聖女様、宴会を何とかする
※
――リブラ、あなたはいずれ自分の教区を持ち、魔王と戦わねばなりません。
――確かに、今のあなたでは魔王には及ばない。
――ですが、いずれはあなたにも目覚める、大いなる力が、法力の光が。
――恐れることはありません。受け入れるのです。どのような変化も、運命も。
――この世界の、行き着く姿すらも。
※
「それで、これが世界牢の倉庫?」
それは石造りの建物。蔵と宮殿の中間のような飾り気のない造りだ。門扉などはなく、ぽっかりと玄関口の闇が開いている。
「うむ、入るぞ、アンテノーラに好きにさせるわけにはいかん」
魔王は着流し姿のままでずかずか入っていく。歩くのに合わせて左右に燭台の灯が点灯していく。
内部はかなり広い。両側に壺のような台座、その上に大きめのスイカほどもある水晶玉が置かれている。
上には燭台、壁には波線のような装飾があるだけで、構造はひたすらな一本道。
自我が前後に引き伸ばされるような直線的な回廊である。
「こんなに細長くなかったでしょ?」
「空間を折り畳んでいるのだ、こんなことで驚くな」
魔王は左右の水晶玉を見ながら歩く。よく見れば水晶玉は透き通っておらず、くろぐろとした薄墨のようなものを内包している。そこにちらちらと雲母のような輝点が混ざっている。
「この水晶玉が世界牢なの?」
「うむ、それぞれ10の52から55乗ジュールというエネルギーを内包した小規模な宇宙だ。結界を次元的に断絶させ、相転移によりプランク状態からのインフレーションを……」
「で、ジュデッカの入ってた宇宙はどれ?」
魔王が少し足を早める。
「まず時空を断絶する結界というのが驚愕であり、さらに術式によって真空エネルギーを励起させるのがすごい。何しろ呪具も魔法陣も物質なので真空と矛盾するわけだ、だから我は」
「ねージュデッカの入ってたやつはどれなのよ」
「まあそんな離れ業ができるのも無数の宇宙を渡り歩いた我だからこその」
「どれだったか分かんなくなったのね?」
「違う! わざと分からなくしてるのだ! 誰かが救出に来たときに目的の牢が見つからぬように!」
「閉じ込める側は覚えときなさいよ……」
魔王はびし、と水晶玉の一つを示す。
「たぶんこれだ!」
「……ほんとにー?」
魔王が口中で呪文をとなえ、リブラの体との間に黒色の糸が張られる。
「呪術的な命綱だ。中で聖女を見つけたら糸を引っ張れ、ここから引き上げる」
「確かなんでしょーね、間違ってたら発酵食品山ほど食わせて発酵させるからね」
「そんな脅され方されたの初めてだ……」
かるく水晶玉に触れる。しかし触れようとしても手がすり抜ける。実体は存在しないのか。
「いいか、ジュデッカのいたのは物質量が基本世界の千分の一もない「軽い宇宙」だ。ほとんど星も見えない暗黒空間だが、アンテノーラなら物質創造の法力で自分の居場所を作れるはず、建物か何か見つけたら行ってみろ」
「もー、作戦からしてざっくりしてる……」
「それと、世界牢ではお前たちの言う神からの力が受けられぬ。肉体に蓄えた力を無駄遣いするな。宇宙空間での生存にも法力を使うから、体力が切れる前に戻れよ」
「もう分かったから行くわよ」
するり、と音もなくリブラが水晶玉に潜り込み。
ほどなく、命綱がぴんぴん引かれる。
「早いな、よし」
魔王が魔術的に紐を引くと、リブラがお尻の側からぬっと出てきて。
振り返ると同時に担いでたアリクイをぶつける。
「ほぐっ?!」
「アリクイの宇宙じゃないの!」
ぶつけたのはオオアリクイ、成体で体長1メートル以上、体重は30キロを超えるのでかなりの衝撃である。
魔王は鼻を押さえ、そっぽを向きながら効いてない風を装う。
「お、おかしいな、ちょっと勘違いだ」
「というかアリクイの宇宙ほんとにあるのね。見かけなかったけどアリの聖女は大丈夫かしら、生きてるといいけど」
それからしばし。
「これだったかな」
「ちょっと見てみる」
リブラが顔だけ突っ込んで、すぐに抜く。
「なんかカレンダーしかなかったけど。日めくりカレンダーが山になってて」
「ああ、体内時計の聖女を封印するためのカレンダーの宇宙だな」
「その人カレンダーでヘロヘロになるわけ? 生きてくの大変ね」
それで、と背後を見る。入り口はもはや点にしか見えない。
「これで25個目だけど、いつ見つかるのかしら魔王陛下さまあああ?」
「ま、まあ千個しかないんだからそのうち……」
そのヘソのあたりに人指し指をねじ込んでいく。
