聖女様、魔王を何とかする
ちょっとした小話の集まりです
余裕のあるときに続きを書けるといいな、と思い連載形式としてますが、やるとしても時々になると思います。
朝の光で目を覚ましたと思ったら昼過ぎでした。
ゆっくり起き上がって伸びをして、ベッド脇の水差しから清水をコップに注ぎます。ヒランド山脈から汲んできたという谷川の水が喉を潤してくれます。
部屋を出ると控えの女官が待っていました。
「マニットさま、また寝坊ですか?」
私ははたと立ち止まり、女官の顔をゆっくりと見て、静かに語りかけます。
「完テツです」
「聖女が堂々と嘘つかないでください!」
「違うんです、夜を徹して体力の回復と消化吸収に努めてたんです」
「それは寝てたと言うんです! というか夜中になんか食べましたね!」
女官は肩で息をしつつ怒鳴り、やがて表情を整えて腰で手を組みます。
「まあいいです、それより騎士団長さまがお見えです」
「あら、また何かの討伐依頼でしょうか」
歩きながら両手をポンポンと何度か打ちます。絹の寝巻きは裾の長い儀礼服に変わり、頭には山型の帽子が、手には錫杖が現れ、さらに全身に金と銀の刺繍が走ります、デザインはこんな感じだったでしょうか。
聖堂へ行くと騎士団長のゴーシェさまがいました。髪のすっかり白くなったお爺ちゃんですけれど、鎧を着てても分かる鋼の体躯の持ち主です。
ゴーシェ様は剣を石の床に置いて、ひざまづいて頭を下げます。
「マニットさま、ご機嫌麗しく……」
「挨拶は不要ですよ、また魔王軍の怪物が出たのですか?」
「はい……百の頭を持つ巨大な蛇王が、南西の村々を滅ぼしつつ北上しているとの報せが」
「わかりました、我が目に全て知ろしめせ、四方久遠図」
瞬間、聖堂の大広間がにわかに暗くなり、その床に光の線が走ります。線は凄まじい速さで行き来し、交差し、この私、神官マニットの管轄圏である北バルチッカの図を描きます。
「隠形の足音を聞き、魂の雛形を示せ、転封転象」
地図の一角に人形が生まれます。黒曜石か石炭のような黒い石人形で、胴の短い蛇の姿をしています。これが蛇王のようですね。
蛇の人形は地図の上をのそのそと歩いています、この縮尺でこの速度だと、村も森もバラバラに引き裂きながら進んでいるのでしょうね。
「極雷の僧正」
蛇の頭上に、座布団ほどの大きさの黒雲が生まれ、ぴしゃんと雷を落とします。現実だと村ひとつほどの太さの雷が落ちたことでしょう。
ゴーシェ団長はその様子を見て青ざめた顔をしています。
「お、お見事……、さすがはバルチッカの聖女、マニット様……」
「世辞も不要です」
私は言い、騎士団長の方に視線を向けます。
「それより。私に何か用でも?」
「……フン」
急に、騎士団長の体が倍に膨れ上がります。鎧は砕け、下当ての布は引き裂かれ、腰の留め具も弾け飛んで剣が石の床に落ちます。
その体は聖堂の天井に触れるほど肥大し、肉は裂けて触手のような血管が噴き出し、体から悪臭のする毒液を撒き散らしてなおも膨らみます。
「よく見破ったものだ。気配を隠すため、この祝福された鎧を着て、大量の聖水を飲んでいたというのに」
「変装だったのですか、そういう健康法かと」
「魔王が聖水飲んで健康になるか!」
「それはともかく、本物のゴーシェさまはどこに?」
探そうと思えば探せますが、面倒だったので尋ねます。
「ただの人間が蛇王に立ち向かえると思うのか、聖女よ。藁のように踏みしだかれて終わりだ」
「立ち向かったのですか? どうして? 山のように大きな蛇王に勝てるわけないでしょう?」
「…………いや、どうしてとか言うなよ。騎士団長だろ、義務とか色々あんだよきっと」
「なるほど、逃げたら敵前逃亡で恩給がもらえなくなると、どうせ死んでも私の法力で蘇生できる計算で」
「そーかも知れんけど! 魔王でもそこまで言わんわ!」
「まあ分かりました、無限環蘇生」
光の地図の一角に、金粉のようなものが降り注ぎます。その場所で滅びた人々、動物、植物や微細な生物、そして建物や道具など形あるものが復元しているのです。
「くっ……」
騎士団長が、いえ、「百窓の魔王」アスタルデウスが、悔しげに呻きます。その体は真っ黒になって膨らんでいます。聖水を飲んで体が膨らむなんて、パン生地みたいな人です。
「いい気になるなよ聖女よ、我がなぜ、この地に魔物を差し向けていると思う?」
魔王の問いかけに、私ははたと考え込みます。
「……早く差し向けないと腐るから」
「うちの魔物は牛乳か!!」
肥大した体で地団駄を踏み、私に指を突きつけます。
「この地を落とせば世界は我のものになるからだ! この意味が分かるか! お前で最後なのだ! もはやこの世界の九割九分九厘までも我が物となった。後はこの北バルチッカのみ、貴様の守るこの矮小な土地だけだ」
「……」
「貴様は確かに「千の聖女」の中でも頭抜けた力を持っていた。だが人間ごときがいつまでも魔王を退けられると思うな。百の世界の扉を開く我が魔術によって、隣の世界へ、さらに隣の世界へと門を開いているのだ。
およそ人間の想像も及ばぬ異形が、怪物たちがこの地を引き裂くであろう」
「どのような怪物も、この目で見た瞬間にそれは人間の想像しうる存在となります」
私は冷めた目をしてその魔王を見ます。どうせ魔王の本体が北バルチッカに踏み込んでくるはずもなく、傀儡を相手に凄んでも虚しいだけなのですが。
「ですが、神の御技は違います。神の力は、人間の想像も、世界の法則すらも常に越えるのです」
「ふん……滅びかけた人の領土のきざはしで、その強がりがいつまで」
「あなたは千の聖女のうち、九百九十九を倒したかもしれない」
私は語意を強めて言います。
「ですが、聖女は数を減じたわけではない、千に分割していたはずの力の道が、完全なる一つになっただけのこと」
「何だと……」
私は魔王に指を向けます。毒素は浄化して、精神にも防壁を張ってるとは言え、その醜悪な姿は長くは見たくありません。
「白光」
一瞬でした。指先から放たれる光が、悪しきものをすべて滅ぼし、砕けた無機物を復元します。今のことは夢であったかのように、あとには聖堂の大広間が広がっているだけでした。
私はあくびをひとつして、自室に戻ります。大広間を出てすぐの所にお付きの女官が倒れていました、魔王の姿を見てショック死したのでしょう、手を叩いて生き返らせます。
春の日々はいくら寝ても眠たいものです。私は自室にてまた羽毛のベッドに入り、脇の水差しに目を向けます。
水の量があとわずかになっていました、水差しの側面に手を当てると、ごぼごぼと気泡が沸き立ち、水嵩が口元のあたりまで回復します。
ヒランド山脈の谷川。もはやその場所は灼熱の泥に飲まれて消えたそうですが、少なくともこの水差しだけは、その水で満たしておきたいものですね。