聖女様、根本を何とかする
「アビス……始まりの聖女……?」
――じゃあ呼びますね。
「えっちょっとそんな急に」
瞬間、リブラの視界が暗転。
直後に光が見え、空間が切り取られて壁と天井が生まれる感覚。
そこは石造りの広間である。どことなく北バルチッカの聖堂に似ているが、壁は劣化しており一部が崩れ、ステンドグラスは半数以上が割れて床に積もっている。
きらきらと眼に映るそれは鉛ガラスだけではない。ガラス瓶がかなり混ざっている。
「こんにちは」
それはやや長身でふくよかな体、長裾の儀礼服に身を包んだ女性である。錫杖をついて。
大きめのウイスキー瓶をラッパ飲みしてた。
「誰なの?」
「ですので始まりの聖女ですよ。ひっく」
「え、嫌っ」
「嫌って何ですか失礼な、聖女にとってお酒は力の源でしょう。ああついでに魔王も呼びますね」
かしゃん、と錫杖を鳴らす。
ばん、とメンコを叩きつけるような塩梅で魔王が現れた。
「ほごっ?!」
「あ、すいません力加減を間違えました」
「こっわ……」
リブラは始まりの聖女とやらを見る。
やはりと言うべきか、声の印象の通りにマニットに似ている。ゆるくて表情の定まらない目もと口もと、それでいて何者も恐れないような深い自信がある顔だ。
しかし頬はリンゴのように赤く、儀礼服は酒の染みで汚れていたが。
「な、なんだこいつは、ここはどこだ、我は世界牢の倉庫にいたはず」
「落ち着いてください。あなたの町の聖女です」
「うおマニット! ん、いや、別人か……?」
魔王はひとしきり驚き、慌て、周りを確認する。
「お前が我を呼んだのか」
「はい、ここは西キタイの聖堂です。あなたの時代から800年ほど前の」
「前だと?」
「はい」
始まりの聖女はふらふらと歩き、床に丸テーブルと三脚の椅子を出現させる。
そしてワインとチーズと煮込み料理も出す。
「まあ飲みながら話しましょう」
「よく分からんが帰りてえ……」
出会いは割と最悪であった。
※
「あなたたちの時代では、聖女は宗教機構とは別個に存在する組織でしょう? うっぷ」
ワインをかぱかぱ開けながら、聖女アビスは語りだす。
語るまでに軽くワイン二本を開けた。
「アビス様、飲みすぎじゃないですか」
「大丈夫です。法力でアルコールは即座に分解してます。この酔いも法力で大脳に働きかけてるだけですから」
「自分で自分の大脳に働きかけて酔ってんのかお前……」
魔王もあきれ顔である。
よく見れば聖堂の四隅に酒瓶が山になっている。ワインにウイスキーにラム酒、米の酒や焼酎、バナナの酒やタロイモの酒もある。なぜか工業用の高純度アルコールまであった。
「ええと聖女リブラ、何の話でしたっけ」
「聖女は宗教とは別とか何とか」
「そうでした。私の時代にはまだ聖女は宗教の一部でした。神の寵愛を受けた巫女と扱われていたのです」
「扱われていた……」
「そうです。だけどこの時代の宗教って腐ってましてね。ワイロ漬けの司祭だとか、女性の尻しか興味ない枢機卿とか、ニンジン食べられない騎士団長とか」
「最後は別にいいんじゃないですか?」
「厨房のニンジンを茶色に塗って積み木に混ぜたりするんです」
「なんで騎士団長になれたんですかその人」
聖女は飲み終えたワインを逆さにして、最後の一滴を人差し指に受けると、酒瓶を放り投げて指をくわえる。
「そんな時代で私はかなりマジメに修行して、祈りによって引き出される力を極めました。すごい天才でした」
「全然そうは見えませんけど」
「昼間っからこんなに飲む聖女がタダモノに見えますか?」
「……いや、逆にすごいって感じにはなりませんよ?」
アビスは手の中にまたワインを出し。指を弾くとコルク栓がぽんと抜ける。
「あるいは私が生まれたことは神の気まぐれだったのかも知れません。しかしこの世界は割と平和ですし、たまに魔王とか出ますけど魔法使いとか勇者とか言われる人がなんとかしますし、別に私がやること何にもないなーとふてくされてたんです」
「話が全体的にひどいんですけど」
「まあともかく、私はこの力を後世に残そうと思いました。私が死んだ後でも力だけは世界に残り、ふさわしい人物の中に宿るように、すなわちそれが聖女のシステムです」
「はあ……なんか唐突すぎて、受け止めかねるものが……」
「しかし何というか、私の力って大きすぎるんですよね。一人が持つと安定しなくて、同じ時代に数十人とか生まれるんです。メインの伝承者が一人いて、その人からこぼれた力がミニ聖女になる感じです。料理してて余った野菜でもう一品、みたいなものです」
