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キマイラに捧ぐ  作者: 春戸稲郎
六月の物語
10/31

叱責・後悔・決意

 

 ルスに鶏肉を与えている間に、慶作くんは一ヶ月前に起こったことを話し終えました。

 魚肉ソーセージを与えてみて、変化が現れたこと。牛肉で試したら角が生えたこと。

 満腹になって部屋の隅で体を畳んで眠るルスを見つつ、もはや信じないわけにはいかない真作さんは、はぁ、とため息をつきました。

「参った……。俺はてっきり、ルスが死んだのを隠してるものだと思ってたんだが。……ハネカエドリってのは、とんでもない生き物だったな」

「それは、どうだろう。もしかしたらルスだけが特別なのかも。もしも全部のハネカエドリがそんな生態だったら、今ごろ大騒ぎになってるはずだろうし」

「んー……それもそうだな」

 ふたりは床に腰を下ろして、ルスを見つめて話していました。そのように穏やかに会話ができるのは、ルスが慶作くんによく懐いていて、即刻処分しなければならない危険な生き物ではないと判断されたからでした。

「最近虫取りしてたのは、ルスにやる餌を探してたのか。……お前は外遊びとは無縁だと思ってた。バットとグローブ買っても野球には全然興味なさそうだったし」

 真作さんが期待をこめて買った野球道具の金属バットは、もう長い間、傘立てに突っ込んでありました。

「まぁ、ちょっと頑張ったよ」

 照れくさそうに頬を掻く慶作くんを、真作さんは静かに見つめていました。

「……それで? 今までに、何をルスに食わせたんだ?」

「鶏肉のほかには、魚と、ヤモリと、蛇と……あと、ヘラジカ」

「ヘラジカ?」

「ほら、前にお父さんの友達が、フィンランドのお土産で缶詰持ってきてたでしょ?」

「……あぁー、あれかぁー」

 フィンランド土産のヘラジカ肉の缶詰は、どう料理すればいいのかわからないということで、料理上手のリーさんも持て余していました。

「ルスのあれは、ヘラジカの角だったのか。ってか、あの缶詰ってオスの肉なのか?」

「それは僕も思ったんだ。もしもメスだったら、角は生えてこないかもって。オスかどうかはともかく、思ったとおりに角が生えてきてよかったよ」

 慶作くんが饒舌ににこにこと語りはじめると、おい、と真作さんは、低く静かに声を荒げました。

「慶作……笑いごとじゃないんだぞ。自分が何をやったのかわかってるのか?」

「え?……え?」

「俺のひとつの選択肢として、今から警察を呼ぶ、というのもある。『危険な生き物が家の中にいます。退治してください』ってな」

「そんな……!」

 慶作くんは腰を浮かせました。

「ルスは危なくないよ。優しくて、賢くて、静かで……」

「お前にはそうかもしれない。優しい生き物かもしれない。だけど俺や、この家を出入りするリーさんや真奈美先生にはどうだ? 愛海ちゃんには? ルスが絶対に誰にでも優しくいられると、お前は自信を持っていえるか?」

 まったく予想外の指摘だったのでしょう。慶作くんは何もいい返せませんでした。

「お前は俺に気付かれなかったら、ルスをどうするつもりだった? このまま隠し通して、またいろんな生き物の肉を食わせるつもりだったのか?」

 図星を指された慶作くんは、ぺたりと床に腰を下ろしました。

 真作さんの厳しい叱責は続きます。

「お前の考える〈ルスの献立〉には何の肉があったんだ? 犬か? 猫か? 熊か? 猪か? 鯨か?……たとえば熊の肉を食わせて、本当にルスが今のままの〈優しいルス〉でいてくれると思ってるのか? 絶対に大丈夫だっていえるのか?」

 言葉のひとつひとつが耳に飛び込んでくる度に、慶作くんは、急速に体が冷たくなっていくような感覚に襲われました。

「そもそもお前は、ヘラジカがどんだけでかい生き物かわかってない。本物はお前の体重の十倍はある偶蹄目最大の怪物だぞ? もしもルスがそれだけ大きくなってたら、じゃれつかれるだけで大怪我してる。……お前は寝てる間に死んでたのかもしれないんだぞ?」

