9 逃げ延びた二人
目的地に向かう途中で、スマホにメッセージが入った。
マフラーを首に巻き直していた誉は、立ち止まって返信する。大学生になって一人暮らしを初めてから、母は三年たっても心配性で、たまに近況の報告を催促される。苦笑してから、正直に伝えた。
「中学校の同窓会に、行く……っと」
スマホをコートのポケットに戻してから、都心の眩さで淘汰された二月の星を、何げなく見上げる。塾帰りの夜空よりも、心なしか澄んで見えた。
小さな創作料理店を貸し切って、二年二組の同窓会が開かれるという情報を入手したのは、同じ大学に進学した直輝だ。一組の誉は参加できないが、同窓会に不参加の予定だった二組の綾瀬という男の名前を、アルバイト代で焼肉を奢ることで買収し、誉は綾瀬になりすます権利を獲得した。風の噂では、風早汐璃も来るらしい。他都市の大学に通っているそうなので、仔細は本人に訊くつもりだ。
いざ潜入した同窓会は、予想以上に賑わっていた。暗めの照明の所為で視界が悪く、探し人を見つけられない。そのうえ、同級生から代わる代わる「お前は誰だ?」「綾瀬って眼鏡かけてたっけ」と言われ続けて疲弊した。誰かに押しつけられた酒をカウンター席で飲んでみたが、美味しさがよく分からない。大人になったら分かると思っていたことが、二十歳を過ぎても分からない。そんなものかもしれないと達観しながら、烏龍茶に口をつけると、誰かが隣の席に座った。甘い香りが、鼻孔を掠める。
「また烏龍茶なんだ」
ソプラノの声が、聞こえると――まるで魔法にかけられたかのように、時間が巻き戻っていき、制服を着ていた『あの頃』の潮風を不意に感じた。当時は窮屈で堪らなかったはずなのに、今となっては愛おしい青さが、現在の立ち位置を教えてくれる。ぐらつくピンヒールで世界を駆けた誉たちは、ついに逃げ延びることができたのだ。
「二組のみんなって義理堅くて、あたしみたいな途中で転校した問題児にも、律儀に声をかけてくれたんだよね。でも、あたしは同窓会に向いてないみたい。いろいろ噂されてたあたしに、みんなが気を使ってるのが分かるから、馴染めなくて」
長い黒髪を桃色のダッフルコートの背中に流した風早汐璃は、薄化粧で磨きをかけた美貌に、悪戯っぽい笑みをのせた。
「あたしと、逃げてくれる?」
返事の代わりに、誉は手を差し出した。立ち上がった汐璃が「あたし、まだ何も食べてないんだ」と言ったので「何が食べたい?」と訊ねると、「ハンバーガー」と返されたから、笑ってしまった。
誉の手を取った汐璃が、歩き出す。白いフレアスカートが翻り、ピンヒールが店内の照明を跳ね返した。同窓会から抜け出した二人は、確かな足取りで、一度も振り返らずに、夜の中へ駆け出していった。
<了>