「他に例えかた無いんですか」
「ええい! そのぐらいのシステムはすでに知っとるわ!」
魔王が憤慨を乗せてテーブルを叩く。話が迂遠なこともあるが、とにかく酒臭い。
「未来から我々を呼び寄せてまで、何の話がしたいんだ!」
「あなたたちの時代より少し前、聖女アンテノーラの時代にイレギュラーが起こりました。「百窓の魔王」アスタルデウスの出現です」
「む、我か」
「あなた割と規格外でしたからね。アンテノーラはあなたのものすごい出力に眼をつけた。人間レベルでは不可能な術式、世界牢の実現です」
「うむ……それほどでもないぞ」
「気持ち悪いから照れないでください」
「前から思ってるが魔王の扱いがおかしい」
アビスは床に転がっていた錫杖を拾いつつ、空いてる手でワインを注ぐ。
「世界牢に聖女を封じて力を己に集める。大胆な発想ですが、聖女マニットを排除できなかった。そうするうちにアンテノーラに精神の寿命が来てしまった。リブラ、あなたの見てきた通りです」
「アンテノーラがそんなことになっていたのか?」
「そうね、いちおう法力で保護しといたけど、もう何もできないと思う」
「アンテノーラの野望はすでについえた。また聖女マニットと魔王の戦いの日々が続くはずでした。さてここで問題です」
リブラと魔王は顔を見合わせる。
「私は世界に働きかけ、私の力を後世に受け継がせました」
「はい、そこは聞きましたけど」
しゃん、と何かの合図のように錫杖を鳴らす。
「では、のちの時代、また私が生まれたらどうなるでしょう?」
「え……?」
「聖女マニット、あれは私と同じ過程を辿っている。誰よりも強い祈りの力。あるいは私よりも強いかもしれない。そこに私の法力が全乗っかりしたらどーなるでしょう、はい魔王!」
「え、わ、我か」
どうもこのアビスという聖女は何もかも投げやりというか、どことなくヤケクソになっていると感じる。酒びたりなのもその現れだろうか。
「それは……だからアビスよ、お前の倍ぐらい強い聖女が生まれるってことだろ」
「とーんでもない」
アビスは空中に図形を描く。大きな光の円。その輪がどんどんと広がって、聖堂の高い天井に届き、そこを突き抜けてまだ広がっていく。
「世界があふれます」
「は?」
「法力が意思の力で抑えられなくなるのです。大昔の聖人は血がワインに、肉がパンになったとか言いますが、もしそれが暴走したらどうなります。やがて川も海もワインで埋まり、すべての陸地はパンの砂漠になります」
「喉カラカラになりそう」
「不特定多数を敵に回す話はやめろや」
リブラは少し考えてから、手を挙げて質問する。
「アビスさま、それってつまり未来予知みたいなことで知ったんでしょ。じゃあ聖女の力を残すのやめたらいいんじゃ」
「その場合、世界は今から百年後に現れる別の魔王に滅ぼされます。聖女の力は必要なんです。それに」
「それに?」
「時間の流れはそう簡単には変えられない。特に聖女マニット、あれは存在の重みが大きすぎる。この世界はマニットが出現し、聖女の力を得るところまで完全に「確定」しているのです」
「ど、どうしろと言うのだ」
「魔王よ」
しゃん、と錫杖を鳴らす。
「世界牢から聖女たちを解放できますか?」
「それは可能かもしれんが、時間がかかる……。何人が生き残っているかも分からんし、世界牢の中で移動していたら……」
「本来は数百人とか千人とかの聖女に力を分配できるはずだった。ですが、あなたの時代にいる聖女は少なすぎる。しかも聖女になれる女性はそうすぐには生まれてこない。魔王の支配圏にいる女性は聖女にはなれない……」
そして、がばりとテーブルに突っ伏す。
「もう終わりです……世界は私の時代から800年後に滅びるんです……」
「そんないきなり落ち込むなよ」
「というかアビス様、未来予知とかできるなら、なんで世界の法則を変えたりしたんですか?」
「これでも百年先ぐらいまではちゃんと見たんですよ。でも800年後はきついですよ。疲れ目で目が垂れてくるんですよ」
「そんぐらい耐えましょうよ」
「ううむ……」
魔王は腕を組んで考える。この聖女アビスの力も確かに常識を超えている。離れた時間軸から人物を呼び寄せ、世界に干渉して法則を書き換える。
それほどの力があってもどうにもならない、という事態の深刻さも理解する。
