聖女様、門番を何とかする
「それで」
動く歩道を歩きながらリブラが言う。歩道の速度は秒速480万キロほど。光速度限界を弛緩させる力場に包まれ、暗黒の宇宙へ歩道が伸びている。
「何がどうなってるのよ」
「うむ、少し話を整理するぞ」
前を進むのは魔王。この速度の歩道の上では実際的な歩みなど誤差でしかないが、気のはやりのためか大股で進む。魔王はねずみ色の長裾、前見頃を合わせる服を着ていた。頭には角の生えた怪物の面を乗せている。どことなく涼しげな装いである。
「聖女長アンテノーラだ。あやつが聖女ジュデッカの肉体を使って生まれ変わろうとしている。そこまではいいな」
「うん」
「アンテノーラは俺と聖女たちの争いのさなかに姿を消した。俺はさほど気にしなかった。アンテノーラ自身を封印した覚えはないが、戦死したか、他の聖女と一緒に封印したものと思っていた。そもそも俺もアンテノーラの顔は知らんしな」
「けっこうてきとう……」
「うっさい。それでこの基本世界の聖女はマニット一人となった。のちにお前が聖女の力に目覚めて二人になったがな。そんなときにジュデッカが世界牢を破獄し、基本世界に戻ってきたわけだ」
「マニット様と戦いになってたわね」
「うむ、ジュデッカはそれなりに強力な聖女だが、アンテノーラの言葉……すべての聖女の力を束ねる、というほどではない。ここで疑問がある。なぜ、アンテノーラはまだ転生していないのか?」
「うーん、まだ生きてんじゃないの?」
「そうだな……マニットもそう考えてるようだ。アンテノーラの魂だか霊だかが肉体を離れ、ジュデッカを乗っとる前に、他の聖女たちを破獄させてアンテノーラへの力の集中を防ぎたい、そんなところか」
歩道は速度を増している。渦巻き銀河が眼に見える速度で後方に流れていき、常識的な時間の流れから隔絶していく感覚がある。
「アンテノーラ様ってどこにいるのかしら」
「神の力の及ばない場所。おそらく異なる宇宙だろう。そうでなければ神の力がマニット、ジュデッカ、そしてリブラに集中している理屈がつかん」
「まあそうね」
「……ここからは俺の推測だ。アンテノーラの計画も磐石ではなかった。マニットの存在だ」
「マニット様?」
「うむ、アンテノーラの計画の前提として、転生する時には聖女はジュデッカ一人でなくてはならん」
前方に岩の塊のような惑星が見えてきた。近くの恒星から光を受け、白く輝いている。歩道はそこへ向かっているようだ。
「おそらく世界牢でマニットも封印されると計画していたんだろう。だが俺はやつを封印しなかった。やつの力では世界牢を自ら抜けてくる可能性があるからな、この基本世界で葬り去る方がいいと考えた」
「……計画?」
「そうだ」
やがて歩道が止まる。一瞬で秒速数千万キロという減速ではあるが、歩みを止めた慣性の方を大きく感じるほどだ。
「本来の計画ではすべての聖女が封印された段階でジュデッカが破獄。アンテノーラがその肉体を乗っとり、完全なる聖女となるはずだった」
「ジュデッカが破獄してくるかどうか分かんないんじゃ……」
「だがマニットがなかなか排除されない。業を煮やしてジュデッカを破獄させ、マニットを討とうとした。都合のいいことにジュデッカはマニットに恨みを抱いていたからな」
「……ちょっと待って、それって、まさか」
そこは平たい惑星。
冗談のように球を半分に切った形状の惑星が浮かんでいる。全体は白っぽく強固な岩盤であり、平面部分の直径はおよそ三千キロ。月と同程度のサイズである。その中央、大皿の中央に置かれたゴマの一粒のような建物がある。
魔王はその付近まで飛行し、リブラも後を追った。
「すべての出来事がアンテノーラの目的に沿って動いている。ジュデッカの破獄も、俺が世界牢を開発したこともだ」
魔王はそこで背中に憂いを見せ、重たげに息を吐き、やはりそれだけは言わずにやり過ごせぬ、という苦々しさを抱えて言った。
