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えちゅーど!  作者: 四方木 友予
四月
3/14

三原色の笑みを

 芸術棟の廊下は慌ただしかった。入学式で使った楽器を片付けているようで、吹奏楽部員の出入りが激しい。時折、ぷわんと音が聞こえるのは、片付け終わった部員が練習に入ろうとしているのだろうか。

「美術室は二階なの」

 先輩は慣れた動きで、吹奏楽部の間を縫うように階段に向かっていく。一階は音楽室だけのようで、二階に上がると吹奏楽部の音はだんだんと小さくなっていった。

 階段をあがってすぐに書道室、廊下の突き当りに『美術実習室』と上に書かれた扉があった。勢いよくガラガラと先輩が開ける。引きずり込まれるようにあたしも中に入った。

「さっ、どこでもいいから座ってすわって」

 ここでようやく手を離され、あたしは自由になった。

 蛍光灯も点けず、さらに奥へと先輩は進んでいく。ほんの少しして戻ってきた時には、水差しやパレット、筆、それと三本の絵の具を腕に抱えていた。

「今日は、三原色縛りで描いてみよーっと」

 机にがしゃりと道具を置き、水差しだけ手に持って先輩はまた動く。

 美術室は教室の倍以上に広かった。木製の三、四人ほど座れそうな広い机が八つ置かれている。椅子も木で作られていて、あたしが座るとキシキシ鳴いた。

「んー、今はこっちの光がいらないかなぁ」

 先輩は、東西にある窓のうち、東側にカーテンをひいていく。

「アンね、描きたいモノが目の前にある時は、蛍光灯点けないようにしているの。さて、なぜでしょ?」

 窓際に並んだ水道で、水差しに水を入れながら、先輩はチクタクと指を振り、リズムをとる。

「たしか、影がわかりづらくなるから、ですよね。蛍光灯の光と、外からの光で、影が二方向にかかるって言ったら、なんか違いますけど、でもそんな感じで」

「おぉ、正解だよ。何、知ってたの?」

「一応、中学の時、美術部だったんで」

 そうだったんだぁと先輩は呟き、少しだけ口を尖らせた。ああ、これは、あまり正解して欲しくなかったヤツか。なんだか申し訳ない。

 机に戻ってきた先輩は、あたしの向かいにようやく座り、小さなスケッチブックを開く。続いてパレットを開き、赤、青、黄の絵の具をそれぞれ離れた場所にぽつぽつと落とした。それから水差しに絵筆を入れると、先輩は急に、すっと姿勢を正した。

「それでは、始めさせていただきます。あ、アンの名前、教えてなかったよね。円藤杏(えんどうあんず)と申します。よろしくお願いしまーす」

「あ、はい、よろしくお願いします」

「ちなみに、描いてる途中を見せる気はありませんので、アンの技は盗めませんよ。残念でしたね、元美術部の明音さん」

 そう言って、円藤先輩はぎゅっとスケッチブックを胸に引き寄せる。

「いや、見ませんし、盗みませんから」

 あたしが苦笑いすると、先輩は満足そうに笑って絵筆に手を伸ばした。パレットに絵の具が延びていく。黄みがかったオレンジや、青の強い緑、三色をどのように混ぜたかはわからないが、黒に近い色も作られた。円藤先輩の筆は、下書きを描かないまま、すいすいと滑っていく。

「ね、明音ちゃんは部活、何に入るか決めてるの? 美術、続けない? 入ろうよ」

 そうですねと言って、あたしの言葉が止まる。

「……悩んでる、ところなんです。美術、続けるか、続けないか」

「えぇー、なんで? 楽しいのに」

 ああ、どうしよう、円藤先輩の顔を見ることができない。絵筆を洗う音と、スケッチブックが筆で擦れる音が、やけに耳に入ってくる。あたしは大きく息を吸い込んだ。

「苦手なんです、絵を描くの。元からあまり上手くはなかったんですけど、描くのは好きだったから美術部に入ったんです。でも、夏休みの課題のポスターをクラスの男子に見られて、この程度の絵を描くのが美術部なのかって笑われて。それから、筆を持つのが怖くなって」

「うん? 美術部なら絵が上手って、誰が決めたの?」

「……は?」

 思わず円藤先輩の顔を見る。先輩は目をぱっちり開けたまま、小首を傾げて止まっていた。絵筆も宙に浮いて止まっている。

「たしかに誰もそんなこと言ってないですけど、でもそういうものじゃ――」

「好きなら、やりたいなら、続ける。それで良くないかな。アンはそう思うけど」

 円藤先輩の筆がまた動き出す。

「もしそうなら、アンも美術続けるか悩まなきゃいけないよ。だって、アンにも苦手な画材とかモチーフとか、あるもん。そういうこと言う人には、もっともーっと、上手になるために入ったんだって言えばいいよ。

 他の部活だってさ、最初からいきなり試合に出られるわけじゃないでしょ。上手くなるように練習を重ねるわけじゃん。それでも試合に出られなかったり、出れてもベンチだったりってあるし。

 ほら、一緒だよ。部活に入っている、イコール、上手い人なんて、天才じゃない限りなかなかいないって」

 いつの間にかパレットには、黄緑と、多くの水で溶かれた赤と青が置かれていた。その絵の具をちょこちょことスケッチブックに運ぶと、

「よっし、できた!」

 円藤先輩がパッと笑い、スケッチブックからバリバリと絵を取る。

「これあげる、明音ちゃん!」

 差し出されたその絵には、満面の笑みのあたしがいた。先輩の前でそんな風に笑った覚えはないのに。そしてそのあたしの周りには、鮮やかな桜が咲き、若葉が芽吹き、青空が広がっていた。

「桜、絵の中でなら咲かせられるからね。さっき、桜が散ってて残念だって言ってたでしょ? 明音ちゃん、改めて、入学おめでとう」

 その瞬間、あたしの中に、色が溢れた気がした。


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