1、木偶の坊
老いた先生は「君は何がだめなんだろうねえ」と苦々しげに顔を曇らせた。
それは僕がもっとも知りたいことで、同時にもっとも吐き出してしまいたい思いだった。
ESPやサイキック――超能力が人造的に作り出せるようになったのが二〇七〇年、それから二十二年が経過していた。超能力、という力は科学的産物であるらしい。整えられた能力開発訓練を受ければ新しい力に目覚めるのだそうだ。細かいことは僕も知らない。冷蔵庫がものを冷やす原理であるとか、電流を流したコイルが磁力を発生させる理由を知らなくてもいいように、小難しいことを理解できていなくても問題はない。
例えば今日行った授業、机の上にある拳大のボールを手を触れずにかごの中へ入れるだけの訓練なんてその最たるものだった。理論だとかそういったものをすっ飛ばして、ただ動かそうと念じれば、あるいは動かせると信じれば、ボールは動く。
だが、ただそれだけのことなのに、僕は今日も授業が終わったあとに居残りを命じられていた。いつものとおり、だ。誰もいない教室の中で老先生は匙を投げたような重苦しい溜息を吐いたけれど、その溜息をもう何度聞いたかも忘れてしまった。
「やっぱり」と口にしてみる。「やっぱり認識が浅いんでしょうか」
自信がなかったわけではない。月に一回行われる認識値の計測テストでもそれなりの結果は出ていた。だから、僕の言葉は自戒や謙虚さというしおらしい感情から出たものではなく、むしろ、慰めてもらうための、「そうではない」と否定してもらうための言葉だった。
期待通り、老先生は曖昧な笑いを浮かべて肩を竦めた。
「うーん……そうとも思えないんだけどね。ニール、君はきっちりと第三の手が見えているというのに」
「ええ、今もこうして動かしています」
右手を開き、ゆっくりと握ってみせる。それにあわせて常人には見えざる〈腕〉も動いた。おどけたつもりはなかったが、その仕草に老先生は渋い顔をした。
「認識値はピカイチなんだがねえ……。他の生徒同様に君も政府の特定の部署に目をかけてもらっているから、訪問までにはなんとか使いも――胸を張れるくらいになれたらいいんだが」
彼が言いかけた言葉が耳に届かなかったふりをして笑みを繕い、僕はゴムボールの入ったかごを抱えて特別教室を後にした。溜息を吐こうとして、級友たちが廊下で待ち受けていたことに気がつき、顔を顰める。にやにやとあざ笑う彼らの表情はいつにもまして侮蔑の色が強く、唇を強く噛みしめずにはいられない。
「おつかれさん」
悪意の染みついた表情で、短い金髪の男、バルトはそう言った。
なにが、おつかれ、だ。心が粟立つのを感じる。「ありがとう、バルト」と口に出したくもない言葉を口にするとその思いはより一層強烈なものになった。
「お前に言ったんじゃない、そのボールに言ったんだ」
バルトの言葉は僕には理解できないユーモアに溢れていたらしく、取り巻きたちがぎゃはは、と品のない笑い声を立てた。遠巻きに級友たちが感情のない瞳でこちらを見ていた。
「そのボールとテレパシーで話でもしてやろうか。どうせ『ニール=レプリカが使うのはやめてくれ』って言ってるだろうけどな」
「……僕も本当に申し訳思うよ」
感情を押し殺して、そう言う。とうさんとかあさんは「むやみやたらに人を傷つけることのないように」と部屋の隅で膝を抱える小さなニールに言い聞かせていた。度の過ぎた暴力を振るってはならない、と。
それが子どもに対するちゃちな脅しではなく、真実であることはすべての人が知っている。うまく操れない超能力を使って抵抗したら僕の脳につけられた刑罰装置が作動し、意識を失ってしまう可能性があった。だから、僕は耐えるしかない。