「あ、いたっ、いたたたやめてやめて」
「入らされる方の身にもなんなさいよ! 暴れブタの宇宙とかあったのよ! うっかり中で死ぬところよ!」
「あの暴れブタは惑星コントントンから連れてきたんだか捕まえるのめちゃくちゃ大変で」
「どーでもいいのよブタのこだわりなんて!」
「うう……し、しかし一つずつ見ていくしか方法が」
「もー……。だいたいジュデッカが破獄した牢なんだし、壊れてるとか欠けてるとかあればいいのに……」
「あ」
魔王がつぶやき、その0.2秒後に光の軌跡を残してリブラがガンを飛ばす。
「いま「あ」つったわね」
「あ、いやその、忘れてたわけでなくてそういうオルタナティブというかサイドストーリーもアセンブラしたドラスティクな判断が」
「とっととやんなさい!」
魔王はやや項垂れて肩身の狭い様子ながら、ともかく指を組み合わせて呪文を呟く。
「……よし、見つけた」
空間の一角で光がともる。
水晶玉の一つが発光しており、内部にヒビのようなものが一本走っていた。そのヒビから光が漏れている塩梅だ。
「破獄された瞬間の時空振動が残っている、これで間違いない」
「まったく、余計な手間とったわ、さっさと行くわよ」
と、リブラは周囲を見回す。
「なんか他の水晶玉にも細かいヒビがあるけど、ほんとにこれ?」
「封印から時間が経ってるから劣化してるのかな……後で補強しておかねば。ともかく破獄されたのは絶対にこれだ」
「まいいわ、じゃあ行くから」
「うむ、中でアンテノーラを確認したらすぐ合図を遅れ、うかつに戦うんじゃないぞ」
「分かってるわよ、ちゃんと毎回気を付けて……」
水晶玉に飛び込む姿勢から、ふと背後を振り向く。
「ねえ、そういえばいまだに聖女に一人も会ってないんだけど、ほんとに中にいるの?」
「閉じ込めてから数年経っている。移動してればすぐに見つかるものではなかろう。それにお前に言うのも何だが、中で滅びた可能性もある」
「……そうね、今はそのへん追求しないけど……」
するり、と、今度こそリブラは水晶玉に飛び込み。
重力に体を引かれて前方に半回転、どしん、と草むらに尻から落ちる。
「のっ!?」
妙な声を出しつつ草むらをでんぐり返る。肌に届くのは春の陽気だ。
「あいたた、何よここ」
草を払いつつ立ち上がれば、そこは一面の花木の眺め。濃い赤から薄紫、黄色に桃色に白まで、大輪の花をつけた樹が二列に並んでいる。
そして歌と音楽も聞こえる。見通す先で大勢がむしろを引き、宴会をしているらしい。
「もー! 何が暗黒空間よ! また間違えて……」
「やあやあ、新人さんなんだよ」
すぐそばに花を摘んでいた人物がいた。リブラに気づいて声をかけてくる。青い儀礼服に度の強そうな眼鏡。小柄だが全身から沸き立つような法力を感じる。
「あ、コキューテ」
「? ボクを知ってるんだよ? あなたも聖女みたいだけど、どこかで会ったかな?」
コキューテは摘んでいた花をブーケにまとめ、リブラの手を引く。
「まあそんなことより宴会なんだよ、君も来るといいんだよ」
「???」
宴会場には数百人もいるようだ。二列の樹はずっと向こうまで続き、むしろに三、四人ずつ座ったグループが何十組もある。
「ねえ、ここって何なの?」
「何って聖女の宴会場なんだよ。ほら、あっちは炎の聖女フレジエ、あっちは黄金の聖女アモンなんだよ、有名人なんだよ」
確かに過去の映像で見た顔もある。
リブラはどこかの席に案内されるわけでもなく、そのような宴会の眺めの中をずっと歩く。これがすべて聖女とすれば千人はいるだろうか。
「どこまで行くのよ」
「新人さんは聖女長に挨拶しなきゃなんだよ」
「聖女長……」
そしてそれは並木道の果て。
そこだけは花木が円形にならび、虹色の花吹雪が降りている。
中央には揺り椅子、その回りに聖女たちが集まりやはり宴会に興じていた。
「アンテノーラ様、新人の聖女をお連れしたんだよ」
目の前に引き出される。アンテノーラと呼ばれた人物はレースで装飾された黒の衣装、儀礼服というより寝巻きのような柔らかな生地に見えた。
「ああ、新人ですか、ゆっくりお楽しみください」
その人物が声を発したので、リブラは少なからず驚く。念話の硬質な感じとは違う、乾いているが素朴で柔和な声だ。
「聖女長……アンテノーラ、様」
視界を巡らす。それは常春の光景。草地と花木だけの単調ながら豊かな情景に、酒を傾ける千人もの聖女。
その光景に、ずっと違和感がある。
(聖女長アンテノーラが、他の世界牢から聖女を集めた?)