 反論の余地のない父からの叱責は、俯く慶作くんの目に涙を呼びました。

 確かにそうだ。

 僕は……何をしていたのだろう。

 ルスの秘密を知ってからの慶作くんは、食べ物で姿を変える不思議な生き物に夢中になり、舞い上がり、ほかのことを考えていませんでした。

 自身や父親、そして周りの人の安全を考えられなかった浅慮さに、慶作くんは悔し涙を流しました。

 自分の浅はかさが、ルスを危険に晒していることに対しても。

「ご……ごめん、なさい。……ごめんなさい」

 嗚咽交じりに謝る慶作くんに、少しだけ興奮していた真作さんも、落ち着きを取り戻しました。しかし表情は厳しいままでした。

 そして次の言葉は、ひどく冷たいものでした。

「俺は、警察に通報することを考えてる」

 ……もしもここで、慶作くんが頷いたり、沈黙を保ったりしていれば、真作さんは本当に警察を呼んでいたでしょう。

「やめて!」

 大声を上げて、慶作くんは真作さんに詰め寄りました。

「お願い! それだけはやめて! ルスを殺さないで!」

 慶作くんの声に驚いたのか、眠っていたルスが、のっそりと起き上がり、くるる、と喉を鳴らして体をすり寄せ、ヤモリの手を慶作くんの肩に乗せました。

「お願い……今のルスは、本当にいい子なんだよ……もう絶対、ルスを変えたりしないから……危険なことはしないから……」

 必死に訴えかける慶作くんの頬に涙が伝うと、ルスはその雫を、蛇のように長い舌で掬い取りました。

「……お願い……僕の、と、とも、友達を、取らないで……」

 友達のために、精一杯の言葉を尽くして容赦を願い出る息子と、まるで取り乱している子供を慰めるように寄り添う化け物。

 そんなふたりを見て、父親の真作さんは、何を思ったのでしょうか。

 ひっくひっくと涙と鼻水でずるずるになっている慶作くんに、真作さんは問いかけます。

「餌を与えて、大体どのくらいでルスは変化するんだ?」

「……え?……だ、大体、三日から、五日くらいかな……」

「ヘラジカの肉を与えたのは、いつだ?」

「……と、十日前、かな」

 袖で顔を拭う慶作くんに、真作さんは指を二本立てました。

「いいか? このふたつを忘れるなよ?……ひとつ、ヘラジカの肉を食ったルスがこれ以上大きくなったとき、もうひとつ、〈これからは鶏肉以外を食べさせない〉という約束をお前が破ったとき……そのときは泣こうが喚こうが、俺は絶対にルスとお前を引き離す」

 真作さんから言い渡された〈条件〉に、先ほどとは別の涙が慶作くんの目に溢れました。

「これが、うちでルスを飼えるギリギリの条件だ。約束を……」

「守る! 絶対守るから!」

 慶作くんは、指を立てている真作さんの手を両手で掴みました。

「もう絶対に、ルスには鶏肉以外、食べさせません」

「……絶対だぞ? 約束だからな?」

 真作さんが念を押すと、慶作くんは力強く頷きました。

「それと、ほかの誰かに見つかったら、俺も庇いきれない。即アウトだ。絶対に誰にもルスを見せるなよ? 俺もそうするから」

「わかった」

「……本当にわかってるか?」

「わ、わかってるよ。秘密にすればいいんでしょ?」

 真作さんはため息をつきました。

「慶作……人は誰だって失敗や間違いをする。大事なのは、それを繰り返さないように胸に刻むことだ。……お前が今日、本当に反省しなくちゃいけないのは、ルスが人には見せられない体になってしまったってことだ。もう病院にだって連れていけない」

 慶作くんははっとしました。

「辛いことをいうけど……お前の失敗で、ルスの未来は三つに絞られた。一生この部屋で俺とお前以外の人間に触れ合えないまま生きていくか、誰かに見つかって見世物や実験動物にされるか、危険な動物として殺されるか、だ」

