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4、水路の街

 防壁に囲まれた街・バンザッタは中央に西洋建築風の城のある都市だった。向かいの隔壁の高さから推し量るに直径五キロメートルほどの広さだろうか。朝市が行われているらしく、日の出も間もないというのに人々の喧噪がそこここで茹だっている。僕の翻訳装置はそのすべてを拾い、着実に言語体系を学んでいる。音を拾いやすいように、そして物珍しさから馬車の外を眺めているとフェンが古ぼけた羊皮紙を手渡してきた。


 色あせた紙に描かれているのはどうやら地図のようだった。円形の防壁、等間隔の八本の線。東西南北にある門らしき絵から内側へと四本の白線が伸びていて、その間を水色の線が中央にある城を囲む円へと走り、交わっていた。


「フェン、これは?」

「それは――だ」


 彼の発した単語はまだ学んでいない単語だった。首を傾げる僕に、フェンはもどかしそうに小さく唸り、傍らにあった革袋を手にとってちゃぷちゃぷと中身を揺らした。

 水――水路、か。

 合点がいき、僕はなるほど、と口ずさむ。

 この都市がどんな歴史の中で培われてきたのか、ある程度の憶測はついた。堅牢な防壁、城を囲う堀、つまりは戦争の拠点であるとか前線の要塞として用いられてきたのだろう。あたりをよく観察してみると、今も変わらずその用途が残っているようにも思えた。鎧に身を包んだ男があちこちに立っていて周囲に目を光らせているし、買い物客も買い物客で、筋骨隆々とした男が多く見られた。


「僕たちは?」

「俺たちはここを」


 フェンは地図の右にある門の外にある道をなぞった。僕は太陽の昇る方から来たらしい。彼はそれから反時計回りにぐるりと九〇度、円に沿い、上にある門のところで一度とんとん、と地図を叩く。そこで一夜を明かし、それから塀の中へ入ってきたようだ。

 道や門に付随して何らかの文字が書かれていたが、やはりそれを読むことはできなかった。翻訳装置は視覚にも適用されているが、聞くのと読むのではまったく別の過程が必要なため、これまで覚えた知識は役に立たない。まず表意文字か表音文字かすらも分からず、僕は地図からそれ以上の情報を読み取ることを諦め、再び周囲の観察を始めるべく顔を突き出すことにした。


  〇


 朝市の人通りのせいで、馬車の進行は遅々としたものになっている。露店の主たちの商魂は逞しいようで御者台に座るウラグが面倒そうにあしらう声が何度も聞こえた。僕は馬が歩を止めるたびにじれったくなりそわそわと落ち着かない気分になったが、フェンにとっては慣れたものらしい、彼は目を瞑り、穏やかな寝息を立てていた。


 翻訳装置は情報が多いほど学習速度を上昇させる。

 僕が連れてこられた館は朝市の喧噪に負けないくらいの人に満ちていて、絶えず会話が繰り返されていた。身振り手振りはどのような文化圏においても似たような意味合いを持つ。視覚情報と組み合わせることで彼らの言語体系は飛躍的に僕の中に根付いていった。


 それ以外にやることがなく、手持ち無沙汰であたりを眺める。ここは人々に職業を斡旋する組織の窓口であるようだ。かなり大きな団体であるのか、権威を証明するように仰々しい書体の羊皮紙が職員のついたカウンターに掲げられている。かと思えば、反対側の一角では食事とアルコールを提供する壮年の男と美人の給仕がいたりもする。二階に設置された回廊に並んでいる扉は宿泊施設だろうか。


 そうやって物珍しそうに周囲を見ていたせいか、それとも風体があまりにも周りとかけ離れたものからであるのか、僕は奇異の視線が注がれているのをひしひしと感じていた。やや細身であるけれど身長は成人男性の平均程度にはあるため、子供がなぜこんなところに、というよりかはやはり着ている制服が原因だろう。彼らの簡素な衣服と比べたら僕の制服は貴族のためにあつらえた礼服のような煌びやかさがあった。森の中を歩いたせいで泥で汚れているのが、いっそう奇妙なようだ。


 それを珍しがって周囲の人々は何度も僕に話しかけてきた。初めは何と言っているか分からなかったけれど、待ちぼうけを食らっているうちに翻訳装置の精度は上がっていて、なんとか言葉を交わすことができるようになっていた。


