聖女様、対決を何とかする
「聖女長、ジュデッカはあまりに目に余ります」
マニットが呼びかける、その人物は黒いレースで顔を覆い、マニットを見ようともしない。
「子供だからでは済まされない。彼女は聖女なのです。それに、卓抜なる力を持っているのに」
黒いレースの女性は答えない。庭園の池のそばに座り、薄手の手袋に覆われた指をだらりと垂らす。
「聖女長、なぜ彼女を」
マニットの語る言葉をその人物は聞いているのか。
かたくなに心を閉ざしているのか、それとももはや、耳に入ることの意味が理解できないのか。
「聖女ジュデッカを、そばに置いておくのですか……」
※
「聖女ジュデッカよ、聖なる教えに従うのです」
どこかの山奥。うら寂れた古堂である。床はい草を編んだ畳という敷材であり、そこに立方体に近い木製の台。文字の彫られた五角形の木片が並んでいる。
「聖女マニット! 私が従うと思っているの! 私を魔王アスタルデウスに差し出し、幽閉させたのはあなたでしょう!」
かつてジュデッカはマニットにより拘束され、魔王アスタルデウスに引き渡された。
そして物質量の極端に少ない「軽い宇宙」に幽閉され、破獄するまで六年間を過ごしたという。
「仕方がなかったのです。あなたの行いはあまりに道を外れていた」
マニットはいつもの白の儀礼服。高い帽子に金属製の錫杖を持っている。
「魔王アスタルデウスの使う『世界牢』の秘密、破獄したあなたなら知っているはず」
「はっ! そんなこと教えると思ってんの!」
「それは人間ですか?」
「へ?」
「小説の人物?」
「20の質問ゲームやってんじゃないわよ!」
ジュデッカはやおら膝を折りたたみ、木製の台の前に正座する。
「どーしても教えてほしいなら将棋で勝負よ!」
「ショウギ……?」
「そうよ! 別の宇宙から持ってきた神秘のゲーム! 展開パターンはなんと10の220乗と言われてんのよ!」
「はあ、ではちょっと叡智の書庫にアクセスして」
マニットは広大な情報世界から必要な情報を入手できる。
しかしどうも似たようなゲームが多い。
「ヤリトゲボンボンのことですか?」
「えっ違うけど」
「セセヤキント星におけるヤリトゲボンボンに似てます」
「だから違うってば。この駒とか「王将」って書いてあるでしょ、棋は駒のことよ、将を駒にするから将棋よ」
「セセヤキント語だと「金持ちのボンボン」って書いてます」
「ごめんちょっと変な世界観持ってこないで」
などと言いつつも、二人は将棋盤を挟んで座る。
「では、私が勝てば世界牢の秘密を話すのですよ」
「いいわ! 私が勝ったら聖堂にあるお宝を10個渡してもらうわよ!」
「お宝……歴代の聖女が残した聖器物のことですか、いいでしょう」
にやり、とジュデッカの端正な顔が笑みに歪み、その体にばしりと静電気が走る。
瞬間、古堂の屋根を突き破って降りてくる直方体。黒一色の石碑のようなものが次々と降りて整列していく。
「それは……?」
「基本世界より科学の進んだ世界から持ってきた演算装置! その演算性能は10.8エクサflops! 浮動小数点演算性能が1秒間に10京回という怪物よ!」
そして、金属でできた人形がどしんと降りてきて、ジュデッカと場を交代する。
「このロボットが対局を代行するわ! こいつに勝てる人間のプレイヤーは存在しない!」
「交代するならなぜ一回座ったのです?」
「別にいいでしょ!」
使い魔というのはブリキのような銀灰色の体に赤い鉛ガラスの眼、動くたびに関節がギシギシと鳴って、妙に礼儀正しい様子でふかぶかと礼をする。
「ヨロシクオ願イシマス」
「はあ、よろしくお願いします」
