異形との日常
その後の生活で、ルスに関して、いいことと悪いことがふたつ起きました。
いえ、何も起こらなかったというべきでしょうか。
鶏肉だけを与え続けたルスの体は、成長もしませんでしたし、元に戻ることもありませんでした。ひとまずは真作さんによって処分されることは免れましたが、見慣れはしても、ルスは異形の生物のままで、とても「ペット飼ってるから見においでよ」と誰かを誘えるような姿には戻りませんでした。
「魚っぽかった顔だけは鳥に戻ったよ。でも、ほかが元に戻らないんだ」
「ふむ。……牛の角が生えてたときもあったんだろ? それはどうなったんだ?」
「牛の角はヘラジカの角が生えたときに抜けちゃったんだ。押しのけるみたいに」
「……当たりかもな、それ。後から手に入れた個性が前にあった個性を押しのけたんだ。角とか尻尾とか背びれとかは、押しのけられないからそのままなんだ。きっと」
「……それじゃあやっぱり……元のルスには、戻れないのかな……」
タイミングを見計らって、慶作くんはルスの様子を真作さんに報告して、その都度相談もしました。
「慶作。世の中には、失敗しても取り返しのつく場合もあるけど、そうならない場合もある。命に関しては特にな」
「……はい」
暗くなってばかりもいませんでした。
責任を持つ、ずっと一緒にいると覚悟を決めてしまえば、迷うことは何もありません。
ただ、ルスに尽くすのみでした。
「もう、ルス。寝たままご飯食べるのやめてよ。だらしないよ」
以前よりも甲斐甲斐しく、ルスの身の回りを整え、ルス自身の手入れをしました。
「ルス、くすぐったい。勉強中だから後にして。……角が痛いよ」
そしてできる限り、ルスと時間を共にしました。
「ルス、汚れてるだろうから手を拭かせて。……そうそう。ルスはいい子だね」
以前よりも、長く深く愛情を持って接し、語りかけました。
「シンサクさん、ケイサクは最近、ずとルスと部屋の中にいます。まるで恋人です」
「……んー?」
もちろん誰にも、ルスのことを明かしませんでした。
「なぁ慶作、ルスってオスメスどっちだ?」
「……そういえば、どっちだっけ。ブリーダーさんにも聞いてなかったね」
「ちんちんついてるか?」
「いや……そこは鳥のままだよ。総排出口」
日が経つにつれ、ルスに対する真作さんの警戒心も薄れていきました。
「慶作、ルスって芸とかできるの?」
「できるよ。見てて。ルス、握手!」
「アクシュ!」
「おーすげー」
元々好奇心の強かった真作さんは、ルスを見たさに、時間を作っては以前よりも頻繁に家に帰るようになり、結果的には親子の時間が増えました。
「よし! ルス、俺と手四つで力比べだ!」
「テヨー!」
「頑張れルス!」
「……やっべ、鳥に負けそう!」
もしかしたらこれで良かったのかも知れない。
そんなことを慶作くんが考えてしまう日もありました。
「おやすみ、ルス」
「コンドハマケネェゾ!」
「……ふふっ」
ルスは、慶作くんと真作さんの間だけの、秘密の存在です。
秘密は共有され、ふたりをつなぎました。
真剣に真作さんに怒られたのも、慶作くんにとっては生まれて初めての経験で、思い返すと温かな絆を感じられました。自分は父親に大切にされているのだと、確認し、肯定することができました。
「おはよう、ルス」
「ゴハンダヨ!」
「はいはい」
願わくは、そして許されるなら、こんな日が長く続けばいいと、慶作くんは思いました。
「今日は特別だからね、ルス」
慶作くんが自分の部屋の扉を開け放つと、ルスはゆっくりのそのそと、四本足で歩いて出てきました。フローリングの上で、ヤモリの前足がぺたぺたと、鳥の後ろ足がかつかつと、違う音を鳴らしました。
真作さんは打ち合わせで仕事場から直接東京へ。リーさんは休みを取って、真奈美さんと一緒に日帰りの温泉へ。愛海ちゃんと遊ぶ約束もしていません。
その日曜日の朝は、慶作くん以外には誰もおらず、これから誰かが来ることもありませんでした。だからその日はルスを部屋から出してあげることにしました。
ルスの体が変化しはじめてからはベランダにも部屋の外にも出せなかったので、せめて今日くらいはと、真作さんに頼んでいました。
はじめはおっかなびっくりといった様子だったルスは、しかし慶作くんが一緒だったので、すぐに居間でくつろぎはじめました。寝転びながらテレビを見ている姿は十分リラックスしているようでした。
「ふぁ……ふ」
慶作くんはルスの背中を撫でながら、大きなあくびをしました。
ルスにとっては、常に誰かが喋り続けているテレビは新鮮だったでしょうが、いつもインターネットで動画サイトばかり見ている慶作くんには退屈でした。
そして、家の中にリーさんや真奈美さんがいるときは、間違ってもルスの姿を見られないようにと気を張っていたので、反動で一気に緊張が緩みました。
やがて眠気に誘われるまま、うとうとと舟を漕ぎはじめました。
……歌。
夢の中、慶作くんは歌を聞いていました。
そこは真っ暗なジャングルの中で、空を支える柱のように背の高い木が慶作くんの周りを囲んでいました。
木々の隙間から、夕日がちらちらと見え隠れしていました。
光のほうへ……歌の聞こえるほうへ。
険しい密林を潜りながら、慶作くんは歩きました。
木々が開けると、そこは崖でした。
目も眩むような高さの崖。その下は同じくジャングルが、海のように広がっていました。
密林の地平線の彼方に浮かぶ夕日。それを、崖の先端で眺めている少女がいました。歌もその女の子が口ずさんでいました。
白い服を着た、白い髪の女の子でした。
今にも身を投げ出すのではないかと、気が気ではない慶作くんは、こんにちは、と白い髪の女の子に声をかけました。
女の子が振り返ると……夕日を背負った白い少女に、ああ、きみだったのかと、慶作くんは安堵しました。
少女の隣に腰を下ろします。
そして、一緒に唄いました。
「……キーラ、キーラ、ヒカルー、オーソラ、ノ、ホシヨー……」
歌というよりノイズを思わせる声に、慶作くんは目を覚ましました。
唄っていたのはもちろんルスで、ソファーで眠っていた慶作くんを見下ろしながら、体をゆらゆら揺らして、上機嫌に唄っていました。
「キーラーキーラー、ヒーカルー。キーラーキーラー、ヒーカルー」
同じ歌詞を何度も口ずさむルスに、体を起こした慶作くんは笑いました。
「どこで覚えて……あぁ、テレビか」
見ると、夕方のテレビが子供番組を流していました。
窓の外はすっかり日も傾いていて、まるでルスの歌が夜を呼び込んでいるようだと慶作くんは思いました。
「キーラーキーラー」
「ルス、ご飯にしようか」
慶作くんが立ち上がると、「ゴハン!」とルスも立ち上がりました。
「今から準備する。ちょっと待っててね」
「マッテテネー」
声真似とは逆に、台所に向かう慶作くんに、ぺたぺたかつかつと足音を鳴らして、ルスはついていきました。