「坊主、お前、フェンにつれて来られたんだってな」

「ええ、そうです」答えてから、少し悩み、続ける。「ニールと言います」


 その返答に、男は「お」と驚いた顔を作った。


「言葉を話せないって持ちきりだったが、なんだよ、出任せか。ちょっと顔には似合わない――言葉だが」

「不慣れなもので……ごめんなさい、失礼な表現があったら」

「いい、いい。気にするな。ところでお前どこから来たんだ? ――とかか?」

「えっと、東から」

「東? ボーカンチからの――者か?」


 ボーカンチ? と聞き返そうとして留まる。迂闊な一言が良くない影響を及ぼす可能性もある。必死に言葉を選ぶ必要があるかもしれない。


「森の方の」

「――の村か?」

 上手く聞き取れなくて、僕は笑ってごまかす。「そんな感じです」

「出稼ぎか? あそこらへんの村、これから冬を越えるのも一苦労だって話だしな」

「そう、大変なんですよ、ひもじくてひもじくて」

「そのわりに大層な――だが」


 男は僕の着ている服を指さし、怪訝そうにじろじろと見つめてきた。稚拙な嘘に過ぎる――僕は恥ずかしくなり、しどろもどろに弁明しようとする。


「ああ、えっと、これは」


 自分のことながら動揺が明らかで、大男はそれが重大な事実を隠していると踏んだのか、それ以上突っ込んで訊ねてこようとはしなかった。最近は物騒だな、とか南の大国が荒れてきてるな、だとかそういった当たり障りのない話題を振られ、お茶を濁していると、遠くから僕を呼ぶ声がした。


「ニール」


 フェンは僕が会話をできるようになっているとは知らないようで、手招きしながら「こっちに来い」と言った。

 僕は頷き、立ち上がって隣の大男に別れを告げる。気のいい彼は手を上げて応え、金属のコップの中に入った液体を勢いよく煽った。


  〇


 僕が招かれたのは豪華な革張りの椅子が置いてある応接室らしき一室だった。政府の男と初めて会った、あの部屋が脳裏を過ぎる。

 部屋の中には知らない男がいた。痩せぎすの、神経質そうな男だった。フェンやウラグとは異なり、白人に近い肌の色をしている。彼は椅子に深く腰を下ろし、その向かいでウラグが、こちらに背を向けている。フェンに促され、僕はウラグの隣に座った。


「で」と痩せぎすの男は切り出す。「それが拾いものか」

「ええ、アノゴヨの森のそばで、奇妙な出で立ちをしていたものですから」

「ふむ。名はなんという?」


 彼の視線が僕に向けられる。値踏みするような遠慮のない視線に僕はたじろぎそうになる。


「ああ、ウェンビアノさん、こいつは言葉が――」

「ニール……、と言います、ええと、ウェンビアノ、さん、はじめまして」

「お前、なんで」


 僕が流暢に言葉を返した瞬間、目を丸くしたウラグは顔を寄せてきた。フェンも驚いていたらしく、声を上げないまでも目を見開いているのが視界の端で見えた。

 ただ一人、冷静だったのはウェンビアノと呼ばれた男だった。彼は何らかの疑いを孕んだ眼差しで僕を睨みつけ、フェンとウラグの反応を見た後で、静かに言葉を発する。


「騙ったのか」

「いえ」僕は首を振る。「言葉は待っている間に覚えました」

「待っている間、だって?」

「信じられないかもしれませんが、本当なんです。僕にはそういう――なんというか、そういう力があるんです」

「……だとしたら恐ろしい力だ」


 くく、とウェンビアノは笑い声を漏らし、指でこめかみのあたりを叩いた。

 彼の言葉に間違いはない。僕のいた時代では当たり前になっていたが、数時間話を聞いただけで言語体系を整えられる、という力はここではあまりにも荒唐無稽の技術のはずだった。容易に多文化の人間と意思疎通できるというのは大きなアドバンテージとなり得る。

 僕がその事実を明かしたのもそういった打算があったからだ。事実を隠して不利益を被るくらいなら、打ち明けて有用性を証明した方が危害を加えられる可能性は少なくなるはずだ。


