聖女様、聖女を何とかする
突如、聖堂の中に声が響く。
「ご機嫌うるわしゅうございますわ、マニット様」
聖女マニットはいつものように儀礼服で山型帽という姿、錫杖を構えたままで椅子に腰かけていた。その脇にいた女官が声を上げる。
「ま、マニット様! 空中から声が」
「慌ててはいけません、きっとドアがきしんでそんな感じに聞こえただけです」
「ドアのきしみでそんな絶妙なことに!?」
ふわり、と聖堂の中央に現れるのは白いドレス姿の女性と、腕を組みつつ現れる夜会服の男である。
男のほうは顔が青白く、口の端から短い牙が覗いている。そちらは気配で正体が察せられた。
「アスタルデウスよ、そちらの方は?」
「俺は今回関係ない、好きにやれ」
と、腕を振りほどいてそそくさと聖堂の隅に行く。マニットと女官が揃って疑問符を浮かべた。
「ええと、ではあなたが今回の刺客というか魔物ですか?」
聖女には珍しく、眉を寄せて警戒する素振りを見せる。魔物の気配が感じられないからだ。
「うふふ、私が誰か分かりませんか?」
「保険の」
「違います」
ばっさり切り捨てられる物言いを受け、マニットは女官に向けてふくれっ面になる。
「保険の、だけじゃ分からないと思います」
「いえ分かりますよ間違いですよ、そんな場所で粘らないでください」
「……分かりましたよ、ではちゃんと考えます」
そのドレス姿の女性は10代半ば、若々しい活力に満ちていながら、どこか油断のならぬ気配を持つ少女である。流れるような銀髪と可愛らしい顔立ち、しかしその目には剣呑な気配がある、薄く笑うような口元は形だけで、声にはまるで和やかさがない。
そのような外見を加味しつつ、聖女マニットは錫杖をしゃんと打ち鳴らし、当を得たりと言う。
「火災保険の」
「保険から離れてください」
女官があきれ顔で言う。ドレス姿の女性もやれやれと肩をすくめ、慇懃無礼に頭を下げつつ口を開く。
「やれやれ、仕方ないですねえ、教えて差し上げましょう。刻印数666、西キタイの聖女ジュデッカですよ」
「聖凰槍」
錫杖の先端から放たれる光条、聖堂の床板を爆散させつつ走る。
ジュデッカは両手を組み合わせて力場を形成、光が斜め上方に弾かれて屋根の一角を吹き飛ばす。
「いきなり何をなされるのでしょう爵帝炎楼」
ジュデッカの前方から大きく伸び上がる赤い絨毯、それは溶岩の波、網膜を焼くほどの光を放ちつつマニットに覆い被さらんとする。
マニットは錫杖を突き出し法力を込める。瞬間、溶岩が真っ白に冷却されつつ中央から両断、左右に吹き飛ばされて聖堂の壁を崩壊させる。
「ひいいいっ」
女官が隅の方に逃げ、外の陽光が入ってくると同時に、天変地異に逃げ惑う人々の声も聞こえる。
突然の轟音や光、こういうときはとにかく聖堂から離れる、と誰しも心得ていた。
「ひどいですねえ、可愛い後輩にいきなり法力を撃つなんて」
マニットはそちらを無視して魔王のほうに声を放つ。
「魔王アスタルデウスよ、私を滅ぼしたいとしても手段は選びなさい。この子を解き放つなどと」
「お、俺ではない、「世界牢」に封じていたものをこいつが破獄してきたのだ」
「あっ、あのっ、おふたり!」
逃げるタイミングを逸した女官が声を上げる。ともかく法力の撃ち合いをやめさせねばと必死だった。
「わ、わたし存じないんですけど! お二人の間に何があったんですかっ!」
「うふふ、ひどいのですよマニット様ってば、可愛い後輩を六年も異次元に封じ込めたのですから」
「ろ、六年……?」
女官は混乱しながらもいぶかしく思う。ジュデッカはどう見ても十代だ。この子を六年も封じるということは。
マニットはやはり語らねばならないという場面で肩が重くなるように見えて、どこか悲しげに口を開く。
「仕方がなかったのです。彼女はあまりも聖女の規範を逸脱していた。西キタイの聖女を拘束し、魔王に引き渡したのは私なのです」
「えっ……」
千の聖女と魔王との戦いにおいて、そのすべてが知られている訳ではない。まさか、聖女同士での戦いまであったのだろうか。
「うふふ、ひどいと思いませんかあ? 私はまだ九歳だったのですよ。それをあんな暗くて冷たい宇宙に」
「黙りなさい、貴女の邪悪さは裁かれるに十分でした。聖女の力を悪徳に使うなどと」
「い、いったい、あの方は何を……」
「彼女は聖女の力に目覚めた直後から、それを自分の欲望と戯れのために使ったのです。彼女の法力によって駄菓子屋のクジがすべて当たりになり、ニワトリが金のタマゴを産み、騎士団長様は頭が禿げ上がったのです」
「そーだったんですか!?」
ジュデッカは懐かしむようにくすくすと笑う。マニットは警戒を解いていない。
「うふふ、ほんの子供の悪戯じゃないですかあ」
「それだけではありません、貴女は空からカエルを降らせ、温泉を水のりに変え、騎士団長さまは絶対やりたくないと言っていた騎士団長を務める羽目になったのです」