マニットも錫杖を置き、盤に向かい合って駒に触れてみる。
「ふふ、マニット、あんたの使う叡智の書庫はあくまで情報にアクセスする術! ボードゲームの次の一手まで読めるはずないわ! 思考力ならもはや人間が電算装置に勝つなんてあり得ないのよ!」
「ゴ主人サマ、対局中ハ静カニ」
「あ、ごめん」
ゴーレムは五枚の歩をつかみ、手の中で振る。
「うん、まず振り駒で先手を決めるわけね」
「ヤリトゲボンボンで言うところのオマカセボンボンですね」
「知らねーわよ」
何やかやで対局が始まる。
ぱち
ぱち
ぱちぱちぱち
「マイリマシタ」
「はあああああああ!?」
正座を崩そうとしていたジュデッカが横にコケて、その勢いを利用して立ち上がる。
「なんでよ! まだ10手も指してないわよ!」
「私グライニナルトモウ負ケガワカル」
「ちょっとツワモノっぽく言ってんじゃないわよ!」
マニットはぼんやりとした顔のままで盤面の溝をなぞっている。
「すでに研究され尽くして勝ちが動かない棋譜を探してきたのです。電算装置は序盤は既存の棋譜を参考に打ちますが、この世のすべての棋譜を入力しているわけではありません。勝ちが動かない棋譜に誘い込めば勝てます」
「うぐぐ」
「さあジュデッカ、世界牢の秘密を」
「ま、まだよ、三本勝負よ!」
ジュデッカは駒をすべて駒箱にしまい、だんと将棋盤の中央に叩きつける。
そして持ち上げれば駒の山が。
「崩し将棋で勝負よ! 精密動作で機械に勝てるわけないわ!」
「イキウメボンボンですね」
「それはもういい……えっボンボンに何があったの」
それからしばし。
回り将棋、挟み将棋、早指しに軍人将棋やどうぶつ将棋なども経て。
たっぷり20時間。
「うーん……」
目を回し、将棋盤に突っ伏して眠るのはジュデッカである。ゴーレムはショートして活動停止し、関節の隙間からバネが飛び出している。
「ジュデッカ、私の勝ちですよ」
呼び掛けるも、もはや返答はない。
「ジュデッカ……」
身を起こし、そっと動いて反対側へ。
「うーん、マニット、なんで……」
その体に伸ばしかけた指が、熱いものに触れるかのように止まる。
「なんで私を……ここは何もない……寂しいよ……」
「……」
指先に法力を集め、ひらひらと振れば。
将棋盤は枕に代わり、体の上には毛布が覆い被さる。
「仕方なかったのです。ジュデッカ……。あなたの恐ろしさを、あなた自身も分かっていない……」
「あるいは、この世で最大の脅威とは、聖女そのもの……」
※
荒れ狂う岩場、強風と高波の中で二人の聖女が対峙する。
二人は竿をぴしりと立て、荒れ狂う波の中でウキを見逃さぬように構える。
「忘れんじゃないわよ! 私が勝ったら聖堂のお宝を30個!」
「いいでしょう、あなたが負けたなら世界牢の秘密を……」
そこから遥かに遠い場所。
戦いを眺めるのは魔王アスタルデウス、300キロはありそうな肥満体の姿になっていた。ソファに座りつつポップコーンにブランデーをふりかけ、タラコのような指でもさもさと食らう。
「うーむ今日の戦いもなかなか白熱」
「のんびり見てんじゃないわよ」
横から出てきた金巻き毛の少女。
聖女リブラが、モニター代わりの水晶玉を蹴り飛ばす。
「あーーーっ!?」
「うわ酒くさっ、昼間っから飲んでんじゃないわよ」
「いやちょっと待てなんでお前が」
「分身体を送り込んだだけよ。あんたもやってることでしょ。ここはあんたの本城でもないし」
確かに、魔王アスタルデウスの本体はこの基本世界の遥か遠方にあり、聖女たちと戦っているのは分身に過ぎない。
