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第二章

   第二章


動物園の前にあるレストランで交流会があるから、一緒にお茶でもと誘われたが、荒木は手を振って別れた。

白狐の檻に近づき、話しかけてみる。


「ごめんよ。おれがふがいないばかりに、こんな狭い檻にとじこめられちまって」

 地面に横たわり、とんがった鼻をコンクリートにつけていた耀狐は、ぴくりと耳をそば立てた。この半年間、毎日のように信仰心を注ぎ込んでくれた大恩人である。忘れるわけがない。

「このうえ、作家になりたいなんて都合のいい願い、聞けるわけないよね」


 ちょっとあきらめたように、荒木は言った。

 耀狐は、声にならない声で叫んだ。

  もちろん、荒木には聞こえていない。そこまで充分な神通力は、まだ充電されていないのである。

 そのとき背後で、何か大きな影がよぎった。


 耀狐は、さっと顔をあげた。

 ―――気をつけて! あいつよ!

「やっぱ、おれには才能がないのかな。中島にはクソミソに言われるし、なんど投稿しても採用されないし」

 荒木のことばも最後のあたりになってくると、お祈りと言うより愚痴である。なにしに動物園までやってきたのだろうかと耀狐はじれったくなってきた。


 ―――後ろよ、見て! 危険が迫ってるのよ!

「よぉ、フリーターくん。仕事もしないでいい身分だな」

 どす黒い声が、背後から飛んできた。

 荒木は、勢いよく振り返り、後ろ側につんのめりそうになった。

 イノシシのようにみにくい顔。大西だ。手にライフル銃。ピタリと荒木に照準を合わせている。

「おまえのおかげで、警察の包囲網から抜け出すのがやっとだった」


 恨めしそうな顔で、大西は言った。

「だが、この逃亡劇もこれで終わりになる。オレは半年の間ここにかよいつめて、動物園の合い鍵を作り、檻のなかに入ることができるようになったんだ」

「―――まだお狐さまをあきらめてないのか。いいかげん、目を覚ませよ」


 荒木はかえって胆が据わるのを感じた。ああやって脅すぐらいしか、相手は方法を知らないのだ。

「警察に自首しろ。おれの怪我はともかく、貴重な動物を殺すのは、世間的にもマズいんじゃねーの?」

「オレは、カネが、欲しいんだ!」

 大西は、噛みつくようにわめいた。

「なんでそんなに欲しいんだ? 二百万といえば大金だよ?」


「おまえに教える義務はねえっ。カネをよこせばいいんだよ!」

 ライフル銃がピコピコ動く。

「わかった、わかったよ」

 荒木は、なだめるように手をあげた。


「おれが、その二百万、なんとかするから、お狐さまを殺すのはやめてくれ」

 大西は、疑い深いまなざしになった。

「マジかよ」

「ウソ言ってどうするんだよ」

「証拠はどこにある」

「おいおい、半年前にひとを撃っておいて、そりゃないだろ」


 ―――だめよ! あいつがやってくるわ! あいつがここに、ここにやってくるのよ……!

 耀狐は、檻のなかであばれた。

 大西は、目を細めている。

「これ以上、ここにいるのはヤバい。そういえば、おまえ、作家志望なんだってな? 三枝たちのマネをするのか?」


「おい、それはどういう……」

意味なんだ、と問うまえに、大西はライフル銃を抱えて脱兎のごとく駆けだした。

「見つけたぞ! 追え!」

 警官たちの声が響き渡る。

 荒木は、ぽかんと大西の去ったあとを見送っていたが、ふと足元を見て目を近づけた。

「―――鍵だ」

 動物園の檻の合い鍵であった。




帰宅して、頭をひねった。

 二百万は、たしかに大金だ。フリーターとして十八歳の頃から働いて、こつこつ貯めたお金である。もともと、車を買うために貯蓄していたのだが、お狐さまを救うのだと思えば、がまんできる。

 お金は貯めれば戻ってくるが、命は失われたら戻ってこないのだ。



 しかし、あの大西の顔。なにか企んでる顔だった。三枝のマネをするのかと問う、謎めいたあのことばも気になる。

 作家志望のひとりとして、今回の経験はネタになったと言えるだろうが、そのまま書くのはためらわれる。大西は、自分を殺そうとしたわけではなく、お狐さまを殺そうとしたのだ。もし、彼女にことばを話す能力があれば、大西を改心させられるのだが……!