「きわめて不本意なことだが……俺が世界牢を開発できたこと、数万に及ぶ術的なひらめき、高度で莫大な錬成式の計算。そこにおそらく、アンテノーラの介入があった」
「……!」
「俺が利用されたのだ! 聖女長アンテノーラに!」
だん、と足を踏む。周囲で小山のような岩盤が隆起する。
「そしてアンテノーラはどこにいるのか。ここまで来れば簡単なこと。ジュデッカは己の力で破獄できたと思っているようだが、そうではない。圧倒的な力が手を貸していたのだ。世界牢が一定以上の力で破れる可能性には気づいていた。おそらくアンテノーラは牢の強度まで計算して……」
「アンテノーラの居場所は、世界牢……ジュデッカのいた宇宙」
「おそらく間違いあるまい。あれに見える建物は俺が千あまりの世界牢を収めている金庫のような場所だ。こちらから世界牢に乗り込んでアンテノーラを討ってくれるわ」
「討つ……うーん。確かにマニット様とのやり取りを見てると悪い人っぽいけど、聖女の私が聖女長を討伐とか……」
はて、とリブラが眼をしばたたく。
「そういえば私はどこで協力するの?」
「……世界牢に俺が入ることはできんのだ、紐をつけてやるからお前が入って探すしかない」
「げっ、釣りのエサになれってことじゃないの」
「そう言うな、だいたいお前は分身体だし……」
二人の動きが止まる。
世界の明度が下がったのだ。真上を降り仰げばそこには。
でっかい顔が。
「うきゃあああああああ!!!」
岩肌に怒りの形相を彫り込んだような姿のものが、視界の上下左右を埋めている。おそろしく巨大な顔面。直径はおよそ三千キロほど。
「何よあれえええええええ!!!」
「落ち着け。この宝物庫の番人、岩霊バウナズだ。俺は月サイズの岩塊を二つに割り、上半分をゴーレムに変えて番人としたのだ」
『お前ら、わっしの宮殿の前で何しとーる』
声というよりは空間の伸縮のような波動。真上から降り注いで二つの岩塊の間を反射していく。ちなみに言うなればこの惑星は低圧ながら大気で満たされている。
「いざとなれば二つの岩塊を閉じることもできるのだ。そうなれば聖女とても容易くは入ってこれん」
「趣味悪いわよおおおお!! 顔きもいしいいいい!!」
「そんな評判悪いと思わんかったわ!」
『お前らあああ!! わっしを無視するでねえええ!!』
ぐっと、その岩塊が距離を詰めてくる。真上の岩塊までの距離はほんの数十キロ、ニンニクのような鼻の頭しか見えなくなる。
その鼻はといえば、世界有数の高山の数倍の大きさ。
「うおっ……ま、待てこら! 我だ! お前を創造した魔王アスタルデウスであるぞ!」
『魔王さまだああとおおおお?』
岩塊が一定の方向にスライドし、そのクレバスのような眼の部分が真上に来る。瞳などはなく、深さ数キロの穴が空いているのみだ。
『嘘こくでねええええ!! 姿が違うぞおおおお!!』
「えっ、いやおまえ魔力とかでわかるだろ。ほら声とかも」
『違うううう!! おめえ嘘つきだああああ!!』
「おええっ」
「そこ人の魔物見て吐くんじゃねえ!」
さらに距離を詰める。この平坦な大地に比べて門番の方はかなり複雑な地形をしている。頭の上におろし金が迫る感覚。
「なああっ!?」
魔王が両腕を突きだし力場を展開。その超重量を支える。
大地と門番。この二つの岩塊が月サイズとすれば、その総重量はおよそ7000京トン。
半分であれば3500京トン。魔王の肘のあたりがぴしりと鳴る。
「ぬおおおっ!? お、お前このやろ、産みの親を」
「あたしいつかこんなことになると思ったのよね……登場のたびに姿が変わるって普通に紛らわしいったら……」
「冷静に言ってんじゃねえ!」
「覚えてないの? あいつ作ったときにどんな姿だったか」
「うぐ、お、覚えてない……数万の姿を渡り歩いたし」
「部下から苦情とか来ないの?」
