6 今は、まだ
明け方に、廃れた灯台を見つけた。傷んだ扉は簡単に開き、螺旋階段を収めた吹き抜けの空間に倒れ込み、気づけば天井の闇から陽光が白々と射していた。隣でガウンコートに包まって眠る汐璃の顔が、思いのほか近くてどきりとする。跳ね起きると、身体の節々《ふしぶし》が痛かった。汐璃も瞼を開くと「今、何時?」と再び訊いてくる。
「十時半」
「お腹空いたね」
立ち上がりかけた汐璃は、ラブホテルで財布を返したときのように、よろけた。脱げたピンヒールが転がって、誉はいまさら気づく。合わない靴を履き続けた汐璃の素足は、眼鏡を外した瞳でも見分けられるほど、靴擦れで血が出ていた。
「何か買ってくる。汐璃は待ってて」
すぐ近くに、ハンバーガーショップがあったはずだ。灯台を出ると、澄んだ水色の空の眩しさが目を灼いた。跳ねた髪を潮風に遊ばせた誉は、目的地の前で立ち竦む。
白い屋根の小さな店は、どうやら個人経営のようだ。立て看板のメニューには、一人分を買うにもワンコインでは足りない額が書かれている。客層も、所作が洗練された大人ばかりだ。
レジで、夫婦と思しき男女の店員に「照り焼きバーガー二つ、烏龍茶二つ」と告げると、目を軽く瞠られた。誉のコートは砂で汚れていて、セーラー服とピンヒール姿の汐璃のように、大人の居場所から浮いていた。財布の残金や、不透明な未来に思いを馳せると、ふっと肩の力が抜けた。背伸びをしても埋められない隔絶感が、無理やり続けた逃避行の終わりを教えてくれた。誉と汐璃は、逃げられない。今日のところは、まだ。
灯台に戻る途中で、波止場に座った汐璃を見つけた。海面に足を投げ出して、こちらを振り向くと薄く笑った。誉も、隣に腰かけた。
「ん」
「ありがと」
ハンバーガーの包みを開くと、ほんのりと湯気が立ち上った。冬の寒さで急速に奪われていく熱を繋ぎ止めるように齧りつくと、口内に柔らかいバンズが吸いついた。水分を取っていなかった身体に、パテの肉汁の力強さとソースの甘辛さが染み渡る。日差しも、やけに目に沁みた。マヨネーズが馴染んだレタスを咀嚼していると、汐璃が「あはは」と乾いた声で笑い出した。横目に見ると、まだ一口も食べていない。
「これから、どうなるんだろう。ひばり伯母さんは、あたしが邪魔じゃないかな。お母さんとあいつ、追いかけてこないかな」
「汐璃」
「怖いよ。誉」
汐璃が、誉を振り向いた。弾けた真珠のネックレスのように散る涙が、陽光を照り返す海に吸い込まれる。血だらけの素足は、ピンヒールが片方なくなっていた。
「もう、死にたい」
「……伯母さんを、信じよう」
無責任で、他力本願な台詞だ。だが、大人から逃げるために、大人を信じて頼ることしか、今の誉たちにはできないのだ。
小さく嗚咽した汐璃は、ハンバーガーを食べ始めた。泣き止むまでそばにいることなら、今の誉にもできる。そう考えを改めた。