 突然、稲妻のようにストーリーがひらめいた。白狐の耀狐が動物園で、殺人事件に巻き込まれるのだ。そして、それをおれと一緒に解決する。ラストはもちろん、動物園からの解放だ。

 ところが最初の五ページを書いたところで、いきなりスランプが来た。


「うーむ……」

 推理小説を、読んだことがない。主な愛読書が異世界ライノベなのだから、当然と言えば当然かもしれない。うまくいくと思っていたのだが、世の中はそれほど甘くない。


 ―――途中まででいいから読ませろよ。

 中島のことばが脳裏をくすぐった。

 酷評されることはわかっていたが、とりあえず居酒屋で酒をおごって、五ページ書いた小説を批評してもらうことにした。

 アイデアがもらえるかもしれない。


 

「びみょーだね」

 中島は、居酒屋でから揚げをつつきながら、きっぱりと言った。

「雌の白狐が殺人事件を解決するって、あり得ないだろ。普通の小説を読ませろよ。ライノベだったら、学生生活とか、お仕事の小説とか、ジャンルはいろいろあるだろう?」

 それが書けたら苦労はしない。荒木は、三枝に誘われた同人誌、『歯車』に思いを馳せた。同人誌に参加したことはないが、投稿者たちは、もう少し甘い批評をしてくれるのだろうか。


「最近の学校を知らないんだよ。流行もわからないからさ」

 荒木は、いいわけがましいと自分でも感じている。

「まともな小説が書けないようじゃ、作家にもはなれないぜ。どうせならちゃんとしたものを書けよな」


 中島はそう言うと、投げ出すようにビールをあおった。

 ひとしきり、酷評を聞けたあと、中島と別れてふらふらと二キロむこうの動物園の方向へと向かっていた。ふだんはバスだが、こんな夜更けではもう最終便も出ただろう。家に帰っても、やることはないし、家族もバラバラで会話もない。まっすぐ帰る気にはなれなかった。


 なぜなんだろう。ほかの連中はうまくやってるのに、おれだけなんで、うまくいかないんだ?

 着眼点は、いいはずだ。荒木は、ぐじぐじと考えた。白い雌狐が動物園で殺人事件を解決する。ありそうにない設定で、面白い。赤川次郎だって、吸血鬼がテーマパークで殺人事件を解決する小説を書いている。それが白狐になっただけで、なんでここまで言われるんだ? おれには筆力がないのか?




 一方、耀狐は街灯の下で、白い毛並みをキラキラさせながら、荒木を待ち構えていた。

 荒木がここへ来ることはわかっていた。彼の物語のキャラクターなのだから、当然だ。

 神通力を失った神の使いとして、動物園に閉じ込められていた。



 しかし、荒木が物語を作り始めた時から、神通力が戻り始めていた。

 からだの五割ほどたまった神通力を使って、荒木から合い鍵を返してもらった飼育員に軽い催眠術をかけた。飼育員は単純な男だから、術にかかりやすかった。そのまま彼女は檻から脱出した。

「葦山に、引っ越してもよろしゅうございましょう」


 近くで、野良猫がにゃあと鳴きないて感想を述べる。

「耀狐さまが人間を気にする必要はないのですよ」

「あいつがここをうろついていることがわかった以上、やっつける義務があたしにはあるのよ。それに、葦山に行ったら、また動物に逆戻りじゃないの」


 大西なんて、メじゃない。

 耀狐は、イライラしながら、首を伸ばした。雑居ビルからロータリーへつづき、百メートルほどつづく街路樹。そこには、さまざまな遊具やモニュメントなどがならんでいる。村おこしということではじめられたのだが、ちっとも観光客が来ないので、すっかりさびれ、なにをやっても無意味だという、無力感がただよっている。


