鉛筆一本
「おっ、柚樹くん来たね。ごめんね、今日も来てもらっちゃって」
「気にしないでください、どうせ俺、暇なんスから」
柚樹と呼ばれた男子が、にかっと笑う。
「なに、モモ、 前に描き終わらなかったんだ?」
「誰かさんが変なプレッシャーかけるから、思うように描けなかったの」
李先輩が席を立ち、画材の用意をするために美術室奥に向かう。
その間に、男子はリュックサックを足下に置きながら、李先輩が座っていた席の正面、あたしの真横に座った。
「ね、この間モデルやってた子でしょ? 俺、林。林柚樹。モデル同士、よろしくぅ」
男子――林くんがあたしに手を差し出してくる。
「え、あ、どうも……」
恐る恐るあたしが手を出すと、林くんは両手であたしの手を掴み、熱い握手をしてくる。続いて杏先輩に向かい、
「モモ先輩から、お話、聞いてるッス、アン先輩。先輩も柚樹くんって呼んでくださいよ」
「柚樹くんね。わかった。よろしく」
アン先輩は積極的に林くんと握手を交わした。
「あ、そうだ」
李先輩が声をあげた。水彩画の道具一式を持ち、奥から戻ってきながら続ける。
「明音ちゃん、モモね、もう一度最初から柚樹くんを描こうと思ってるんだけど、よかったら一緒に描かない?」
「えっ」
「わぁ、いいね、それ! アンも描きた――」
「アンはこの間、明音ちゃん描き上げてるからダメ」
きっぱりと杏先輩を抑える。李先輩は道具をそっと机に置いた。
「ねぇ、どうかな。せっかくだし」
「でも、あたし、描く紙とか画材とか何もないんで」
「それなら大丈夫だよぉ。この明音ちゃんのスケブ、まだページ空いてるし、画材はアンの物を使えば。……いや、待て」杏先輩がぱちんと手を叩き、「明音ちゃん、絵の具使用禁止でやってみよう」
「えっ! 色塗りはどうするんですか」
杏先輩がにっと笑う。
「カラフルな色を塗らなくても、鉛筆一本で作品は描けるのですよ、明音くん?」
「あー、なるほど。アンのそれ、いいかも」
「うそ、李先輩まで同意しちゃいます!?」
「柚樹くん、明音ちゃんのモデルも引き受けてもらえるよね?」
李先輩が問うと、林くんは右手の親指をビシッと立てた。
「もちろんッスよ。俺、今日はモデル専門でここに居るんスから」
「よし、けってーい! ほら、明音ちゃん、筆箱出して。使っていいのは鉛筆と消しゴムだけだからね」
この人たち、本気だ……。逃げられる気がしない。
諦めて、あたしは鞄から筆箱を取り出し、まず消しゴムを、次いで鉛筆を出そうとして、気付く。
「あ、鉛筆、ない」
「そっか、普通は鉛筆、持ち歩かないよね。シャーペンじゃ線がつまらないしなぁ。いいよ、待ってて。持ってくるから」
跳ねるように、杏先輩が美術室奥に向かう。
李先輩は窓辺の水道の蛇口をひねり、水差しに水を入れていた。
鉛筆を持った杏先輩が戻りがてら、李先輩に電灯を消すか尋ねる。少しの話し合いの末、あたしも絵を描くから消さないことに決まったらしい。
「そうだ、モモ先輩。今回も俺はポーズなしで座ってるだけッスか?」
林くんが手をあげて訊く。
「うん、この間と同じようにお願い」
李先輩が林くんの前の席に着いた。スケッチブックを広げた後、開いたパレットに絵の具を落としていく。
杏先輩はあたしに鉛筆を渡し、李先輩の横の席に座ろうとした。しかし座る直前に、あっと声をもらす。
「待ってまって、明音ちゃん、席、そこでいいの? アンとかわろうよ」
「いえ、大丈夫です。正面より、横顔の方が描きやすそうなんで」
あたしが椅子を林くんから少しだけ遠ざけると、杏先輩は納得したように座り直した。それからあたしと李先輩、林くんを見回すと、
「準備はオッケーだね。それじゃ、始めっ!」
あたしは大きく息を吸い、鉛筆を握りしめた。
今週投稿分ですが、
話しの区切りの関係で短くなっています。
来週分は、投稿済み分に比べて長くなる予定です。
予定、です (゜∀゜)