合評と一人目
「杏先輩、俺より先に見るとか、ずるいッスよ」
そわそわと横目でこちらをうかがいながら、林くんが言う。
「ごめんね、柚樹くん。もうちょっと辛抱して」
「ねぇ、モモ、やっぱり明音ちゃん上手だよ」
杏先輩が絵を手に取った。
「ちょっと、アン、ひとりで講評始めないで、待っててよ」李先輩は言いながらも、描く手を止めない。「モモも見てからあれこれ言って」
「あ、あのー、李先輩……」
あたしがそっと声をかけると、李先輩はこちらを見た。
「どうしたの?」
「先輩が描いてるところ、見ていいですか?」
うーんと唸りながら、李先輩は筆を持った右手を顎の下に当てた。少しだけ考えたあと、
「もうすぐで描き終わっちゃうから、モモの技は盗めませんよ?」
と、にこりと笑う。
「盗もうと思っても、盗めませんよ。失礼します」
杏先輩にスケッチブックを預けたまま、あたしは席を立つ。
机をまわり、李先輩の横――杏先輩が座っていた席に座った。椅子の位置をずらしてから、李先輩の絵を覗きこむ。
絵は、全体的に暗い色合いでまとめられていた。かといって、受ける印象が重たいというわけではなく、その正反対。暗い画面のなかに、モデルが明るく輝くようなのだ。
「あ、制服のシャツ、青で影をつけたんですね」
「うん。制服は寒色でやってみたの」
あたしが描いている途中で見た、パレットにのった薄すめられた青。背景にでも使うのかと思っていたが、違っていた。あたしだったら、シャツの影を灰色で表現してしまうところだ。こんな描き方もあるのかと感心する。
背景も暗めの色が使われている。それは作られた色を均一に塗ったものではなく、様々な色が紙の上で自然にぼんやりと混ざっているもの。水彩ならではの描き方だ。
李先輩は、あたしが見ている間に顔のパーツをひとつずつ仕上げていった。最後に頬に薄く赤を差し、筆を水差しに入れた。
「できた!」
李先輩はスケッチブックをひっくり返し、林くんに絵を見せた。
「うわぁ……すげぇ」
そう言って、林くんは先輩のスケッチブックを受けとる。近付けたり、遠ざけたり。目をしっかりと開け、脳裏に焼き付けるように眺めている。
林くんの後ろから、ひょっこりと杏先輩が覗き込む。それから手に持ったあたしのスケッチブックを、林くんの目の前にスッと差し込んだ。
林くんは少しだけ驚いたように身を引いたが、すぐにあたしの絵を見た。
「明音ちゃんの作品も、すげぇでしょ?」
杏先輩が問うと、林くんが頷く。
「すげぇッス。同い年の人がこんな絵、描けるんスね」
「ちょっとちょっと、モモも明音ちゃんの絵、見たい!」
李先輩がガタリと椅子を鳴らし、二人に近付く。描き方は違うけど、李先輩の作品と見比べたい。あたしも席を立った。
四人全員が集まると、
「絵、机に並べて置きましょうよ。そっちの方がみんなで見れるッスよね?」
という林くんの提案で、スケッチブックは横並びに机上に置かれた。
白黒の作品と、色彩豊かな作品。比べようがないとも言えるが、やはり先輩の作品には負けたなぁと思う。
顔面や体のバランスだとか、紙面に対するモデルの配置の仕方だとか。そういった共通する要素が圧倒的に劣っている。
さすがだなぁ。感嘆のため息が思わず出る。
「それで、どうですか、モデルの柚樹さん」杏先輩がマイクを差し出すようなジェスチャーをして、「感想をどうぞ」
「え、俺、絵のこととかあんまりわかんないッスよ」
「まぁまぁ、好きなように言ってみてよ」
林くんは短い間うなりつつ考えて、口を開く。
「こんな風に描いてもらえるなんて思ってなかったんで、モデルやって良かったッス。描く人で雰囲気がだいぶ変わるんスね。俺、どっちの絵も好きッス」
林くんがまた、ふわりと笑った。あたしが描こうと目指したあの笑い方。その表情を見て、あたしの方が嬉しく思えてきた。
「あの、俺、杏先輩の絵をもう一回見てみたいッス。こないだはチラッとしか見てないんスよ。なんか明るい感じの絵でしたよね。李先輩のとは違って」
「うん、アンは明るい色が好きだから、つい明るめの色で描いちゃうんだ」
「そういわれれば、モモは暗めの色ばっかり使ってるなぁ。アンの絵が見たいなら、奥の棚にあるんじゃない? 持ってくるよ」
「あ、待った!」
美術室の奥に向かおうとした李先輩の制服の裾を、杏先輩が引っ張って止めた。それから意地悪そうに笑い、
「美術部に入部するって約束してくれたら、アンの絵、見せてあげる。どうかな、柚樹くん」
「あ、それなんスけど」
林くんは足下に置いていたリュックサックを膝に置き、中から紙を一枚取り出した。ペラッと机の上に置いたそれは、
「入部届、どこに出せばいいかわかんなくって、悩んでたんスけど、知ってます?」
えっ、と先輩たちの声が重なった。