始/少年:朝の来ない匣庭へ
「ん……」
全身の痛みで目が覚めた。身体中に鈍い痛みがある。あと頭がぐわんぐわんして平衡感覚が上手く掴めない。
どこからかクラシック調の音楽が聴こえてくる。無理矢理体を起こして周囲を確認すると、そこはどこかの部屋の一室で、俺はベッドの上に寝ていた。
くらっとしてベッドに倒れる。と、目の前に緋色ーーーー俺の契約精霊がいた。
「おっす、やっと起きたかい」
俺の体の上にいつの間にか馬乗りになっているその女は、茶髪を後ろで綺麗に結っている。
精霊は基本的に色によって種族を分けられており、色が鮮やかになる程に位が高くなる。
「ああ。何とか、な」
寝たまま部屋を見回す。緋色のせいで視界は狭いが、主な材質は木で、ドアの数を見るからに最低でも2部屋はあるだろう。
壁に掛けられた時計を見ると、短信が9を指していた。
がちゃり、という聞きなれた音が聴こえたのでそちらに向くと、そこには膝程まである漆のように艶やかな黒髪と、吸い込まれそうな黒い瞳を持つ少女がいた。
「えと……誰、ですか?」
誰?彼女の目線から見て、俺を対象に放たれた言葉ではないだろう。しかし、その先にいるのは緋色ーーーー精霊だ。
精霊は契約者以外に見ることはできない。実体化できる最上位級となると話は別だが、緋色を確認できるのは俺だけの筈、と。
茶髪女のいる部位が重さで圧迫されているのに気づく。
「お前……何で」
「わっかんない。気がついたらこうなってた。多分だけどさっきの魔力波の影響と思う」
強力な第三者からの魔力を浴びて変異したのか。にわかには信じ難いが、超常的な、まだ解明されていない事象に常識は通用しない。
「そうか……すまない、自己紹介がまだだった。俺はステイル・アマミヤだ。こいつは緋色。…………で、ここは一体……」
「私の部屋です。海岸に流れ着いてたから運んで来たんですけど……全然起きなかったからもう駄目だと思ってました……でも、生きてた……ほんと、よかっ……」
泣いて、いるのか。まだ焦点の合わない赤い自分の目を凝らす。
俺をここまで運んできたのか。窓から察するにここは恐らく街中。少なくとも距離はあるだろうし、あの体躯で俺を運ぶのはかなりの重労働どころの話ではないだろう。
何かしなくては。直感的に感じた。身体を引きずって、両足を床につけ、膝に力を込めて立ち上がる。
一歩、一歩と歩み寄り、ごく自然に、何を考える訳でもなく、そっと少女の頭を撫でていた。
小さい。抱きしめたらすっぽりと隠れてしまいそうな体躯に、何故か懐かしさを覚える。
「あ、あの……」
「っ、すまない」
突然恥ずかしくなった。何やってんだ、と今更気付いた時、また頭がくらりとする。軽い脳震盪を起こしているのか。足腰の力が抜けて景色が上に逃げていく。
結果として膝から床に直撃、痛みは感じなかった。
「……さん……ステ……さん……」
「あ、おはよ……」
「おはようございます」
意識が浮上、視界がはっきりとする。倒れ
て眠っていたようだ。
緋色はいなくなっていた。
「すまない……今何時だ?」
「もうすぐ7時です」
「そうか……」
窓の外は相変わらず暗い。ぐっと力を込めてベッドを出る。頭は大分すっきりしていたし身体の痛みもかなり和らいだ。
「あ、私もうすぐ出るので、朝ごはん、リビングに置いておきますね」
朝ごはん?何を言っているのだ、と耳を疑った。外は夜の暗さだ。
窓に近づき、外界を覗く。やはり真っ暗だ。と、
「あ、そっか。知らないんですね」
部屋を出た筈の彼女がひょっこり戻ってくる。
「この街、いいえ、この国には、朝が来ないんです」
時計の秒針が60を示し、それに呼応して長針と短針が一歩進む。
それと同時、目の前が真っ白になった。気を失ったのではない。先程まで見ていた世界との圧倒的な明度の差に瞳による光の調節が間に合わなかったのだ。
光系統の魔術だろうか。フラッシュバンを食らったかのような閃光に目が眩む。
「また同時に起動してる……目を痛めるから気をつけてって言ってるのに……」
彼女の声が聞こえて少ししてから目が慣れてくる。
目の前に広がるのは、真昼のように明るい街。
「ここは、6年前に、世界から取り残されました」
太陽に照らされるのではなく、自ら光り輝いている。
「でも、皆が頑張って、協力して、今に至ったんです」
空は藍色。星はなく、ただ一つ蒼穹の月が浮かんでいる。
「おはようございます、ステイルさん。ようこそ、ルージアへ」
ルージア。魔導大国リーガリアの隣に位置する、いや、していた国。面積はそんなになく、一つの街程度であるが、魔導技術研究において最先端を誇っていた国。
9年前から7年前の間内乱が続き、国政外交共に不安定となる。
6年前、突如として消失。跡には湖が出現、周辺地域の人々の生活水の一部として利用されているーーーーーーーー