 ―――心の隙をつくっちゃ、あいつにいいように操られる。

 耀狐は、こほんと咳払いしてみた。だいじょうぶ。声は出る。あの荒木の小説のように話せば、きっとなじんでくれるだろう。


 しつこく絡みついてくる野良猫を追っ払った。神の使いは、猫など相手にしないのだ。

「もしもし」

 耀狐は、ふらふら歩いている荒木に呼びかけた。

「荒木さん、こっちですよ」


 振り返った荒木は、虚脱した目でこちらを見つけていた。あー、と耀狐は暗澹あんたんたる気持ちになった。あいつに見つかってしまう。


「あんた、だれ」

「やだ、耀狐ですよ。途中まであなたの書いた小説の主人公の」

 説明がめちゃくちゃだった。荒木は眉をひそめる。


「あらー。小説の登場人物が現実社会に出てくるなんて、よくあるライノベだと思ってるでしょう」

 ギョッと荒木の顔が凍り付いた。わかりやすいヤツである。か、かわいい。


 耀狐は、荒木が危険にさらされていること、そして途中で終わった小説の主人公を食い荒らす敵がいることを荒木に教えた。

「もし、話に結末をつけなかったら、その敵が話の主人公だけでなく、作者そのものを喰ってしまうの」


 耀狐は、そう結んだ。荒木は、顔色を青くして黙りこくってしまった。

 信じがたい話だろう。

 だが、事実なのだ。

 大西は、たいした脅威ではない。警察に追われている身では、荒木に危害を加えることもできないだろうし、だいいち荒木は二百万を用意すると大西に約束している。自分勝手な男だが、大金を用意してくれる人間を敵にまわすほど、愚かではないだろう。

 そんなヤツより、あいつを退治するのが先だ。


 名前のない、あの怪物を。

 でなければ、荒木が危ない。

いや。

 荒木だけではない。

『歯車』の連中も、危ない。

 あの、趣味で同人誌をしている連中も。


『歯車』の三枝は、自分たちも危機に陥っているという事実を知っているのだろうか。

 自己愛たっぷりの小説を自費出版しようとしている。怪物に喰われたんじゃ意味はないのに。

 耀狐は、あの同人誌仲間を護りたかった。そして護れない自分が、情けなくて歯がゆくてならなかった。


 だって自分にお祈り一つしたことがない人間なのだ、どうやって護れというのか。神通力は、お祈りという礼拝を通じて働くのだ。

 もちろん荒木は別だが。

 あの信仰心。

 そして勇気。


 あたしをかばって、二百万を用意すると言う。

 そんなことを言ってくれた人間は、荒木しかいない。

 かれが危機にあるのなら、助けるのは当然であった。


 神通力さえ充分にあれば、荒木の力を借りなくても、自力であいつを退治できるのだが。

荒木を巻き込んでしまうことに、耀狐はかなり、良心の痛みを感じてしまう。


 ―――おまえらに、反撃のチャンスをやろう。

 居酒屋から荒木がここへ来る直前、キキキと笑って怪物は言ってのけた。

 ―――荒木の才能は、目をみはるものがある。おまえも、そう思うだろ? あいつのためだと思えばいい。

 

 そして、耀狐は、こうして、荒木を使って、小説の結末を着けさせようとしている。

 あたし、やっぱり創作上のキャラクターだから、ぶれてばかりいるのかしら。好きなひとを危険な目に遭わせようなんて、矛盾していると自分でも思う。荒木の困った顔が見たい。そして、助けてと言ってくるのをしたり顔で待ち構えたい。


 まだ話は作ったばかりだから、これから荒木は矛盾点とかを練り直すのだろうか。もし、荒木が中島に自分の出てくる小説を見せる前に、もうちょっと考えてくれたら、荒木も危険な目に遭わなくて済んだろうに……。


 あのとき、大西の影にいたあいつの気配を思い出し、耀狐はぶるっと身を震わせた。

荒木のこと、こんなに気になるのに。

 あたしはなぜ、わざわざかれを、危険にさらすんだろう。


「話を中途半端に終わらせたばかりに、殺された人たちがいるの。犯人を捜さないとあなたも危ないわ! 早く来て!」

 耀狐は、荒木を引っ張って動物園を歩き始めた。


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