「……未来から我々を呼べるなら、逆に未来に人を送れないのか。適当な時代の聖女を我々の時代に送ればいい」
「あ、それいいわね、アビス様それで」
「ダメなんです。聖女マニットの存在が大きすぎて、彼女の時代に干渉できなくなってる。あなたたちもずっと追跡してましたが、念話すら送れなかった。遠く離れた宙域にいたり、世界牢にいたから呼べたんです」
「意外と役に立たんやつ……」
「わーん!」
とうとう泣き出してしまう。テーブルに突っ伏して赤子のように。
「仕方ないじゃないですかー! まさか私と同じぐらいの聖女が出てくるなんてー!」
「百億年を超えて続いてきた世界の法則を変えるのだぞ。たかだか百年の予知でよくそんな大それたことをしたものだ」
「あうう」
「だいたいお前はガサツというかみっともないというか、人前で飲んでんじゃねえよ酒くせえんだよそりゃ聖堂も荒れ果てるわこの赤っ恥聖女め」
「うわーん!」
「ちょっと魔王、泣いてるじゃないの」
「いや、こいつマニットに似てるからすげえ気持ちいい……」
「わかるけど」
「わかるなよ」
ともかく、である。
事態を直視せねばならない。リブラは遠い場所のことを思い浮かべるように首を巡らす。
「でもアビス様、マニット様を最後に見たときは別に普通でしたけど」
「うう、ひっく。彼女はおだやかな性格なので、力の暴走を防げてたんです。しかし聖女ジュデッカとの戦いで何度も法力を使ったり、アンテノーラの復活を阻止しようとするあまり焦りの感情が出ていた。今のマニットは大変なことになってます」
「大変って?」
「それはその……とても言葉にできないほど……」
「そんなに?」
リブラはちょっと息をついて。
そしてもやもやした感情をまとめて吐き出すように、肺の底から息を放つ。
「……ま、いいですよ。何とかしましょう」
迷いは似合わない。
どんな困難でも何とかしてみせる。自分にはそれができると信じる。それがマニットの教えでもあるのだから。
「聖女ですからね。何とかしてみせますよ」
「リブラ……頑張ってください。あなたが最後の希望なんです」
「最近、どーも力が出すぎてるなと思ったんですよね……あれはマニット様が不安定だったからなんですね」
「うむ、そういえばマニットのやつは安定してなかったな」
魔王もやや億劫そうながらも、気持ちを切り替えるように肩を回す。
「ふとしたことで法力が暴走していた。自分の力を抑えきれていなかったのだ。愚かなやつよ。この我の支配すべき世界を荒らされるわけにはいかん。不本意だが、何とかしてやろう」
泣いてた聖女アビスも涙を拭き、二人をまじまじと見る。
「お二人とも……その勇気に感謝します。私もこの時代からサポートします。どうか世界を救ってください」
すると、リブラの視界で景色が色を失っていく。
すべてが灰色に染まり、やがて足元が溶け崩れるように消えていくのだ。
「時間切れのようです……お二人の時代に送り返しますが、どうかお気をつけて」
「任せといて、何とかなるわよきっと」
「聖女リブラよ」
暗闇に染まりつつある世界で、魔王がふいに言葉を投げる。
「何よ」
「どうもおかしいと思っていた。法力の出力もそうだが、そもそもまだ若輩のお前が分身の操作など……」
「……」
「お前、分身体ではないな?」
「まあね」
ようやく気づいたか、という強がりが半分、ばつの悪そうな様子が半分で言う。
「あれ割と難しいんだもん、まだ使えないのよ」
「無茶なことを、即座に我に殺されたらどうするつもりだった」
「虎穴に入らずんば何とやら、よ。実際、収穫はあったわ。世界のことが色々分かったし、たくさんの聖女とお話できたし」
「ふん……」
やがて視界が開ける。
瞬間、リブラは浮遊の法力を展開。上空にいたのだ。
「うわっと、空の上じゃないの」
「む、聖女アビスめ、やはり雑なや、つ……」
二人ははっと気づいて脇を見る。
薄桃色の巨大な物体。
まるで玉のような。
その上方は雲を突き抜けて定かならず、下方は大地を踏み抜いて土砂が丘のように隆起している。
――お二人とも、聞こえますか。
「あ、聖女アビス様」
――あなたたちに法力で紐をつけました。これでその時代にも念話を送れます。
「聖女アビスよ、あの巨大なものは何なのだ、まさか……」
――あれが聖女マニット。
――彼女は今、月の五分の一の質量になってます。




