アイムア・イレギュラーⅡ
僕はマカダミアナッツチョコレートが大嫌いだ。
それはいつも僕から大切なものを奪ってしまうから。
……とでも言えば少しは好感を得ることができるだろうか。残念ながらそんな考えは毛頭ない。
しかしながら僕のまわりはいつだって敵ばかりな事実は揺るぎようもなかった。
始まりは何だっただろうか。あの日、僕佐々木秀一はいつものように図書室で休み時間を過ごしていた。特定の友人を持たなかった僕にとって教室は孤独な空間でしかなかったからだ。それに比べ図書室の無干渉な静寂は僕の唯一の拠り所になっていた。
「佐々木君」
突然声をかけられ弾かれたように顔を上げた。見上げた先には見たことのある顔
、クラスメイトだろうか。あまり記憶にないがクラスに馴染んでない僕には仕方ない事だろう。
「……何ですか」
「次移動教室になったから伝えに。あと手ぶらで良いってさ」
「…どうも」
真面目な奴だと思った。同時に変わった奴だとも。
用件は済んだのだからすぐ立ち去れば良い、しかしその人は薄く笑顔を浮かべながら僕に向き直った。気味が悪い笑みだった。
まるで笑っていない、けれど美しく笑った形をした顔。嫌な予感がした。
「チョコレートの、匂いがする」
その言葉は僕をひどく動揺させた。なぜ、どうして、そんな困惑ばかりが感情を占めた。
その言葉から繋がるだろうものは誰にも知られてはいけない僕の秘密だ。誰も知 らないはずの秘密だ。
笑みを深めたその感情の読めない目に鮮烈な恐怖を抱いた。
「素敵な夢だ、君の野望はとても滑稽で微笑ましいね」
驚きと恐怖に声を出せない僕。こいつは一体何者なんだ?その口振りじゃあまるで……
「"まるで僕の秘密を知っているみたいじゃないか"」
得意げに楽しげに笑いながら僕の驚きに見開かれた目を覗き込む。間近で見たそ の瞳は作り物めいた光を宿していた。
その人は言った。世界を塗り変えてしまおうと。
『力をあげる、君は王様になれる。私はそれが見てみたい』
断るすべはいくらでもあった、だが僕はその誘いに頷いた。それは僕がずっと望んでいた未来だった。
僕は昔からチョコレート菓子、特にマカダミアナッツチョコレートが大好きだった。あまりにも好むあまり中学生になった頃からは自分で作るようにまでなった 。
それほどまでに僕はマカダミアチョコレートを愛していた。毎日三食マカダミア。僕は幸せだった。
しかし世界は、僕からマカダミアを奪った。
マカダミアナッツチョコレートの販売中止。製菓メーカーの不祥事によるおよそ 半年もの販売停止だった。
僕は絶望した。自殺すら考えた。それほどに辛く耐え難い時間だった。僕は世界を憎まずにはいられなかった。僕からマカダミアを奪った世界、僕からマカダミアを奪った人間達、全てが全て憎くてたまらなかった。 世界は僕の敵でしかなかった。
だから僕は復讐を誓った。愛するマカダミアを僕から奪ったこの世界に、人間達に、そして何より製菓メーカーの馬鹿者どもに。 それにはより有効な手段をもって報いなければ意味がない。ならばより有効な手 段とは何か?──そうマカダミアナッツチョコレートだ。
マカダミアナッツチョコレートによって人々を支配する。それこそが僕から全てを奪った傲慢なこの世界に最もふさわしい報復、唯一の贖罪になる。
そのために僕は日夜マカダミアの研究に励んだ。来る日も来る日もキッチンにこもり至上のマカダミアチョコレートを作るべく料理に明け暮れた。
そんな野望に静かに燃える日々のとある昼休み、僕は転機を迎えた。
そう、それこそがあの人との出会いであり、僕の復讐の幕開けだった。
図書館で出会ったその人は僕に力を授けると、これで役目は終わったというように満足げに笑い、足早に立ち去ろうとした。僕は慌てた。結局僕はその人の正体も素性も何も知らない。今となっては本当にクラスメイトなのかすら怪しかった。
「待って」
「……なに?」
引き留めたのはいいものの何を尋ねるべきか僕は迷った。
「あ……名前、聞いてない」
「ああ、島口、島口祐だよ」
聞いたことのある名前のような気がした。クラスメイトであることに間違いは無さそうだ。それならば今こだわる必要はないと判断した。下手にこだわりせっか く得た力を無かったことにされてはかなわない。
「じゃあ、健闘を祈るよ佐々木君」
その人は一度だけ振り返ると、図書館の外へと消えて行った。
翌日、クラスの出席簿を確認した僕は愕然とした。
このクラスに島口祐は確かに存在した。しかしそれは僕の知った島口祐ではなかった。 島口祐なんて女子生徒は、この学校のどこにも存在していなかったのだ。
彼女の長い髪は、マカダミアチョコレートの色をしていた。