実のところ、かつてはマニットもよく分身体を送り込んできていた。それで配下の魔物を倒したり城を潰したりしていたのだが、そのような戦いは歩の突き合い。戦況に大して影響を与えないために行われなくなった。
「何の用だ! いまマニットとジュデッカが戦ってる最中だろうが!」
「聖女が磯釣り対決して何が面白いのよ」
「いや面白いとかそういう問題じゃないだろお前、あれでも世界の命運かかってんだよ実は」
「それに二人とも、本気でやる気なんかないのよ。マニットさまはジュデッカを本気で攻撃できないし、ジュデッカじゃマニットさまを倒せないし」
「まあ確かに」
ここ数日マニットがジュデッカに接触し、世界牢を破獄した方法に迫ろうとしていることは察している。
だが勝負はいつも有耶無耶になっている。魔王としてはジュデッカが口を割ることはないと踏んでいるので、どこかでタナボタ的な勝利が手に入らないかと見守っていた次第である。
「そんなことより、ちょっと聞きたいことがあんのよ」
「何だと、なぜ私がお前に情報を渡さねばならぬ」
「まあいいじゃないの、のどちんこ掴んだ仲でしょ」
「そんな友情の始まり知らない……」
リブラは腕を組み、どこか神妙そうな様子で訪ねる。
「……聖女ジュデッカは、どうして魔王に突き出されたの?」
む、と魔王は少し眉をしかめる。巨漢の姿のため顔はしぼみかけのビーチボールのようだ。
「当時は子供だったんでしょ。いたずらっ子だったらしいけど、魔王に引き渡して幽閉させるなんてムチャクチャだわ。よっぽどの事情がないとありえない」
「……知らぬ。あの頃は他にも大勢の聖女がいた。中には極端な考えの者もいたし、聖女の間で仲間割れも起きてたからな、そういうものの一つだと思っていた」
「何も聞かずに受け入れて世界牢に閉じ込めたの? 魔王としてそれどうなの?」
「別にいいだろ。出前の兄ちゃんが「すいません間違えて一皿多く持ってきちゃいました、これタダでいいです」って言われたら受け入れるだろ」
「たとえがマニット様みたい……」
「うわすげえ傷つく……あいつの影響だけは受けたくない……」
そんなことより、とリブラは話を切り替える。
「じゃあ私と一緒に見に行きましょ。当時のことを知れば、あんたの利益にもなるかもよ」
取り出すのは時計である。白無垢の置き時計であり、蝶や魚の象嵌がある。
「時の聖女ラプラスの極光時計。これがあれば過去に行けるらしいわ」
「!! お前、それは北バルチッカの宝物庫にあるはず!」
「でもこれバカげた力が必要なのよね。私じゃとても起動できないの。魔王なら何とかなるでしょ」
「うむむ」
一瞬、魔王はその時計を奪うことを考える、当然だろう。
だが無理そうだ。リブラとの間に法力のつながりがいくつか見える。無理に奪おうとすれば自壊するか瞬間移動するか、奪われない保険は打っているようだ。
「ジュデッカとはあまり敵対したくないの。よく知らない人だけど同じ聖女だしね。追放された理由をマニット様に聞いても教えてくんないし」
「ふむ……」
魔王は腕を伸ばし、その時計に触れる。
「……これは過去に戻る道具ではないな」
「え、そうなの?」
「これは言わば日記に近い。過去のあらゆる時空の粒子振動、それを数百兆エクサバイトという単位で記録し、過去を再現する装置だ」
「まあ何でもいいわ。それで過去のことが分かるんでしょ、起動させてよ」
「いいだろう。どうやら電力で動くようだな、恒星の10分の1ほどの出力を要求されるが、我ならば……」
そして力を送り込めば、時計の針がめまぐるしく回転。
周囲の景色が砂絵のように崩れ、無数の人間が駆け抜けるような感覚があって、崩れたものが一瞬で再構成されて……。