入学は葉桜とともに
桜の舞う入学式を期待した、あたしが間違っていた。桜は中学の卒業式に咲き誇り、春休みと呼んでいいのかわからない、入学までの期間中にほとんどハラハラと散っていた。それを見ていたにも関わらず、入学式には桜の咲く校門で写真を撮るのだと張りきっていた。
そんなあたしを笑うように風が吹き、残り少ない花びらを宙に舞わせる中、入学式も無事に終わり、あたしはついに高校生になった。
ホームルームの後、教室から少しでも離れると、部活動の勧誘にあう。ビラを配られたり、小芝居が目の前で始まったり。さまざまな部の勧誘を受けるうちに、あたしの手にはビラが何枚も握られていた。このまま持っているのも変だから、帰ってから見ることにして、指定鞄にガサリと納める。
さて、ここからどうしたものか。一緒に来た母さんは、電車の定期券の手続きをしに事務室へ行ってしまった。ひとりで動けるでしょう、色々見てきなさいよ。そう言われたから少しだけ動いたものの、勧誘にあうばかりで教室前の廊下から全く動けずにいる。
ふと周りを見れば、親と行動する新入生ばかりだった。そりゃそうだ。初日からひとりで動いている人なんて、そういないか。みんな別の中学を卒業して、今日初めて会ったばかり。友達と動いている人もいるけど、あれはきっと同じ学校だった子たちだ。
軽い指定鞄だけが自分の味方のように思えてきて、この人の中で離れてしまわないようにぎゅっと握りしめた。
やっぱり母さんと合流しよう。事務室の方へ身体を向けた時、
「あの、すみませーん!」
後ろから声がした。見ると、紺色のネクタイをした女子が、まっすぐと手をあげて駆け寄ってくる。紺は三年生だったか。部活動の勧誘かな。でもあたしはきっと関係ない。他の子に声をかけたのだろう。早く母さんの所へ――
「ちがう、違う。キミに用があるの」
「ひえっ!」
あたしの視界ががくんと揺らぐ。紺色ネクタイの先輩が、あたしの左手をつかみ、にっと笑っていた。それからあたしの胸元の深緑のネクタイを指差して続ける。
「入学おめでとうございます! 緑ネクタイ、いいね、いいねっ。アン、緑系の色、好きなんだよ。ねえ、今、時間があればちょっと付き合ってもらえないかな?」
え、これ、新手の勧誘ですか。
「何に……?」
「あっ、もしかして今怖がってる? 大丈夫、アンは怪しい者じゃないから」
ほら、と先輩はB5サイズにも満たない大きさのスケッチブックを見せてくる。
「アンは絵描きさんなの。さっきの入学式で初々しい一年生見たてたら、もう描きたくて、たまらなくなっちゃってね。だから、モデルさんを探してるとこなんだ」
「も、モデル?」
「うん。ねっ、お願い。終わったらジュース買ってあげるから。もちろんオッケーだよね。よし、けってーい! レッツラゴーだ!」
「は、えっ、どこに!?」
許可、してませんけど! なんて言えるはずもなく、言葉は喉の奥で、音になる前に消えた。
先輩は嬉々として、事務室とは真逆に、あたしを引っ張っていく。上手に人の間をすり抜け、教室棟から外に出た。
「いやぁ、このスケブに鉛筆で描くつもりだったけど、キミを見てたら水彩で描きたくなったんだよね。画材ここにないから芸術棟まで移動。ああ、そうだ。キミ、名前は?」
「や、柳沢です」
「違うー! 下の名前っ」
「明音ですけど……」
「アカネちゃんね。漢字は?」
「明るいに、音で」
「ほうほう、いい名前だ。はい、ここで曲がる」
途中でところどころ、先輩は場所の説明をしてくれた。ここが図書室、ここは家庭科室で、被服室はその隣。先生とすれ違う時は、挨拶しながら軽く一礼。すたすたと早足気味に説明されていったが、中庭にさしかかると、先輩の歩みは少しだけ緩んだ。
「あー、桜、もうほとんど葉桜だね」
中庭には、芝生が敷かれてあり、一本だけ植えてある桜の木の下には、木でできた大きなテーブルと椅子が四つ置かれていた。
「そうですね、咲いてるところが見たかったので、ちょっと残念です」
「やっぱりそうだよねぇ。あ、もう少しで着くよ」
先輩は目の前の二階建ての、学校内では小さめの建物を指す。
「あれが芸術棟で、音楽室と、美術室と、あと書道室が入ってるの。芸術科目は選択で、一年の時しかないから、文化部の中でもこの棟でやる部活に入らない限り、あんまり関係ないかな。さ、入るよ」