終/始/少年:プロローグ
「お客さん、……お客さん?」
よく通る男の声に自然と目が覚めた。
「困るよお客さん。行き先も言わずに乗って直ぐに寝ちまうんだもん」
何か夢を見ていた気もするが思い出せない。体が不規則に上下している。そういえば舟に乗ったのだった、とこの状況を思い出し、ロングコートの被っていたフードを下に少し引っ張る。
「すまない、少し疲れていたんだ。向こう岸のリーサリアまで頼む」
その地名を聞いて、船頭は驚いたように、
「リーサリアって言ったら魔術学の総本山じゃねぇか。お客さん、魔術士なのかい」
その朗らかで軽い口調は、自然と口を開きたくなる。
「ああ。そこの魔術大学に入学するんだ」
舟が揺れる度、隣に立てかけてある太刀が船べりにぶつかってカタカタと鳴く。
「そっかあ、すげえなぁ。俺も一応魔術は使えるんだが、何せうちの家系の契約精霊がちょっとアレでよ、水の浄化しかできねえんだ」
魔術士は単体では魔術を使用できない。
精霊と契約を交わし、精霊に魔力を与え、それを精霊が現象に変換する、というシステムによって魔術が完成する。
精霊は幾つもの種族がおり、種族によって変換できる魔術が違う。
基本的に先代の契約精霊を引き継ぐ形で契約を行い、一度契約したら解除はできず、また2体以上との契約はできない。
「と、まあこの話は置いといて、お客さん、どこから来たの?」
「極東の島国……名前は無い」
地雷を踏んだか、と一瞬だけ船頭の顔が引き攣ったが、直ぐに元に戻り、
「またかなり遠い所から来たもんだなぁ。その様子じゃあ徒歩か。すげえもんだ」
そんなことないよ、と辺りを見回す。霧が深くなり、風も出てきた。
そういえば、と船頭が切り出す。
「お客さん、知ってるか? ここの湖の話」
地図を渡される。少し古い地図のようだ。地図に記載されている陸地は、船の下にはない。そもそもここは海ではなく湖だったのか。
「いや、よく知らない」
「ここは昔……と言っても6年くらい前まで陸地だったんだ。リーサリアの隣ってこともあってな、すげえ発展しててな。夜が来ないくらいに明るかった」
地図を見る限り、船頭が嘘を吐いている様子はない。
「じゃあ、なんでここは……」
「消えたんだ。言葉通り突然、スッ、とな」
国が1つ突然吹っ飛んだと言うのか。なぜ、何が原因で?
…………答えは1つしかなかった。
「魔術……なのか?」
「あぁ。だけど何の精霊が関わってるのかも全く分かんねぇ。いもしねぇ魔神の仕業とかなんとか言い出す奴もいる始末よ」
そんなことができるのなら、かなり高位の精霊なのだろう。
「とまぁ、その『何か』の魔力の残滓で時々魔力波があってな。ここからは特に揺れが酷くなるから気をつけてくれ」
強い風が吹き、唐突で対応が遅れる。顔を隠していたフードの中に風が入り込み、布が後ろへ飛んでいく。眩しくて目を覆った。
白髪の混じる灰色の頭髪、異様に白い肌、赤い瞳。それらが大気に触れるのを感じた。
「お客さん、それ……」
急いでフードを被りなおす。見られたか。
「お客さん、思ったより可愛い顔してらっしゃるようで」
「男に言われる趣味はないが……その、ありがとう」
その次の瞬間、いや、同時であった。大波が立つ。いや、水面がそのまま間欠泉の如く盛り上がる。
「チッ、最近はこんなの無かったのに……でけェのが来るぞ! 船べりに掴まれッ!!」
波が爆ぜる。
体が揺さぶられる。木組みの舟が宙を舞う。まるでどこかの童話のように。何とか船べりにしがみつき、隣の太刀を掴む。
刹那、今まで経験したことの無いような風が吹き付けるが必死に耐える。
だが、突如としてフードが強く引っ張られるような感覚がしたと思ったら、次の瞬間には舟の外に放り出されていた。
周囲は霧に覆われて何も見えない。水面がどこかも、上下さえ分からなくなる。
必死に、舟があるという確証もない方向に手を伸ばす。しかし、捉えるのは湿った大気だけで、
「 」
声にならない声とともに、着水。
真っ暗な水面を見つめ、それでもと手を伸ばす。
奪われてゆく酸素に肺が悲鳴を上げる。薄れてゆき、朦朧とする意識の中、何かが触れた、そんな気がした。