聖女様、雑草を何とかする
「聖女様、大変です!」
と言いつつ女官が執務室に入ってきました。書き物をしていた私は羽ペンを置いて顔を上げます。
「どうしたのですか」
「中庭の雑草がひどいんです!」
「はあ」
私は数秒だけ固まって。
そして勢いよく立ち上がって長衣と錫杖を出現させます。
「それは大変です! さっそく対処しましょう!」
「……マニット様、これで仕事サボれるとか思ってますね?」
「だって大教区への報告書って大変なんです。北バルチッカと向こうはやり取りができなくて一方通行ですし、先月と同じ内容を書くことになるので」
「先月と同じ報告送ってますね?」
まあそれはともかく。
「しかし雑草ですか、聖堂には庭師の方がおられるでしょう?」
「それが……」
そこは第二図書室の手前にある中庭です。建物に四方を囲まれてあまり日の当たらない場所ですが、今は人の背丈ほどの雑草が生い茂ってます。草の海です。
「サラダみたいになってますね」
「全然そうは見えませんけど、まあこれを見てください、庭師の方のハサミです」
それは庭師の方が使う園庭バサミです。短剣を二つ合わせたような大ぶりのものですが、刃が欠けてボロボロになっています。
「朝から草刈りしておられたんですが、刈っても刈っても生えてくるとかで、ハサミが痛んだことにショックを受けて医務室に」
「それはお気の毒ですね、後で法力で修繕しましょう」
しかし、次から次へと生えてくる雑草ですか。ヤギさんが喜びそうです。
「魔王ヤギよ、さてはあなたの仕業ですね」
「誰がヤギだ!」
私の呼び掛けに、回廊の天井の一部が剥離し、そこから逆さまになったピエロのような姿の魔王が出てきます。
「言っとくが俺は知らんぞ、あと簡単に見抜くんじゃない、今回の隠密術は最新のやつで」
「いえ別に見抜いてません。呼んだら出てくるかなと思ったので」
「……お前な、料理にはその裏で料理人の苦労とかがだな……」
私は魔王の言を無視して、錫杖で雑草の海を示します。
「魔王アスタルデウスよ、あなたこういう地味な嫌がらせ好きでしょう」
「俺がいつそんなキャラになった!」
「騎士団長さまが「痛風がひどい」と言ってたでしょう」
「それ俺のせいにされてんのか!?」
ピエロは天井を踏み鳴らして怒ります。
「というかマニットよ、俺はガチで知らないから多分お前のせいだぞ。法力のこもった私物を落としたとかだろどーせ、それでモサモサ生えてきてんだよ」
「……」
私は顎に指をくっつけて考え、女官の方を振り向きます。
「聖女って肥料の匂いとかします?」
「しませんから、妙なこと言ってないで何とかしてください」
まあともかく、この中庭はお昼寝スポットなのです。何とかせねばなりません。
「では雑草を除去しましょう。風象刹」
錫杖の先から不可視の真空波が出て、雑草を薙ぎ散ら。
そうと思ったら法力が反射されました。回廊を数千の風の刃が突っ走ってズタズタに切り刻みます。
「んきゃあああああっ!」
「ぬおおおっ!?」
女官が叫ぶ寸前に防壁が間に合いました。魔王もなんとか防御したようです。
「法力反射ですね。かなり高位の術です」
「あのマニット様、もしかして私いま死にかけました?」
「大丈夫ですよ、死んでも蘇生させますから」
女官の顔はひきつってましたが、特に逃げ出しはしません。下手に私のそばを離れると逆に危険ですからね、さすがに慣れたものです。
「く、くははは、哀れなものだな聖女マニットよ、雑草ごときに苦戦か」
魔王はそのように笑います。私は少し考えて、アスタルデウスに錫杖を向けました。
「アスタルデウスよ、そういえば雑草刈るのとか好きでしたね」
「そんな雑に振られたってやらんからな」
「いいんですか、雑草刈り勝負で私に勝つチャンスですよ」
沈黙。
ピエロメイクの魔王は白塗りの顔で押し黙り、やがて体を反転させて地面に降りてきます。
「ふははは、やがて万物の長となるこの魔王アスタルデウスの力を見せてやろう」
「マニット様、なんか受け入れましたよ」
「よほど勝利に飢えてたのでしょうか」
魔王はそんな囁きは聞き流し、空間に黒い穴を出現させると、そこに腕を突っ込みます。
「園庭バサミなど原始人の道具よ、この芝刈りカッターで一掃してくれる」
それは丸形のノコギリが長柄の先についた道具です。腰の機械から動力を受け、ノコギリが回転するようですね。
「見ておれ、ステンレス刃の切れ味を」
魔王は中庭の端から始め、まず廊下に接する範囲を刈り始めます。
ばりばりばりばり
ばりばりばりばり
端まで来て振り返ると、変わりない雑草の海です。
「あれっ!?」
「ふぐ……」
魔王が素早くこちらを向き、私はさっと顔を背けます。
「いま笑いやがったな」
「いえ、その……ふ、刈るそばから、も、もりもり生えてくるのがちょっと……んくっ」
