5、これから
絶対に他の人間に超能力の存在を明かさないことを言いつけられ、僕はフェンとともに応接室から退出した。応接室の外には野次馬が集まってきていて、全員が何があったのか、と根掘り葉掘りフェンに訊ねたが、彼は「魔法が暴走した」と言うばかりで真実を口にすることはなかった。もちろん、僕自身も、だ。
「少し話したいことがある」と囁いたフェンは、人気のない場所へと僕を連れて行った。街の外れ、水路の先にある農園地帯の木陰であたりを見回した後、彼は歩を止めて、草の上に腰を下ろした。促される前に、僕も腰を落ち着ける。
のどかな風景が広がっていた。防壁の中の農園、風に揺らぐ植物は牧歌的で、水路のせせらぎは耳に心地よい。うわずった僕の心を静めるには十分すぎる効果があった。
フェンはしばらく黙っていたが、やがて訊ねたいことがまとまったのか、穏やかな風が吹く中で小さく声を発した。
「……あの力はなんなんだ?」
「言ったでしょう、フェンさん。超能力ですよ」
「俺は未だに信じられん。もちろん疑っているわけではないが……あれがお前のいた世界の普通、なのか?」
「存在は一般的ではあるけれど、使えるのは決して普通じゃないです。特に僕の力は――同時に二つの物質に作用することができないし、細かな操作は苦手だけど……大きさと継続力だけは他の誰よりも強かった」
「そうか……、あれが普通ならどれだけ物騒な世界で生きてきたのか、と疑問だった」
「そこに関しては問題ありません。法律があって超能力は暴力には使ってはならないことになっているんです。能力拘束具や刑罰装置をつけられている人もいます」
「なんだ、カガク? だとかそういうのはあまりぴんと来ないな」
「フェンさん――」
そう言いかけた瞬間、彼は僕の肩を叩いた。
「フェン、でいい。不慣れな敬語を使う必要はない。というか、やめてくれないか。敬語で話しかけられるのはそれほど好きじゃないんだ」
その対等な物言いが僕にとっては非常に新鮮な経験だった。赤くなった顔を思わず隠し、はにかんだのを悟られないように努めた。
見下され、虐げられてきた。生まれも卑しい、能力もまともではないニール=レプリカ。それが彼の前だけは他の何者ではない、替え難い存在としての「ニール」でいられる。それがとても嬉しかった。
それが生まれながらにして持っていた超能力という力が前提だったとしても――。
「……どうした?」
「なんでもないです……、なんでもないんだ、フェン」
「そうか」フェンはそう呟いてから、その堅苦しさが似合う厳格な顔を微かに緩めた。「お前は変な奴だな、言葉をすぐに覚えたのもそうだし、その力も、ついでにその服も」
「服はしょうがないじゃないか、これが僕の普通だったんだ」
「出で立ちだけ見ると、どこかの王侯貴族だと言われても信じたくなるんだがな」
「貴族だなんて」
僕にはまったく似つかわしくない地位だ。かつての世界では僕はそんな存在ではなかった。見咎められないように背けて自嘲的に笑おうとする。それもなぜだか、上手くいかなかった。
〇
「そうだ」「ところで」
ごまかすように出した僕の声が彼の言葉と重なった。戸惑い、彼の次の句を促そうとしたが、フェンが「どうした?」と僕よりも先に話題の先端を譲ってくる。
「聞きたいことが、二つ、あるんだけど」
「俺に答えられることなら」
「一つは魔法のこと、もう一つはフェンのことなんだけど」
遠慮がちな僕の声に、彼は小さく唸り、それから、いいだろう、と頷いた。
「魔法ってなんなの? 僕にとってはそれこそがおとぎ話なんだ」
「……そうだな、簡単に言えば、生き物の内側から発生する力だ」
その抽象的な説明に僕は首を捻る。それを見て、フェンはくすぐったそうに笑った。「魔法の説明なんて久しぶりだ」と言って、彼は続ける。
「まだ完全には解明されてないんだけどな……魔法は大別すると二種類存在する。生き物の精神に干渉するもの――操作もそうだし、俺があの部屋でお前にかけた真偽判別の術もそうだ。これは、あまり一般的ではないがな。気配の隠蔽だとか、あるいはその逆で感覚を鋭敏にしたりだとか、そういったものもある。……お前の力にそういうのはないのか?」
「精神感応とかはそうかな」
「てれぱしい?」
