約束のジュースとスケブ
「ね、放課後、また来てほしいなぁ、美術部に。アンね、明音ちゃんがどんな絵を描くのかすごく気になるの」
「はい、あたしも円藤先輩の絵をもっと見てみたいので是非」
「おーっ、アン、新入部員候補ゲットしました! やったね!」
円藤先輩が両手をあげて喜んだときだった。入口の廊下の方から声が近づいてきた。
「さっ、どこでもいいから座ってすわって」
「うわっ、マジッスか、俺、チョー楽しみッス!」
見ると、紺色ネクタイの女子と、深緑ネクタイの男子が入ってきた。が、その女子を見て、あたしは思わず目を丸くした。紺色三年の女子は、今私の目の前にいる円藤先輩と瓜二つなのだ。
「あっれ? モモ、彼氏ぃ?」
円藤先輩は立ち上がり、先輩のドッペルゲンガーといってもいい女子に話しかけた。にたりと笑い、指をさしてからかっている。
「わっ! え、アン、なんでここに?」ドッペルゲンガー先輩は円藤先輩を見て、「先に帰るって言ったじゃない。何してるのよ?」
「んんー、お絵描きかなぁ」
まて、訳がわからない。
「え、円藤先輩……?」
あたしが少し震える声で尋ねると、
「なに?」
「はい?」
紺色ネクタイの二人が同時に答えた。ああ、なるほど。もしかして。
「えっ、すげぇ! 先輩って双子なんスか」
あたしが納得した内容を、言葉に出してくれた男子に感謝しよう。
「うん」
「そうだよぉ」
先輩二人は、慣れたような様子で男子の問いに頷いた。
この二人、どう見ても一卵性双生児。新入生を二人して部室に連れ込む。なんてシンクロ率。あたしは初めて見る双子に少しだけ感動した。
「あっごめんね、柚樹くん、座って! 時間大丈夫?」
「うっす、余裕っッス任せてくださいよ」
円藤先輩――杏先輩にモモと呼ばれた先輩が、男子を美術室に迎え入れる。男子もあたしと同じようにモデルをするのだろう。
混乱からようやく覚めつつ、その様子を見ていたあたしの手を、いつの間にかあたしに近づいていた杏先輩が、ぎゅっと握ってきた。
「明音ちゃん、ありがと! こっちはおしまい。ジュース、買いにいこうか」
はい、と答えてあたしは席を立った。手に持った似顔絵をどうするか悩む。できれば折り曲げたりせずに持って帰りたい。
「あの、杏先輩、段ボールとか厚紙とか、もらえたりしませんか」
「ああ、あるよ。ちょっと待ってて」
杏先輩は快く返事をして、美術室の奥に引っ込んでいく。
「うっわ、すっげぇそっくり」
あたしが手に持った絵を覗き込んで、まだ座っていなかった男子が感嘆の声をあげる。
男子が座って少しして、杏先輩は、描いた絵と同じくらいのサイズの段ボールを二枚持って奥から出てきた。顔から笑みが溢れている。男子の言葉が聞こえていたのだろう。杏先輩は得意げにモモ先輩に言う。
「ねぇモモ、アンの絵、そっくりだって。モモも頑張って、男の子そぉっくりに描いてあげなきゃね」
「やめてよ、緊張するでしょ。ってか、アン、どこか行くなら、片付けてからにしてよ」
「戻ったらするから、そのままにしといて」
「もー、アンったらいつもそう言って片付けないんだから!」
モモ先輩が怒るのを受け流しつつ、杏先輩はあたしに段ボールをくれた。段ボールであたしが絵を挟み、指定鞄に納めるのを見届けると、杏先輩は、
「さ、いこ!」
あたしの手を引いて、美術室を飛び出した。
葉桜のある中庭を通り抜け、教室棟方面に向かっていく。自動販売機なんてどこにあっただろうか。芸術棟に来る途中では見かけなかった気がする。
「自販機は体育館近くにしかないんだよねぇ。教室にもうちょっと近くていいとアンは思うんだけど」
頬を膨らませつつ杏先輩は言う。被服室や職員室のある棟を過ぎると、入学式が行われた体育館が見えてきた。体育館から少し離れて、自動販売機は確かにあった。
杏先輩が自動販売機に駆け寄り、五百円玉を入れる。
「好きなやつを飲んでいいからね。お礼なんだから、金額なんて気にしないで。さぁどうぞ」
じゃじゃーん、と効果音がつきそうな勢いでボタンを押すように促された。
水、スポーツドリンク、お茶、ココア、りんごジュース、ぶどうジュース、他数点。
金額と内容を考えて、紙パック入りのりんごジュースのボタンを押す。あたしがジュースを取ると、先輩も続けてぶどうジュースのボタンを押した。
ストローをパックから外し、差し込む。少しだけ飲むと、りんごの爽やかな甘さが喉を通り過ぎていった。
「明音ちゃん、今度美術室に来るときなんだけどさ」
自分のストローの先で遊びながら杏先輩が話す。
「中学の時に使ってたスケブ、あったら持ってきてよ」
「スケブには落書きしか描いてませんよ?」
「だからいいんじゃない」
家にあるスケッチブックの内容を思い出す。真面目に描いているページが一体どれくらいあっただろうか。持ってくるのがはばかられる。
「えぇー……」
あたしが困ったように返すと、
「決定だからね、先輩命令! 持ってこなかったら、顔に絵の具で民族風メイクの刑に処すから。覚悟しててよ」
人差し指を鼻先に突き出して言われた。
「わ、わかりました、持ってきます」
「よろしい。じゃあ、またね。待ってるから」
杏先輩はそう言って、手を振りながら小走りに去っていく。これから美術室に戻って片付けだろうか。いや、もう一人の先輩がいつも片付けないと言っていたから、このまま帰るのかもしれない。
あ、そういえば母さん……。すっかり忘れていた。
携帯を鞄から取り出し、画面をつける。そこには母さんからの不在着信と、通信連絡アプリの通知がいっぱいたまっていた。
これ、きっと、合流したら怒られるやつだ。
思わず出たため息を吐き出し、もう一度、もらったジュースを飲む。甘いはずなのに、今度はなぜか、少し苦く感じた。