聖女様、太陽を何とかする
目が覚めると暗闇でした。
部屋の隅をぴしりと指さすと、銀の燭台に火が灯ります。
燭台を持ち、儀礼服を出現させつつ聖堂へ向かうと、女官が慌てて駆けてきました。
「ままま、マニット様、た、たたったたたったたたた」
「それは大変です!」
「適当に言わないでください!」
「何があったのですか?」
女官は震える手で上空を示します。
聖堂の大きく上に切り上がった窓から空を見れば、そこにあるはずの太陽はなく、何やら黒い口のようなものが見えます。立派な牙の並んだ口がぽっかりと開き、段々とこちらに向かってくるように見えます。
「太陽が消えたんです! 空におっきな口が現れて!! 太陽をぱくりと食べてしまったんです!!」
「口にゲンコツが入る人もいるそうですしね」
「関係ないと思います!」
「冗談です、どうりで寒くなってきたと思ってました」
その時、聖堂の床からにゅっと影が飛び出します。黒い幹を持つねじれた樹が急速に伸びて、誰かを抱きとめようとするかのような湾曲した枝を生やし、真っ黒い腐敗臭のする実をつけます。その実がぱっくりと二つに割れ、そこから声が響きます。
「くくく、聖女よ、どうやら貴様の終わるときのようだな」
「その声は魔王ですね、もしかして床下に待機してたのですか?」
「そうだけど別にいいだろ!」
「あれは何なのです?」
私が小首をかしげながら言うと、魔王の声のする樹の実がふふふと得意げに笑います。自分で調べるのが面倒な時は、誰かに説明してもらうに限りますね。
「あれは次元の彼方から連れてきた無業吼という生体兵器だ。体内に無限の重力源を持ち、その腹は異なる宇宙に繋がっている! 星系をまるごと食らって己の宇宙に取り込む怪物よ。その直径はざっと4天文単位。もはや人智の及ぶところではない!」
魔王は多くの世界を渡っているせいか、ときどき私の知らない単位や言葉を使います。ですが、どうせ大した意味ではないので深く考えないようにしています。
「聖凰槍」
錫杖を掲げ、そこから光を放ちます。あらゆる魔を駆逐する聖なる光ですが、どうも手応えがありません。
「無駄なこと! あいつの本体を仮に滅ぼせたとしても、この星系はすでに主星を失っている! この意味が分かるか! すでにこの星は本来の公転軌道を外れている! 宇宙の彼方に飛んでいき、氷漬けの極寒の星になるのだ!! それ以前に、直径4天文単位の生物を法力で滅ぼせるはずもないがな!! さあ喰らい尽くせ無業吼よ! この大地までもその腹に呑むのだ!」
私はそこまで聞いて、はたと首をひねります。
「「百窓の魔王」アスタルデウスよ。それでは、最終的にあなたも怪物に食べられるのでは?」
「フハハハ、我の肉体は数え切れぬほどの世界に分散して配置している。我の霊的本体があるこの宇宙が滅ぶのは惜しいが、何とか魔王の力は保てるのよ!」
「なるほど、部屋のあちこちにへそくりを隠してるから、財布を落としても何とか月末まで持つと」
「その例えは全っっっ然違うがそういうことだ!」
「ま、マニット様、この大地まで飲むのなら、最終的にあの怪物の腹の中から、太陽のある場所に行けるのでは?」
女官がそう言います。なかなか面白い想像ですが、本当でしょうか。
私は精神を集中し、「叡智の書庫」と呼ばれる不可思議な記憶領域に呼びかけます。そこは人間を含め、あらゆる生命体の知的活動を収蔵しておく場所です。私もうまくは説明できない場所なのですが。
答えはすぐに返りました。
「無理ですね、別の宇宙に行くというのは、水素原子一粒より小さな隙間をすり抜けるようなものです。太陽も我々も、物質の最小単位まで還元されて、向こうの宇宙にばら撒かれるだけでしょう」
「マニット様! 全然わかりません!」
「とりあえず太陽が無くなっていますから、この大地も大変なことになってしまいますね」
「フハハハハ! 終わりだ聖女よ! 氷漬けの星でせいぜい数日でも永らえるがいい」
「灼熱の釘。不帰の獣。見渡し、握り、失われし国に矢を放つ。聖別の蛇、錆を食らう巨人、永劫の暦は瞬きのうちに。無限牢久不絶の鎖」
私は特別な呪文を唱えます。それはおそらくは400年後、どこかの土地で狂った錬金術師が編み出した術式、それを無限の大きさに拡大させて実現させます。
空に向けた私の手から鎖が生まれ、虚空に向かって伸びていきます。目で見える範囲は石を投げる速度ほど、しかし一歩の距離で速度が倍に、それは一歩の距離ごとに忠実に倍々となって、先端は想像の限界を超えた速さになります。
「な、何をしている」
「いえ、太陽がないと不便ですので、持ってきました」
「は……?」
空にかっと光が生まれます。
女官が、あかあかと燃える太陽があるのを見て目を丸くします。
ねじれた樹が叫びます。
「なあっ!?」
「あの怪物にはお帰り願いますね」
この太陽は、従来あった太陽よりも20倍ほど大きなものです。あの怪物にしてみれば小石ぐらいの大きさでしょうか。それを思い切り振りかぶってから怪物にぶつけます。
手応えがありました。音はしませんが、人間で言うと頭蓋骨が爆散するぐらいの速度でぶつけたので、その怪物もやはり爆散、コナゴナになって広範囲にばらまかれます。
あとは太陽が大きくなったぶん、こちらの大地との距離を調節して配置しましょうね。鎖を引っ張って、と。
「ば、バカな、恒星を持ってくるなどと! いや、できたとしても、その恒星のあった星系に知的生物の住む星があったらどーするつもりだ!」
「ああ、ありましたので、それもついでに持ってきました」
「はああああ!?」
まだ見えませんが、夜になれば、夜空に緑の小さな惑星が見つかることでしょう。
そこにはトカゲのような頭を持つ人々が住んでいるようで、突然、夜空の星の位置が変わったことに大混乱しているようですが、まあ大地が移動しただけで、主星との距離も変わりませんし、別にいいですよね。
「ぐううううう!! お、覚えてろ!!」
魔王の意思を伝える樹木は煙のように立ち消え、いつもの聖堂の風景が残ります。さて、あとはこの北バルチッカの環境が変化していないか調べて、少し手入れをしておけばいいでしょう。
あの緑の星のトカゲさんたち、同じ星系のお隣さんになってしまいましたが、いつか出会える日が来るでしょうか。
叡智の書庫によれば、人々が互いの星を行き来するのは、数百年は先のことだそうですが。
いつかその日が来ることを夢見て、お昼寝でもしましょうか。