(他の水晶玉も劣化していた。一度破獄できたなら、玉を傷つけずに聖女を助けることもできる?)
(そしてこの場所で……)
違う。
そう強く意識する。この推測は間違っている。突き詰めてもどこへも行けない袋小路。
(ここは、何かの理屈でこうなった場所じゃない)
(まるで誰かの見ている妄想。定まらない春の夢みたいな、漠然としてとりとめのない世界……)
目の前の人物から受ける印象。起きている事象。それを見極めれば答えは見えてくる。
それがどんな真実であっても。
「アンテノーラ様……」
リブラは、そっと顔にかかっているヴェールを上げる。
「あ、ダメなんだよ、勝手にそんな」
「いいの」
その顔は、老いていた。
およそ皮膚の一片まで老いの及ばざるところはなく、かつては活闥であった眼光は失われ、唇は意思を伴わず、認識は定まらず現在と過去を行き来するかのよう。
リブラを見ようともせず、ただまぶしそうに目を細め、赤子のように顎を丸めようとするのみ。
「アンテノーラ様、もう、細かなことが分からなくなってたのね……」
そして法力もだ。手に触れて分かる。もうほとんど残ってはいない。
コキューテは静止している。
リブラに何を言うでもなく、そのあたりの草を見つめたまま人形のように立ちすくむ。糸が切れた人形のように。
そして宴席を満たしていた聖女たちもだ。いずれも意思の光を失い、しわぶき一つも発せずに座っている。あるいは何人かは形象を失い、蜃気楼のように溶けつつある。
「ここは、確かに暗黒の宇宙だったのね。そこにこんな大きな大地と、千人もの聖女の模倣を創造したなら、いくらアンテノーラ様でも法力を使い果たしてしまう……」
物質創造の法力、それをこのような規模で行使したことに、リブラは感嘆と同時に畏れも抱く。
ジュデッカを破獄させた後、これをやったのか。
なぜ、そんなことをしたのか。
「軽い宇宙」の虚無に耐えられなかったのか。
老いていく中で思い出の残像を求めたのか。
あるいはその妄執は、白昼夢のような日々は。
いったい、いつから始まっていたのか。
大地が崩れていく。花木はろうそくのように溶け、草原は黒ずんでチリとなり、聖女たちは次々と姿を消していく。
「双葉の繭」
大地を割ってぼこりと延びてくる若芽、それは家の屋根ほどもある双葉を広げ、アンテノーラの揺り椅子を包み込む。
「アンテノーラ様、あなたに残った法力では「軽い宇宙」で生存できないでしょう。せめてこの繭で、残りの時間を……」
――聖女リブラ。
声がする。もはや大気も失われ、虚無に近い宇宙に戻ろうとする世界で。
「誰!?」
法力を研ぎ澄ますが、念話の出どころが分からない。
あるいは異なる宇宙から響くような、限りなく遠く、あらゆる空間の隙間から染み出てくる声である。
――あなたにお話があります、こちらへ来てください。
「この声……マニット様? いや、気配が違う……。誰なの! 名を名乗りなさい!」
――私は、始まりの聖女、アビス
――あなた方が、神と呼ぶ者です。