 自分の犯した失敗と責任の大きさに、慶作くんは愕然としていました。それを伝える真作さんも辛そうでした。

 学べ、と真作さんは、慶作くんの肩を掴んでいいました。

「この失敗からしっかり学べ。……本当に大切な友達なら、試すようなことをしたり、おもちゃにしたりしては、絶対にダメなんだ」

「……うん。……もう絶対にしない」

 真作さんの目を見て頷く慶作くんは、もう泣いていませんでした。

「ありがとう。お父さん」

「……おう。そういうところが、お前の一番の長所だ」

 慶作くんの頭をがしがしとかきまぜるように撫でると、真作さんは立ち上がりました。

「まぁ、鶏肉を食わせ続けてたら、小さくなることはなくても、〈ものすごくでかい鳥〉には戻れるかもな。……ルスのために、しっかり反省するんだぞ?」

 そうして、仕事行ってくるから、といい残し、真作さんはマンションを出て行きました。


 その夜、慶作くんは、鶏肉を食べるルスを、じっと見つめていました。

 ルスは鳥だったときのように後ろ足だけで立つことができるので、ヤモリの前足を人間の手のように扱えるようになり、鶏肉を前足で掴んでむしゃむしゃと食べていました。

 そんなルスを見て、ぽつりと慶作くんは独り言を零しました。

「……そうか。……僕はきみから、翼を奪ってしまったんだね……」

 魚の背びれ、蛇の尾、ヤモリの手、ヘラジカの角を持つ、白い羽毛に包まれた生物。

 これまでもこれからも、世界のどこにも二頭と存在しない生物に〈進化〉していくルスに目を奪われていて、自身がルスから大切な物を奪ってしまったことに、慶作くんはようやく気付けました。

 翼が足になってしまったルスは、もう空を飛べません。

「………………」

 自責の念から三角座りの膝の中に顔をうずめていると、くるるるる、とルスが鳴きました。見ると、皿の中の鶏肉がなくなっていました。

 ぺたぺたと慶作くんの顔や肩をヤモリの手で触るルスは、お代わりをねだっているようでした。蛇の舌でちろちろと顔を舐めてきます。

「……ごめんね、ルス。……大きくなっちゃうといけないから、これ以上は……」

 そこから先は、胸の奥からこみ上げてくる感情のせいで、言葉になりませんでした。

 自分は、なんと身勝手な行いをしてしまったのだろう。その結果として、なんと大きな代償をルスに背負わせてしまったのだろう。

 考え続けると押し潰されそうになり、慶作くんは再び、ぎゅっと体を丸めました。

 すると……ルスが何かを感じ取ったのでしょうか。

 大きくなったことで、少し知能が発達したのでしょうか。

 あるいは単純に、何かの偶然でしょうか。

「……!」

 包み込まれるように、慶作くんは、ルスの前足で抱きしめられました。

「わぷっ」

 顔を上げると、ルスの首周りを覆う、襟巻きのように豊かな羽毛に埋もれました。

 温かく、柔らかい、ルスの体。

 優しいルス。穏やかなルス。

 取り返しのつかない失敗を犯しても、自分を包み込んでくれる、ルス。

「………………」

 抱きしめられたままルスの頭を撫でてやると、くるる、とルスは鳴きました。

 慶作くんは、決心しました。

「僕はずっと、きみのそばにいるよ、ルス」


 翌朝の月曜日。

 学校へ行く支度と共に、慶作くんは毎朝の日課をいつもどおりこなしました。

 フンの始末と、抜け落ちた羽毛の掃除。ルスはフンをする場所を覚えてくれたので、掃除は簡単に終わります。

 部屋をきれいにしてから、ルスに餌を与えます。

 そうして学校に行く前に、部屋の隅に陣取るルスに挨拶を。

「……いってきます、ルス」

 慶作くんが部屋の扉を開けると、ルスはのっそりと首を上げました。

 そして、

「ボクハキミノトモダチダ」

 といいました。

 慶作くんは笑顔で頷き、そっと部屋の扉を閉めました。


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