聖女様、三階を何とかする
「あの聖女を何とかできる者はおらんのか!」
とてつもなく長いテーブルの端に座り、「百窓の魔王」アスタルデウスが怒鳴る。
テーブルに座した魔物たちは一斉に身を震わせる、正確に言うと音の速さと同じスピードで、ウェーブを作りながら身をすくませる。大広間に集まっている魔物はざっと三千万ほど、大広間の端は闇に隠れて見えない。
「おらぬのか! 我こそはあの聖女を打ち砕き、その屍を食らってやろうという猛者は!」
静寂だけが返る。強い順に300体ほど倒された頃から、名乗り出る者はいなくなった。
今日の会議も停滞が続くのか、と思われたとき。
「魔王さま、わたくしが」
と、手を挙げる者がいる。それは4万歳を越える老練の魔導師である。
「おお、お前か」
「実はわたくし、聖女の弱点を見つけました」
「弱点だと」
「こちらをご覧ください」
大広間の天井に映像が浮かび、全員が一斉に上を振り向く。体の構造上、上を向けなかった魔物がボキッと不吉な音を鳴らす。椅子からくずおれる音がするが誰もそっちに注意を向けなかった。
「聖女マニットだな」
いつものような儀礼服、山型の帽子に錫杖という姿で、石畳の道を歩いている。聖女は数日に一度、こうして街を見回っている。
「この場面です」
それは街角で、わあわあと泣く子供の横を通ったときだった。
赤い服を着た少女で、マニットが何があったのかと聞いている。少女は近くにあった三階建ての屋敷を指差す、その三階の窓枠に、少女の服と同じ赤色の風船が引っ掛かっていた。
マニットは錫杖を振る、たちまち足元に巨大な泥沼が生まれ、屋敷がずぶずぶと沈んでいく、そして三階の窓枠が目の前まで降りてくると、マニットは窓枠から風船を外し、少女に手渡す。
また錫杖を振ると、屋敷はぐんぐん上昇する。
マニットは屋敷の窓を覗き込み、中で腰を抜かしていた老人にぺこりと会釈してから立ち去っていった。
「おわかりですか」
「あの聖女頭おかしいだろ」
アスタルデウスが眉をしかめて言う。
「屋敷を沈めたり持ち上げたり……あれ外壁が泥まみれになるぞ絶対。汚れるだけならいいが、しばらくしたら外壁に雑草が生えてきて大変なことに」
「ふふふ、そこです。なぜあの聖女は、わざわざ法力を使って屋敷を沈めたのでしょうな」
「なぜ……? 歩いて昇るのが面倒だっただけでは」
「いえいえ、いくら聖女でも、階段の昇り降りと法力の行使では釣り合いませぬ。それに、法力を使うなら空を飛ぶ方がずっと消費が少なく、手早く片付きます」
「それもそうだな」
「カギは聖女の力が北バルチッカ限定であること、そして、三階という高さでございます」
「高さ、だと?」
魔王ははたと考えに沈み、そして数秒後、パンと膝を打って感嘆の声を上げる。
「そうか! 星の丸みだな!」
「左様、立っている人間が地平線を眺めたとき、目視できる距離は4キロメートルほどです、これが地平線までの距離。我らに北バルチッカの外側から、超長距離での魔法狙撃ができぬのは、聖女めが大地の丸みに隠れてしまうからです」
「しかし北バルチッカは狭い土地だ! マニットめが三階以上の高さに出たときのみ、領地の外側から狙えるわけだな! あの聖女はそれを警戒して、高い場所に行かなかったのだ!」
そこまで言えば、周囲にも計画の全貌は見えてくる。
「ざっと数十キロの遠方から、聖女の無意識の防御を突き破るに十分な術が必要でした。それがつい先日、完成したのです」
「しかし、どうやって聖女を三階に上げるのだ?」
「実はすでに計画を発動させております、ライブ映像をどうぞ」
また天井に映像が浮かぶ、一斉に魔物たちが首を振り上げ、ひゅおうという上昇気流が生まれる。
聖女が廊下を歩いている、どこかの商館に招待されているようだ。
「バルチッカに潜り込ませております狂信者の屋敷です、魔力を持たぬため聖女には気づかれませぬ、パーティーに招きたいとの案内を出したのです」