「ま、マニットさま、んふ……、だ、ダメですよ笑っちゃ……うくく」
「ええいっ! 聖女が含み笑いすんなっ!」
魔王は丸形ノコギリを放り投げ、また暗い穴に手を突っ込みます。
「非文明人どもよ見るがいい。化学の力があれば刃物など不要。除草剤で一掃してくれるわ」
魔王は白い瓶型の容器を取り出します。叡智の書庫にアクセスしたところ。ポリエチレン容器というもののようです。
「フハハハ、非選択的除草剤グリホサートよ。耐性を持たぬ植物すべてを枯らし、土壌への悪影響も少ない、これが文明の利器というもの」
雑草の中から草のつるが伸びてきて、その容器を引ったくります。
「あっ」
そして別のつるが伸びて器用に蓋を空け、中身を水浴びのように庭全体にかぶり。
げふ。
どこからか、わざとらしいげっぷの音。
「ダメみたいですね」
「ぐぬぬぬ、植物ごときが魔王をナメおって、ならば強力な毒物を大量に」
すると藪の中から数本のつるが伸び、魔王の腕に絡み付きます。
「えっ」
ぎゅおおお、と雑巾を絞るように細っていく腕。
「ああああああっ、てえいっ!」
魔王が手刀で己の腕を切り飛ばす瞬間、さらに飛来する花。円形に花びらをつけた小ぶりな花が高速回転しながら飛び、魔王が瞬時に張った防壁に食らいついてがりがりと火花を散らします。
「うおおおっ!? こ、この花びらダイヤのように固いっ!?」
さらに奥から、しゅるしゅると伸びてくるのは大輪のヒマワリです。茎が麻縄のように柔らかく、蛇のように鎌首をもたげて花を魔王の防壁に張り付けます。
「やっ、やばいっ!」
魔王は瞬時にその場から離脱しつつ自己を岩で包みます。そしてヒマワリの花から衝撃波が生まれ、放たれる無数の散弾。音速の数倍で射出されたヒマワリの種です。鋼鉄ほどの固さがあり、防壁ごと背後の建物を粉砕します。
「うぐぐ、こ、こやつ何という凶悪さ……」
私はというと女官を背にやり、やはり防壁で身を守っていましたが、そこではたと首をかしげます。
「おかしいですね、この雑草、邪悪さが感じられません」
「おまえ今の見てたか!?」
魔王は何やら憤慨してますが、気配の無いものは仕方がないのです。私は錫杖をかざして、草むらの気配を探ります。
「やはり邪悪な気配がありません。赤子のように安らかな気配です」
「錫杖腐ってんじゃねえええええの?」
ならば、と、私は精神を集中させます。
やがて私の全身を白光が包み、体重を無くしたかのように静かに歩を進めます。
これは聖沓水歩。
精神から一切の邪念を消し、あらゆる敵意をそらす境地です。私が歩を進めると自然に草が左右に分かれ、歩むほどにその草は花をつけ、蝶が舞い、草から刺が失われ、虫が地に隠れて草の丈も短くなります。
そして中庭の中央、そこにいたのは金色の髪を持ち、赤い衣を着た少女です。
「リブラ」
彼女は薄緑色の繭のようなものに包まれていました。深い眠りの中にいるようで反応がありません。赤子のように手足を丸めて眠っています。
「なるほど、サナギになっていたのですね、この異変はあなたの影響でしたか」
「ちょっと待てえええええいっ!!!」
魔王が両手を振り乱して叫びます。切り飛ばした腕は再生させたようです。
「そんなん知らんぞ! 聖女ってそんなんなるのか!? 見たことないぞっ!」
「魔王よ、聖女として成長することがどういう段階を踏むのか、それは千差万別なのです。急に髪が白くなるですとか、瞳が青くなるなどという奇跡はいくつも伝わっています」
「程度があるわいっ!」
魔王はひとしきり叫んだあと、息を荒げつつ憎々しげな眼になります。
「……すると、その娘は一人前の聖女に近づきつつあるのか」
「そうです」
魔王が指を鳴らすと、雲の上からロープが降りてきました。魔王はそれを握って音もなく上昇します。
「ならば次は容赦はせぬ。マニットよ、その娘が聖女とはいえ、お前ほど飛び抜けた怪物ではあるまい。果たしてこの魔王との戦いに生き残れるかな」
「……」
魔王は空の高みに消え去り、いつの間にか中庭もただの芝生に戻っていました。
リブラは私の腕の中で眠っています。薄緑の透き通った繭に包まれたまま。まだこの世の厳しさを知らぬ胎児のように。
「ま、マニット様……」
「儀式の準備をお願いいたします。リブラが目覚めたら、聖女としての位階を授けねばなりません。大教区におわします教皇様とは連絡が取れぬため、私が代理にて聖別を行い、位階を授けます」
「は、はいっ」
もう少し先だと思っていましたが、この時が来てしまいました。
私がこの地でリブラを守り続ける、そのような道も考えずにはいられませんが、それはできません。聖女は誰かに守られる存在ではないのですから。
それに、彼女には使命がある。かつて失われた国の片割れ、美しき野山と町並みを取り戻す戦い。
南バルチッカの奪還という、使命が。