「信じられないでしょうけど」

「いや、そんなことはない、ニール。そんな限定的な魔法など聞いたことなどないが、あってもおかしくはない。それに――」

「……魔法? ちょっと待ってください、魔法ってなんですか?」

「魔法は魔法じゃないか、ニール」


 ウラグはそれこそ信じられない、とでもいうような表情をして言った。

 何を、言っているんだ? 僕は立ち上がり、男たちの顔を順番に窺う。だが、そこには嘘の気配は微塵もなかった。


「魔法くらい、見たことあるだろう」

「魔法ってそんな当たり前に存在するものなんですか?」

「そりゃそうだ。この部屋の灯りも、我々が通った道を作ったのも魔法だろう?」

「ニール?」


 名を呼ばれ、僕は振り返る。フェンが貫くような眼差しを向けている。

 混乱が頭の中を支配していた。別世界であることは覚悟していたが、あまりにかけはなれているじゃないか。既に証明されている近似値の世界ならば希望は持てた。研究が進んでいるだけに、いつか誰かが僕を救ってくれる可能性もあるかもしれなかった。


 だが、ここは――物理法則がまったく異なる世界だ。


 規則性の檻を破り、めちゃくちゃな世界まで放り出されてしまった。

 そこで僕はようやく思い出す。僕がいた世界は思ったよりもずっといい加減に作られていたことを。

 ――あのワームホールは僕をどこまで飛ばしたんだ?

 目の前がくらりと揺れる。おそらくは宇宙外、別の規則性を持った空間に、いま、僕はいる。ここから僕のいた日常までどれくらいの物理的距離があるのだろう。


 ……帰れるのか?

 今まで考えないように努めていた疑問が全身に満ち、膝から力が抜けるのを感じた。綿の詰まった革張りのソファが音を立てる。

 ここは、どこだ。


  〇


 僕の説明を彼らは静かに聞いていた。つまり、虐げられていた僕の力が権力者に認められ、実験に参加し、その結果、あの森に飛ばされた、という話の流れだ。超能力や科学技術のことなどこの世界の人間には到底理解できない部分が多かったようで、彼らは終始渋い顔をしていた。


「つまり――きみは別の世界から来た、と言うことか」


 ウェンビアノは低い声でそうまとめた。僕は黙ったまま、頷く。


「……まるでおとぎ話だ」

「私が生まれ育った国でもそのような話は聞いたことがありませんな」

「でも、本当なんです」

「ああ、疑っているわけではない。むしろ逆だ。そうだろう、フェン」


 ウェンビアノに問いかけられたフェンはおもむろに首肯する。


「お前には明かしていなかったが、この部屋には真偽判断の魔法陣が敷かれている」

「魔法陣?」なんだ、それは。

「ああ、組合規定で非常に頼りないものだがな。だが、それで見る限り、ニール、お前の言葉に嘘はなかった」

「しかし」とウラグが唸る。「超能力、というのはあまりに突拍子もなくて、どうにも分かりませんな」

「なに、実際に見せてもらえばいいだろう」


 ウェンビアノは鷹揚にそう言って、僕に視線を向けた。

 試そうとしている――。彼の態度にはその意志がありありと滲んでいた。昨日の、あの実験とそれにまつわる出来事を思い出しながら、何とか言葉を返す。消え入りそうな声は地面に当たり、てんてんと跳ねて、驚くほど簡単に消えた。


「何を……すればいいんでしょうか」


 僕の問いに、ウェンビアノは身を乗り出す。その顔には、気のせいか、好奇心に心を震わせる少年めいた趣が漂っていた。


「何ができる?」

「……サイコキネシス、が一番まともです。というより、それ以外は、何も」

「さいこ?」とウェンビアノとウラグの声が重なる。

「簡単に言えば、手で触れずにものを動かすんです。僕はあまり器用じゃないから、重いものを動かしたりだとか、そういうのが……」

「ふむ、じゃあ、この部屋で一番重いものを動かしてもらおうか」


 ウェンビアノはあたりに視線を巡らして、それから目の前に置かれている大きな机をコンコンと叩いた。


「樫の大樹を削って作った一点ものの机だ。大人五人がかりでも動かすのは難しい。これを動かすことはできるか?」


 僕は目の前の机を見て、たじろぐ。装飾の施された机は素人目から見ても高価な品物で、制御の利かないサイコキネシスで動かすには相応しいとは思えなかった。壊れても構わないものの方がいい。

 その言葉が喉まで出かかって、しかし、胃の腑の底まで落ちていった。

 ウェンビアノの眼――、それは僕が見慣れた、人間の非情な眼だったからだ。

 どこまでも冷酷に評価を下そうとする、眼。バルトや老先生、政府の男が僕に向けていた視線と同様の温度のないものだった。試験のたび、その視線を背中に受け、いやな汗をかいていたことを思い出す。どうすれば人は有用性のみで人間を判断できるほどに冷たくなれるのだろう、いつも疑問に思っていたが、ようやくそれが分かった気がした。