「けっこう来るけどそれはでも俺の個性というか売りというか……」
ぴしぴし、と指の先から何かが割れるような音がする。魔王も余裕がなくなってきたのか、多少、下手に出る感じの声を出す。
「お、おい岩霊バウナズ! お前が見た我の姿とは何だ! その姿を見せてやるぞ!」
『あーん? 魔王さまは眼が二つあって足があって腕があって』
少しの間。
『……なんかにょろんっ、としててごわーってなってて……まあ見ればわかるだ』
「ちゃんと覚えとけやてめええええええ!!!」
そんなやり取りをしつつも岩の迫る力は緩まない。魔王が奥歯を軋ませながら耐える。
「ぐぐ、お、おい聖女リブラ! お前こいつを何とかできんか! 俺はこの斥力場を緩められん!」
「うーん、大きすぎて難しいわね……逃げるだけなら何とかなるかも」
「だ、ダメだ! 宝物庫が潰されれば世界牢がどうなるか分からん!」
リブラは少し考え、儀礼服の隠しポケットから紙片を抜き出す。
「……実はね、マニット様から封筒を預かってるのよ」
「ふ、封筒?」
「うん、南バルチッカを任された時にね。何か困ったことがあったら開けなさいって。三つあって、三回まであなたの役に立つからって。ここに持ってきてるけど」
「よ、よし、きっと強力な護符か何かだ! 空けてみろ!」
「えっとね、読むわよ、一枚目は」
――あったかくして水分とってぐっすり寝なさい。
「そんなこったろうと思ったあああああああ!!」
アスタルデウスが叫びつつ、その靴が岩にめり込んでいく。
「つ、次だ! とにかく次いけ!」
「マニット様って笑いを取れば解決した感じになると思ってるフシあるよね」
「いいから読めやああああ!!」
二枚目。
――ハンバーグと十回となえましょう、となえたら裏を見ましょう
「ハンバーグハンバーグハンバーグハンバーグハンバーグハンバーグハンバーグハンバーグハンバーグハンバーグ」
――ハンバーグが食べたくなったでしょう? 食べて元気になりましょうね。
「いや別にそんなに」
「遊んでんじゃねええええええええ!!!」
どしん、と地響きが鳴る。アスタルデウスが数京トンの重みと共に膝をついた音だ。
「おっ、おい! 割とガチでやばいぞ!」
「うーん……封筒はもうひとつあるけど、これで三通目もしょーもないこと書いてたらさすがに恨みますよ、マニット様」
そして、三枚目。
――リブラ、我々は……。
「……」
「お、おいどうした、やばいもう肩がゴリって鳴って」
瞬間。
リブラが両腕を突き上げ、集中と共に叫ぶ。
「創緑!」
周囲から立ち上がる柱。轟音、そして粉塵。
一瞬の後、居並ぶのは胴回りが数十メートルはある巨木。希薄な大気の中でも億万の葉をつけ、頑健なる岩肌を掘り抜いて根を張る。
それが数十万本。天と地の大地を繋ぐ柱となって並ぶ。
「うおっ……!」
魔王が一瞬だけ眼を見張るも、その反応は早かった、斥力を解き、巨齢樹に天文学的な重量がかかる刹那、その細胞に訴えかける。
巨木は黒い光に覆われ、ぎしりと縄を絞るような音が響き渡り、直上からの重量が止まる。
『うが、う、動けねえだ』
「重鎢錥密儀。生物をタングステン鋼に置換する術式だ。もう俺たちを潰すことはできんぞ」
ふう、と立ち上がりつつ、膝のほこりを払う。足がまだぷるぷる震えていたが、そこは何とかごまかした。
「やるなリブラよ。樹木ではこいつの重量は支えられんが、俺が術を出す隙間を作れば十分と考えたか。しかしこれほどの規模とは……」
「まあね。植物創造の法力、全力で撃つのは初めてだったけど、思ったよりたくさん出せたわ」
そのリブラは三枚目の封筒を、そっと後ろ手に隠すのだった。
――リブラ、我々は聖女です。
――強い力を持つから聖女なのではなく、困難に立ち向かうからこそ特別であることを許されるのです。
――自分の力を信じてください。あなたも立派な聖女なのですから。