「ほう、しかしここからどうやって」
「パーティー会場は三階です、階段の前に案内を貼っております」
――パーティー会場は地下二階、階段が故障中のため、昇り階段に見えますが、気にせず進んでください。
聖女はひとつうなずいて、階段を昇り始める。
「作戦成功です」
「あいつご馳走を前にするとアホだからな……」
頭を抱えたくなる心境であった。
そして三階へ、階段を登るとすぐに広間であった。学校の教室ほどの広さで、風景でばれぬように窓はすべて木戸が降ろされている。
テーブルの上には豪華な肉料理に葡萄酒、ケーキ類などがずらりと並び、「お好きにお食べください」と書かれた紙がある。聖女は深く納得するかのように何度かうなずき、豚の丸焼きを長包丁で切り分け始める。
「今です、待機させている光術砲台からの砲撃を仕掛けます」
「くくく、これであの食い意地の張った聖女も最後だ」
瞬間、もし時間を数億分の一の速度で見ていたものがいたなら。
北バルチッカの外側、荒涼たる大地に置かれている、隧道のような巨大な砲台から光がほとばしり、それが領地の境界線を突き抜け、北バルチッカの風景の中を突っ走り、街へ到達し、商家の三階の壁を突き破って聖女を射抜く。
瞬間、聖女が振り返って手を前に突き出し、防御の術式を展開させる。城一つ消し飛ぶほどの光術は、聖女の手の中で球形の空間に封じられて白光のボールとなる。
「なっ!?」
人ならぬ存在、常識を遥かに超えた感覚器を持つ魔王にのみ、その動きが見えた。
光術が領地に入った瞬間、マニットが光速の4%ほどの速度で動いたことを。
本来なら、周辺の大気がとてつもない速度によって赤熱し、破裂し、核攻撃に匹敵する衝撃波が広がるはずだが、マニットが部屋全体に法力場を張って大気の乱れを抑えていた。
聖女が豚肉をよく噛んで飲み込んでから口を開く。
「魔王アスタルデウスよ、そこで見ていますね?」
「な、なぜだ!? なぜ領地外からの光術攻撃を見きった!?」
「こう見えても流行には敏感です」
「関係あるかい!」
「冗談です、北バルチッカの全域に探知機を置いているのです。強い攻撃の意思を持った術が侵入すると、私にそれが伝わるのです。そしてどうやら角度からして、ここは地下二階ではなく上層階のようですね、すっかり騙されましたよ」
「マジで騙されてたのかお前……」
「さあ、ではこの光術はお返しします。その暴威を意思のもとに返せ、500の殴撃となりて矢を降らせ、因果朔月」
瞬間、マニットの手の中にあった光球と同じものが部屋いっぱいに出現する。その数は500、すべて元の光術と同じ熱量を宿し、次の瞬間、壁の一面を完全に消滅させて光の帯となる。
「!? そ、総員防御態勢!」
ずどどどどどどどど
どどどどどどどどど
どどどどどどどどど
そう、のあたりでその全てが着弾する。城の尖塔のような光条が500本、魔王城の半分あまりを盛大にえぐりとる。
「う、うぐぐぐ」
この城にいた幹部を半分以上滅ぼして、周囲が瓦礫と、灼熱の空気で満たされた中で、魔王も肉体を焦がしながら起き上がる。
「お、おのれ聖女め、本城でないとはいえ、一撃でここまで」
魔王は悔しげに歯ぎしりをして、映像の中で再び肉料理に取り組まんとする聖女をにらみつける。
「し、しかし防御ができるなら、なぜあの時、聖女は三階の高さに上がらなかったのだ、高いところが怖いわけでもなかろうに」
映像の中の聖女が、びくりと背中を硬直させる。
「…………ん?」
しばらくの沈黙。
ややあって魔王が一言。
「聖女マニットよ、実はそこは三階だぞ」
映像の中の聖女は、しばらく沈黙した後。
肉料理の大皿と葡萄酒とケーキを両手いっぱいに抱えて、階段を降りていった。
「…………」
どうやら、弱点を一つ知ったようだが。
そのために軍が半壊してたら割に合わないな……と魔王はぼんやり思うのだった。