その忍耐を知ってか知らずか、バルトは、ふん、と鼻を鳴らして僕を嘲った。
「申し訳なく思う、ねえ。それはボールに対してか、それとも、俺たちに対してか、どっちなんだろうな」
「……それは」
「お前だって聞いてるはずだ。今度、政府のお偉いさんが来る。そんときにお前みたいなやつがいると俺らの評価まで落ちるんだよ」
バルトの罵倒に取り巻きたちも追随する。
「お前の力が何に役立つって言うんだ」「二級の奴の方がよっぽど使えるぞ」「お前の家もなんでわざわざ恥さらしをここに通わせてるんだろうな。そんな慈善事業をする必要もないのに」
家のことは言うな――。
煮えたぎった油の中に水を垂らしたかのように、怒りが沸騰した。拳を握り、一歩前に出る。それを見て、バルトたちはさらに顔を愉快そうに歪めた。見え透いた挑発であろうと構わない。超能力を使わなくても抵抗はできる。
そう考え、さらに一歩、前に出した足が宙を踏んだ。
笑い声が頭蓋の中に満ちる。
いつの間にか、視界が上下逆さまになっていた。狼狽する余裕すらなく、僕の身体は無様にも背中から床に落ちる。どん、という強い衝撃が背中全体に走り、遅れて、鈍く重い痛覚が肩甲骨のあたりに広がった。
呻く僕を、彼らはさらに囃し立てた。笑い声が降ってくる。
「大丈夫か、ニール=レプリカくん。怪我だけはするなよ、迷惑だから」
屈辱感が喉元から舌の上まで昇り、かあっと頭の中が熱くなった。奥歯に痛みを感じ、どれだけ自分が強く歯を食いしばっているか、気が付く。
「……なんだよ、その目は」
苛立たしげに肩をいからせたバルトは倒れている僕に歩み寄ってくる。
あ、と思う前に視界が明滅した。白く、フラッシュする。
鼻を、蹴られた。
鉄の匂いが顔の中央に満ち、じくじくと痛みが肉から骨に突き抜ける。痛覚の纏わりついた痺れが皮膚を走り、僕の口から情けない呻き声が漏れた。
「やろうっていうのかよ」
「僕は」となんとか返した声は、かすれている。「僕は、こんなこと、やめてほしいだけだ」
言葉は意図を正確に他人には伝えない。彼らは僕の言葉を愚弄と受け取ったようだった。笑い声がぴたりとやみ、静かな怒りが廊下に浸透していく。見下ろしてくる彼らは一斉に青筋を立てて僕を取り囲んだ。
また、やられるのか――。
これもいつも通り、だ。僕の周囲にいる人間は僕が何をしても気に入らない顔をする。行動を起こすたびに、蔑み、詰ってくる。ときには暴力によって「順位」なるものを刻みつけようとしてくることもあった。
やっかいなのは、それらの行動が「暴力」のガイドラインに抵触したとしても、彼らの脳には刑罰を与える装置がつけられていないことだ。
目の前に迫る幼稚な悪意に僕は目を瞑る。たかが五分程度の屈辱だ。いつもと同じように耐えればいい。
それだけだ、と歯を食いしばったとき、怒鳴り声が辺りの空気を震わせた。
「お前たち何をしている!」
廊下に響いた強面の教官の声に、バルトたちの動きは止まった。身を起こそうとした僕の身体も同様に動かなくなる。教官の横にいる僕のクラスメイトが超能力を用いて僕とバルトたちを拘束していた。彼の身体から伸びる〈腕〉が僕たちの身体に食い込んでいる。
「争いごとをするな、といつも言っているだろうが。なんのために口がついているんだ」
なんのために? 彼らの口は悪意に満ちた罵詈雑言を吐く術しか知らない。議論や和解のために彼らの口があるわけではない、それはもう自明じゃないか!