テレパシーという単語に相当するものがないのだろう、彼は言いにくそうに発音し、それが少しだけ奇妙で僕の喉から小さな笑い声が漏れた。
「相互読心術っていえば分かりやすいと思う。人の考えていることを読んだり、逆に言葉に出さずに言葉を伝えたり……。会話できたりもするんだ。あとは物の記憶を読むサイコメトリーだとかね」
「それは便利そうだな」
「で、もう一つの方はなんなの? 想像はつくけれど」
「ああ、もう一種類はあの部屋でも少し言ったが、自然に干渉するものだ。火を発生させて火球を作ったり、水や雷、土を使役したりする。まあ、これも厳密に言えば生物への干渉ではある。俺たちにとっては自然は生きているものだからな」
「自然崇拝だ」
口をついて出たその単語にフェンは「そうだな」とにこやかに認めた。「その通り、自然こそが俺たちの神ではある。詠唱や魔法陣によって神々と繋がり、力を受け取る。だからといって一神教の人間が魔法を使えないというわけではないが」
「いい加減なんだね」
少しだけ親近感を覚えてそう返すと彼は虚を突かれたかのように目を見開き、確かに、と頷いた。「そう考えたことはなかったが、そう思ってもおかしくはないな」
「それで、フェンはどんな魔法を使えるの? 実際に見てみたい、どんなことができるのか」
「そうだな、一応精神系も使えるには使えるが……得意としているのは土の操作だ。見せてやろう」
フェンは言うが早いか、すくりと立ち上がり、あそこをよく見ていろ、と五メートルほど前方にある、植物の植えられていない地面を指さした。
目を皿にして、僕は土の動きを見つめる。沸き立つ好奇心を胸に、変化を待つ。
そのとき、横からするりと歌声が耳の中に忍び込んだ。いや、歌ではない。詠唱、という行為なのだろう。彼は粛々と、祝詞を諳んじるかのようにして言葉を発していた。その言葉が示す意味はほとんど分からなかった。所々に聞き覚えのある単語はある。だが、つかみかけた意味はふわりと雲のように逃げ、確信に至るまでにはならなかった。
再び、フェンが指さしていた地面に目を向ける。視線の先で、微かに土が舞い上がっているのが見えた。同時に落胆する。こんなものか、と。
僕の表情が期待外れだと物語っていたのだろう、詠唱を終えた彼はふふんと鼻を鳴らして「よく見てみろ」と顎をしゃくった。
「よく見ろって、土埃が舞っているだけじゃ――」
そして、僕は驚嘆する。
地面がさざめき、波打っていた。
素っ頓狂な声が身体のどこかから、漏れた。土がまるで液体のように動いている。渦を巻き、その上を生えていた雑草が滑るようにして流されていった。
フェンが足下に落ちていた小石を拾い、そっと投げ入れる。
ぽちゃん、と音こそ立たなかったが、放物線を描いた石はまるで水面に吸い込まれるように消えていった。
次の瞬間、流動していた地面がぼこぼこと、沸騰するように泡立った。「え」と声を発する前に円錐状になった土が宙に舞っていた葉を貫く。
「すごい」
隣に立っているフェンは長く息を吐き、それとともに地面は元の質感へと戻っていく。もう一度投げた石は地面に当たると奇妙な方向へ跳ね、ころころと転がった。
「これが魔法、か」
「驚いたか?」
「驚いたなんてものじゃないよ。発火能力程度なら見たことあるけどそれとはレベルが違う。本当に自然を操れるんだね」
「まあ、詠唱の時間はかかるけどな」
「でも、これこそ物騒じゃない? 悪意を持った人がこの力を得たら悲惨な事件が起こる気がするけど」
「かつては多かったらしいがな。研究が重ねられて、阻害魔法が発達しているから今ではそういう事件は少なくなった」
どの世界でもそういうものか、と僕は納得する。僕の世界でも超能力に目覚めた人間が凶悪な犯罪に手を染めた事件は枚挙に暇がなかった。ときの権力者たちは頭を悩ませ、それを制御する方法を模索し、実行した。結果として能力拘束具や刑罰装置、超能力養成課程における人格テストなどが発達し、ここでは阻害魔法というものが重要になったというわけだ。
「これで一つ目の質問には答えたな」
「うん、ありがとう、フェン」
「二つ目の質問だが――、これに答えたとき、お前は俺の質問に答えてもらいたい」
「そんなの当然だよ」
にこやかに返事すると、彼はふっと笑ったあと、少しだけ顔を引き締めた。