「ここにいない騎士団長さまの株が下がっていく……」
しかし、子供の悪戯のような行いだけで追放は厳しすぎる気もする。
まだ何かあったのだろうかと女官は思ったが、すべてを聞いている暇はなかった。
「さて昔話はもう結構ですわ」
ジュデッカが言い、その小ぶりな唇に人差し指を立てる。
「覚悟は宜しいでしょうか、世界牢に封じられた年月の恨み、晴らさせていただきますわ」
「それ全部魔王にぶつけるのはどうでしょう」
「俺を巻き込むんじゃない!!」
アスタルデウスは端に避難したままである。戦闘に関わる気はないようだ。どこか怯えているようにも見えた。
「うふふ、お覚悟ください、猩々は月にいまし、瑠璃の海鳴、見果てぬ雷火を尖槍と為せ、蛍舟絢槍」
その腕に光が集まって槍となる。十人乗りの舟のように巨大な槍が、空気と触れ合ってばちばちと放電を放つ。ジュデッカの詠唱は続き、その光の槍は明度を増していく。
「ま、マニットさま、あれは」
「電気エネルギーの集束体です。質量を持つほどに濃厚に練り込まれています。さらに詠唱を重ねることで威力を高めているようです」
「に、逃げていいですか」
「北バルチッカが灰になる威力があるようですが」
「何とかしてください!」
ジュデッカは詠唱を続けつつ、目を細めて酷薄な笑みを見せる。
マニットは顎に手をあてて視線を絞る。
ジュデッカはあえて拡散しやすい電撃系の法力を使い、周囲を取り巻く防御壁の濃度を常に変化させている。問題なのは防御壁の方だ。
マニットの力ならばジュデッカの防御を貫通し、その詠唱を止めることはできる。しかし出力を誤れば届かないか、ジュデッカを灰にしてしまうだろう。
それは十枚重ねた紙を、上五枚だけ貫く強さでナイフを入れるようなもの。出力を誤れば北バルチッカも無事では済まない。
「ふふふ、聖女に対して全力で攻撃はできまい、それがお前の甘さだフハハハ」
「魔王アスタルデウスよ、いいのですか、私と敵対してると言っても聖女なのですよ。あなたの敵になるはずでは」
「フハハハ、そこはすでに和睦を結んでおる。ジュデッカは我の右腕となって闇の世界の女王となるのだ」
「彼女を身内に置くのですか? 保証しますけど後悔しますよ。どっちが主だかわからない感じになりますよ絶対」
「分かってるけどいいんだよお前を倒せればチクショウ!」
やけっぱちになって叫ぶ魔王であった。
と、そこでバタンと開く聖堂の扉。
「こんにちはー、マニットさま昼間っから何やってんですかすごい音出して」
金巻毛の少女、リブラである。赤いワンピースの裾をつまんで大股で歩いている。
「ん、なんですかこの人、なんかバチバチさせて」
「西キタイの聖女、ジュデッカです。下がっていなさいリブラ、彼女の詠唱が完成すれば私でも抑え込めるかどうか」
ジュデッカはちらりとリブラを見る、聖女の素質を持つことは感知したが、自分を妨害できるほどではないと判断して薄く笑うのみだった。
「はあ、よく分かんないですけど、この人の詠唱を妨害したらいいんですね?」
ジュデッカはそこで初めてリブラを警戒する。しかし展開している防御壁を貫けるはずはない。どう来る。まさかマニット以上の力を持つはずがないが、と詠唱しながらも思考を巡らす。
リブラはじりっと距離を詰め、そして口を尖らして、言った。
「ぷう」
「ふぐっ」
口から空気が漏れて、収束していた電撃が少し散る。
「あああああ、ち、ちがっ、今の笑ってない!」
慌てて詠唱を練り直すジュデッカ、リブラは防御壁越しにその背後に回り、首筋の当たりからそっと言う。
「いやーでもアレよねー今日の天気ってばぷう」
「うぶくくくふふふふっ!」
顔を真赤にして顔を背けつつ、腹筋を固めて耐えるジュデッカ。女官が目を丸くする。
「なんか効いてますよマニット様!」
「なるほど……ジュデッカのいたのは物質量の少ない「軽い宇宙」だったはず。娯楽には飢えていたのでしょう。しかもハシが転んでもおかしい年頃」
「や、やめ、そんなので笑いたくな」
「いっちーにーのさんしでごろくしちぷう」
「んぶーーーーーっ!!!」
とうとう膝からくずおれて、防御も電撃も散らばりつつ丸まってしまう。
「プリンに生クリームかけてから食べると甘さぷうっ」
「んぶふふあははははははんんーーーっ」
「雨の日に 地面掘ったら ミミズがぷう」
「あははははは、た、たす、はぶわはははははは」
悶絶しつつ床を転がるそこへ、魔王がつかつかとやってきて体を抱えあげる。
「ええい今日はここで引き上げだ、覚えてろよ」
そして姿を消す。
リブラは最初の法力の余波で吹き飛んだ屋根を見上げて、清々しい顔で汗をかきあげた。
「ふ、聖女たるもの精神修養が何よりも大事、あの聖女に足りなかったのは心の落ち着きってやつよ。ねえマニット様」
マニットは肯定するように柔らかに微笑みかけて、錫杖をしゃんと鳴らす。
「そうですね、私もとてもぷう」
「んぐっ」
リブラは、かろうじてこらえた。