「一週間後には政府から訪問も来る。そこでお前らはこんなくだらない諍いを発表するつもりか」
「教官、別にそんなつもりはないですよ」
飄々と受け流そうとする彼にはやはり、自責の念だとか悔恨だとか、そういった後ろ暗い感情はまるで見受けられなかった。
「ちょっとした行き違いです。もう解決しましたから」
バルトの取り巻きたちはその言葉を口々に追従し、教官も納得したわけではないだろうが、「そうか」と小さく言って、背を向けた。政府組織からの訪問を直前にしたこの時期に問題を大きくしたくなかったのかもしれない。彼の隣にいた僕のクラスメイトも事態を理解している複雑な表情を見せながら、何を言うこともなく教官の後を追った。
「……邪魔が入っちまったな」
「行こうぜ、バルト」
そうするか、とバルトは冷えた視線と乾ききった侮りを僕に向け、去って行く。謝罪の言葉もなく、だ。
僕は周囲から投げかけられる冷ややかな視線に顔を逸らして立ち上がった。汚れた服の埃を払ってその場を離れる。どうしようもない無力感が胸の内側で暴れているのを感じた。
ニール=レプリカ。
もはやミドルネームに近いものになってしまった。誰がそう呼び始めたのか、僕は知らない。いつの間にか、僕もそう名乗るようになっている。
レプリカ――。
僕は模造品だ。決して本物にはなれない、ちゃちな模造品。
〇
とうさんとかあさんは優しい人たちだった。
超能力養成課程で一向によい成績をとれない僕にとって、彼らの言葉は何より救いになっていた。
とうさんは言う。「ニール、お前の力は何にも替え難いんだぞ」
かあさんは言う。「ニール、あなたの努力はきっと実を結ぶわ」
彼らに背中を向けてはいたけれど、僕はその言葉を胸に刻んでいる。だから、できうる限り、自分の中にある力を信じて、努力を続けた。その甲斐もあって僕は少しずつ、本当に少しずつではあるけれど、着実に成長していった。とは、思う。
超能力の根源は「認識」である、と大人たちは言った。別次元を認識し、そこにある力を認識し、意のままに操れることを認識する。そうすれば超能力が発動する。例えば別次元の耳と口を認識すればテレパシーが可能になるし、手を認識すればサイコキネシスが使えるようになる。物体と紐帯のある脳を認識すればサイコメトリーだ。超能力が発見されて以来、人間は、この世界が思ったよりもいい加減にできていることに気がついた。
物理法則なんて表出した「きまり」に過ぎない。ちょっと別次元から干渉すれば簡単に覆る。そうなるとこの世界にある理が大きく揺れ動く。外宇宙に進出する計画は恐ろしい勢いで進行しているし、それ以外にも科学には進歩というよりも進化とも言うべきパラダイムシフトが起こった。
ただ――ただ、環境がどれだけ変わろうとも人というものは簡単には変わらないらしい。劣った人は虐げられるし、優れた者は妬まれる。
「おい、でくのぼう、お前、また試験に落ちたのかよ」
「なんでお前みたいな失敗作がこのクラスにいるんだよ」
「生まれたときからサイコキネシスが使えるだけで調子に乗りやがって」
僕はそのどちらであるのだろう。
生まれながらにして超能力が観察された僕は努力の成果もあって、超能力養成課程、その一級のクラスに所属していた。一級と言えば世間的には今後の人間の進歩に大きな利益をもたらす人間が揃っている、と思われている。その実情はそうでないにも関わらず、だ。
そのいい例が僕だった。
僕は人よりも強大で、継続性のあるサイコキネシスが使えたために一級の認可を受けた。生まれながらにして、というのも理由だった。だけど、サイコキネシス以外は何もできない。テレパシーや読心、サイコメトリーなど、他のあらゆる能力は訓練を受け続けた十七歳の今でも、その片鱗すら掴んでいなかった。サイコキネシスにしても必須である細かな操作なんていくら努力してもできやしなかった。
でくのぼう、と級友たちは僕を蔑み、ときに虐げた。操りきれない力を矯正するための能力拘束具と刑罰装置を付けた僕はやり返すことも許されない。もちろんそれらがなかったとしても細かな操作ができないため、何かが変わるはずもなかった。狙った目標に対して能力を発動できないし、発動したとしても生死に関わる怪我を負わせてしまう。
だから、僕はじっと堪えて、とうさんとかあさんの言葉に従って、努力を続けている。
一が二になる程度の、馬鹿馬鹿しい努力を。
〇
一週間後、超能力養成課程を訪れた政府高官の前で僕たちは課題を行っていた。
課題は物体の同時浮遊。サイコキネシスの中でも僕のもっとも苦手としている分野だった。なにもこの課題にしなくても、と老先生に苦言を呈したくなったが、できるべくもない。バルトが含み笑いを向けているところを見ると彼らの一味が邪な提案をしたのかもしれないが、疑うときりがなかった。