 生き物は、特に人は、必要のない物を捨てるのが自然だからだ。

 腐った屍肉、壊れた機械、そういった必要のない物を身の回りに置いておくのは危険なのだ。腐った屍肉は毒となり、壊れた機械は円滑な進行を妨げる。

 僕は、試されている。

 これに失敗したら彼は、バルトのように、老先生のように、あるいは、暴走したワームホールを「どうにかしろ」と命令した政府の男のように、僕を切り捨てるに違いない。妄言を吐く獣は世界を乱す。


 僕は唾を飲み込み、立ち上がった。

 これからがどうなるにしても、力を見せつけておかなければならない、と危惧が心を急かしていた。


「……机、おそらく壊れますけど、いいですか」

「構わない、君が本当に触れずに動かせるなら、それ以上のものを獲得できる」

「ちなみに、魔法……で同じようなことができますか?」


 僕はフェンに顔を向ける。彼は静かに首を横に振った。


「例えば地面を隆起させたり、水を呼び寄せたり、あるいは風で、ならばできるだろうが、それ以外には無理だな。魔法は自然界や生物の意識に干渉はするが、物体そのものに作用することはない」

「……わかりました」


 動かしてしまえばもう疑われる余地はない、ということだ。僕は静かに机の短辺の位置まで移動し、じっと机を見つめ、それから壁に視線を移した。


「壁の向こうに人はいますか」


 木造の壁は僕の世界で使われていた建築材とは比べものにならないほど頼りない。この机ほどの質量がぶつかったら間違いなく穴が空くだろう。


「心配する必要はない」


 焦れたウェンビアノがぶっきらぼうに言う。政府の男の声が耳の中でこだまする。『早くしろ』

 僕は誰にも聞こえなかったその言葉に頷き、肩甲骨の外側に意識を集中した。

 意識が別次元に繋がる。

 視界が若草色の光に満ち、幽界の腕が展開する。

 息を吐き、机の縁に〈腕〉をかけた。


 大人五人でやっと動かせる、だって? そんなの話にならない。かつてエネルギー計測テストで鉄の板を引きちぎったことすらあるのだ。それに比べれば、こんな木の板を動かすのはあまりにも容易いことだった。

 僕の〈腕〉は燃えさかる炎のように蠢いたあと、ぴんと張り詰めた糸さながらの直線になった。


 左足を踏み出す。

 奥歯を噛みしめ、力を込める。

 その瞬間、まるで重さを忘れたように、大きな机が宙を舞った。軽々と半回転し、壁に向かって飛んでいく。轟音が僕の肌を強かに叩き、採光用の窓を振るわせた。


 突き刺さるほどの痛みを感じる、音――そのあまりに大きさにウラグが身を竦ませた。フェンも壁際から飛び退き、ウェンビアノですら顰めた顔を背けている。

 それから、彼らの視線は磁力に引かれるように一ヶ所に集まった。その先で、大人が三人も寝転べるほどに大きな机が横転し、壁に突き刺さっている。

 折れた机の脚から木の破片が落ちて床を叩く。扉の外からざわめきが聞こえる。

 ぽかん、と彼ら三人はいちように口を開き、僕と机の間に視線を往復させた。若草色の〈腕〉を畳み、肩甲骨に収納して、僕はウェンビアノに向けて短く息を吐く。


「これで、いいですか」

「……っ」


 言葉をなくした彼が浮かべたのは大事な机を台無しにした落胆でも、にわかに強くなるざわめきへの面倒さでもなかった。

 ウェンビアノの表情にあったのは純粋な喜悦――未知の力との出会いに対する、透明な喜びだけだった。


「ニール」

「……なんでしょう」

「素晴らしい。君の話したおとぎ話を私は全面的に信用することにしよう。身分保障も私が行う。絶対に君を不自由させないことを約束しよう。困ったことがあったら私か、フェン、ウラグに言いたまえ。そうだな、フェン、君が彼についていてくれるか」


 ウェンビアノは震えながらそう言った。その端々に押し殺した笑い声が漏れている。その様子は僕をこの状況に陥れた政府の男のものとそっくり一致したけれど、なぜだろうか、いやな気分では、なかった。


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