二人目と扉の音
見れば、入部希望の欄に『美術部』と書かれている。
「……何かの間違いですか、ドッキリですか」
杏先輩が疑うように訊く。
林くんは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「俺、中学の時、野球部だったんスけど、肘と肩を壊しちゃって。だから高校では別の部活に入ろうって考えてたんス。そこで起こった入学式後の誘拐事件ッスよ。これは運命なんじゃないかって」
「そんな理由で? なんか、ごめん」
李先輩が頭をさげた。
「いやいや、それだけじゃなくって、元から美術には興味はあったんスよ。美術っていうか、ゲームのキャラデザとか、背景とかなんスけど。これ、俺も描けたらカッコいいよなって、ずっと思ってたんス。
あと、ほら、体育祭で組ごとに看板、描くじゃないッスか。赤組は鳳凰、白組は白虎とかって、描いて組のテントに飾ってあるやつ。あれも、描きてぇって。
あの……こんな理由じゃ、ダメッスか?」
林くんは入部届を持って立ち上がり、先輩たちに向けて差し出した。杏先輩が横目で李先輩を見る。視線を受けた李先輩は、ふっと微かに笑い、入部届を受け取った。
「一年四組十六番、林柚樹。希望する部活動、美術部。はい、たしかに」
林くんの顔が輝く。
「でもね、柚樹くん」
「はい」
「提出先、顧問って書いてるの、見落としてるよね」李先輩は入部届を林くんに差し出し、「顧問は河合先生だから。先生に渡してね」
とたんに林くんの顔は赤くなり、受け取った入部届を見てさらに赤みを増した。マジだ、書いてる、と呟くと、そのまま入部届で顔を隠した。
「やったね、一人目確保!」
杏先輩が李先輩に飛びついた。が、李先輩は軽くそれをかわし、「さ、片付けるかな」と水差しやパレットを手に、水道に向かった。
そうだ、鉛筆。あたしは鉛筆を取り、杏先輩に差し出した。
「杏先輩、鉛筆、ありがとうございました」
「いいよぉ。この鉛筆も、久しぶりに使われて嬉しかっただろうし。どうだった、描いてみて」
あたしはひとつ頷いた。
「色を塗らなくても、林くんに作品として見てもらえてよかったです」
「それは明音ちゃんが上手だからだよ」
「いや、そんなことは」
慌てて両手を振り、否定する。
「まあいいけど、認めなくても。で、どうする? 続ける、続けないは決まったかな」
杏先輩が、今度は鉛筆をマイク代わりにインタビューしてきた。
あたしは、机に置いていた自分のスケッチブックを手に取り、閉じてから言う。
「新しいスケブ、買ってきますね」
「おぉ! じゃ、入部届お待ちしてますので。ね、モモ、二人目もゲットだよ」
杏先輩はピースサインをつくり、李先輩に向けて笑った。李先輩も道具を洗う手を止めて、ブイッと顔の横に作り、笑う。
林くんはようやく顔から入部届を外し、
「それは喜びのピースか、二人って意味のピースか、どっちなんスか」
と、二人につられるように笑った。
その時。
バンッ、と激しく扉が閉まる音が美術室内に響いた。
「び、びっくりしたぁ」
李先輩が扉の方を見て言う。あたしが先輩たちにスケッチブックを見せていた時に閉まる音がした、あの扉だ。
一度目は、あたししか扉の音に気付かなかったので、気のせいかと思いもしたが、今回は間違いない。確かに扉が閉まった。
「河合センセーかな?」
杏先輩が扉に向かう。
「センセー? 来たならこっち来てよねぇ。新入部員、二人入りますよぉ。そうだ、ついでに柚樹くんの届を受け取って――」
杏先輩が勢いよく扉を開けて、準備室を覗きこむが、
「って、あれ、誰もいない」
「え、誰も?」
道具を洗い終わった李先輩も、扉に近づき、杏先輩に並んで中を見る。
「ホントだ、誰もいない」
「じゃあ、誰が扉を開けたんですか」
あたしは思わず疑問を口にした。
「開けた? 閉めたじゃなくて?」
林くんが不思議そうにあたしに問いかける。
「林くんが来る前にも、扉が一度閉まった音がしたんだけど」
「なるほど、誰かが開けないと扉は閉まったままか。……でも、今誰もいないんスよね? えっ、こわっ!」
という言葉と反対に、林くんは実に楽しそうに見える。
「もしかしたらだけどさ」
「なによ、アン」
「幽霊、とか、だったり、するのかなぁって……」
言いながら、杏先輩はそっと、音を立てないように扉を閉めた。そして、体をくるりと返し、
「帰ろ」と、自分の荷物に向かって走り出す。「モモ、鍵、よろしく!」
「よろしくって、待ってよ、アン。怖がりすぎでしょ! まだ外は明るい方なんだけど、ねぇ!」
李先輩の制止を聞きもせず、杏先輩は荷物を手に「お疲れ様でしたぁ」と去っていった。
「柚樹くん、ごめん。アンの絵はまた今度ね」
ため息をつきつつ、李先輩はスケッチブックを奥に片付ける。
「いいッスよ。入ったらいくらでも見れるチャンスはありますし」
「ありがと。あと、暗くはないけど、もう夕方だし、帰ろうか」
言われて外を見てみれば、夕焼けまではいかないが、確かに日が傾いていた。
「そうですね。明日、入部届け出してきますね」
「よろしくね、明音ちゃん」
それぞれ荷物をまとめ、手に持ち、美術室から出る。芸術棟を出ると、鍵を取りに事務室に寄るとのことで李先輩と別れた。林くんは校舎の壁に取り付けられた時計を見て、バスの時間がちょうどいいからと、そのまま校門から帰っていった。
あたしはひとり、自転車を取りに教室棟近くまで戻らなくてはならない。帰りの時刻があまり遅くならなくて良かった。幽霊騒動が起こってすぐに、暗い中帰るのは絶対に怖かっただろうから。
教室棟方面に向かう前に、ふと美術室準備室の窓を見上げた。窓にはもちろん人影はない。
何だったのかなと思いながら、あたしも芸術棟に背を向けて歩きだした。