当初レベルの高さに舌を巻いていた政府高官は、僕の順番が来ると首を傾げた。何度もボールをあらぬ方向へ飛ばす僕の実技と資料を何度も確認して、眉間に皺を寄せている。課題とはいえ、無様な姿を衆目に晒すのは趣味ではなく、僕が老先生にもうやめませんか、と提案したのも当然のことだった。
政府高官の姿が消えると同時にバルトたちの高笑いが響いた。聞くに堪えない侮辱を耳にして憂鬱になり、彼らの殊更に誇るかのような実技を見せつけられながら時間が過ぎるのを待った。
僕に呼び出しがかかったのは待ちに待ったチャイムが鳴ってからそう時間が経たないうちだ。
「あの、なんでしょうか」
老先生と校長に招き入れられた応接室で僕は政府高官と向かい合っていた。長ったらしい名前とそれ以上に長い役職名を告げられて、僕も名前を返す。補足するように老先生が僕の情報を彼に与えた。
「君の実技を見ていてね、ちょっと思うところがあったから呼び出してもらったんだ。君はオブライエンの、だね?」
名字を呼ばれ、僕は頷く。「……ええ、そうです」
ついに政府からも罵倒されるのか、と身構えた僕に向かって彼は爽やかに笑い、窓の外を指さした。指の先、ここから五メートルほどのところに人の背丈ほどもある黒く重厚な球体が置かれていた。
「あれを」と彼は言う。「あれを動かせるかい」
「……ゴムボールすら僕は満足に操れません。見ましたよね?」
「操る必要はない。ただ動かすだけだ」
僕は彼の意図を掴めず、老先生に助けを求める視線を送った。情けないけれど自虐に手を貸してくれないか、と思ってそうしたのだけれど、老先生はそうせず、「とりあえずやってみなさい」とだけ言った。校長は鷹揚に頷くだけだ。
僕は溜息を吐く。「どうせ動かせませんよ」
「私が見たいのは事実だけだよ。今、この耳は飾りだと思ってくれ」
「動かせなかったらどうするつもりですか。退学、でしょうか」
「これはただの余興だよ。心配しなくていい」
僕はもう一度、今度は見咎められないように溜息を吐き、逃げられないことを悟る。促されるがまま、窓の外にある球体に向かって腕を掲げた。ゆっくりと息を吸って、認識を始める。
別次元の腕は当然ながら、この次元には存在しない。目で見ようとしても見えるはずもない。だから、認識するにはまったく別のアプローチが必要となる。
例えば目で触る、あるいは耳で見る、手で臭いを嗅ぐ、舌で聞く、そんな感じだ。肉体に備わった感覚器官ではそれらは知覚できない。必要なのはもっと感覚的な、精神的な器官だ。僕の場合、それは背中の、右の肩甲骨のあたりに存在する。あたり――肩甲骨から後方に十六センチメートル、肉体に関わりのない空間だ。
意識を、その幽界認識器官へと繋げる。
脳から伸ばされた〈糸〉が心臓を通り、背中へと這っていく。一度そこまで〈糸〉を通すと肉体に備わった五感すら変貌する。若草色に照らし出された世界が重なり、鳴るはずもない風の音が肌を舐めた。一瞬後に残されたのは、僕の、常人には見えざる巨大な光の腕だけになった。
狂った蛇のようにのたうつ〈腕〉を、慎重に球体まで伸ばす。窓をすり抜け、五メートル先の球体に僕の〈腕〉が触れた。滑らかな質感だった。金属だろうか、冷たさが肩甲骨のあたりまで駆け寄ってくる。
政府高官は固唾を呑んで「余興」を見守っている。老先生や校長も同様だ。この余興にどのような意味があるのだろう、と訝るとそれまでなんとか制御できていた〈腕〉が水を放出するシャワーヘッドのように暴れ、僕は狼狽する。
集中しなければ、と自分に言い聞かせてもう一度金属球に手を伸ばした。軽く押してみたが、びくともしない。
だが、ここで「だめでした」と言っても許してくれないのは分かっていた。彼らの視線は凍り付いたかのように球体から離れない。僕は歯を食いしばり、制御と加圧を同時に行う。無理だ、と叫びたくなるが、加圧に集中する内に右腕がぴん、と一本の直線になった。それに連動して〈腕〉は芯の入った棒のようになり、力が伝わる。
足が一歩、前に出る。
ぐらり、と球体が揺れた。静寂の膜が破れ、歓声が弾ける。
「動いたぞ」
「動いた」
「動かせる」と僕も頷いた。どこから飛来したのか分からない有能感がするりと肩甲骨から忍び込んだ。その途端、球体が、坂道を転がるような勢いで滑り始めた。
身体が前につんのめり、それに呼応して球体も速度をはやめる。転がった鉄球は土を踏みしめ、校舎の壁にぶち当たり、耳をふさぎたくなるような衝突音を轟かせた。
がなり立てるように鳴り響く警報の隙間を縫って、政府高官が「使える」と呟いた。