〇
「肌の色で気付いているかもしれないが、俺は叔父のウラグ、そして妹とともにこの大陸へ渡ってきた異国人だ。俺たちが生まれたのはずっと南の国、ロダ・ニダ・ドズクアという国だ。今ではもうなくなってしまったがな」
「なくなった? 国が?」
「珍しいことではない。多くの内政の失策、隣国との摩擦、それらが戦となって血族をばらばらにした。俺たちは命からがら海を渡ってこの国に来た。王権と官権と民権の三つによって成り立つこの街はつまはじき者の俺たちすら飲み込む度量があった。そのとき世話になったのがウェンビアノさんだ。彼は野心家で時々不安になるほど狡猾ではあるが、約束を違える人間ではない。……いいように使われるがな」
フェンは自嘲気味に笑い、頭を掻いた。それで生活しているのだろうから、文句を言うつもりもないのだろう。
「俺は、ウラグ叔父もだが、今はもう消え去った土の民としての誇りを持って生きている。帰る場所がなくなっても、だ。一時期は国の復興も考えたが、今はもうやめてしまった。何より重要なのは誇りだからだ。これが俺の話で、聞きたいことはそれだ」
真剣になった彼の表情を目にし、僕は身体の強張りを知覚した。消え去った祖国を想い、やるべきことを認識した彼はその信念に基づいて行動している。
言葉にされずとも、フェンの問いかけは聞こえていた。僕の内側で発生した声が、彼の声と重なる。
「お前はこれから、どうしたいんだ?」
どうすればいいのだろう。
帰りたい、という意志がないといえばそれは嘘か、強がりだ。僕はあれだけ惨めな思いをさせられた日常をすぐさま捨て去ることはできそうになかった。
だが、魔法という突飛な事象が存在するこの世界もそれほど嫌いではない。僕という存在を一人の人間として認めてくれる人がいる。それを理由にするのは拙いことだと他人は笑うだろうか?
「目的を定めるべきだ、という話だ。お前が元の世界に帰りたいのならば、俺は協力する。もしかしたら魔法で何とかなる問題かもしれない。転移魔法の術者は限られているが存在はする。この世界で生きていくのならば、それもいいだろう。生きる術を教えるのはやぶさかではない」
「僕は……」
この世界に来て、ほんの一昼夜だ。愛着が沸くほどの時間は経っていない。だが、確かに愛着が芽生える予感はあった。いつの日か、ここが僕のいるべき居場所となりえるのではないか、という淡い期待が。
歯噛みする。彼の真剣な問いに僕はどう答えればいいのだろう。
今すぐ選べ、というのならば帰るという選択肢をとるかもしれない。しかし、これが明日になれば、一週間経てば、一月、一年、時間とともに揺らいだとしてもなんら不思議ではない。
「意地の悪い質問だったな」返答に窮する僕を見て、彼はすまない、と謝った。「何も今すぐに決めろというつもりはないんだ。俺も今の考えに至るまで、時間が必要だった」
「……うん」
「だが、お前はこの状況に絶望して自死を選ぶつもりはないのだろう?」
「そうだね、それだけは確実だ」
「ならば、どうなってもいいように協力しよう。生きる術を教え、帰る方法を模索しよう。答えを出すのはそれからでも遅くはない。目的は、それ自体が楽しいものだ」
フェンの声はとても力強いものだった。無責任な励ましや忠告ではない、真摯さが溢れていた。僕は湧きあがる熱い思いにしっかりと、頷く。
まずは生きよう。この世界で生きながら、楽しみながら元の世界に帰る方法を探そう。その過程で成長したならば元の日常も別の色を持つようになっているはずだ。この非日常が愛おしい日常になったのならそれもいい。
目的を発見するのを目的として、悔いなく生きよう。
僕はそんなとても簡単で、何よりも難しい目的を見定めることにした。
天頂を過ぎた太陽を見ながら、清澄な水のせせらぎを聞きながら、綿毛のような柔らかい風を浴びながら、立てた誓いは僕の心を振るわせ、同時に軽くした。
こうして、僕の長い一日が終わりを迎えていく。
僕は異世界へと降り立った。
本編「罪人のレプリカ」は以下で公開しています。
http://ncode.syosetu.com/n7986ck/
第1話はこれらの話を再編集したもののため、表現・説明に重複がありますが、よろしければご覧ください。