癒そうとするかのように。

「……僕の血を……」

 何かを摂取してルスが進化したのであれば、可能性はひとつだけ。

 慶作くんの血を飲んで、ルスの知能が、人に近付いてしまったのです。

「…………ひっ……!」

 そしてそこから考えられる〈新たな可能性〉に気付いてしまった慶作くんは、食欲など失せてしまい、夕食も摂らず、ベッドに潜りこみました。

 吐き気とめまいに苛まれながら、慶作くんは煩悶しました。

 なんてことだ。気付きたくなかった。

 その可能性に気付いてしまうと、恐ろしくてルスを見ることができませんでした。



 ……もしもルスが、人の肉を食べてしまったら……



 ……結局慶作くんは、朝が来るまで、まんじりともしない夜を過ごしました。

 そんな慶作くんを心配してのことでしょう。

 ルスが一晩中、慶作くんに語りかけていました。

 どうしたの、どうしたの、と……ノイズのような鳥の声で。


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