第7話 影の取引
投稿遅れてすみません(人д`o)
聖別の床の上は落ち着かない。
足元の影が薄いせいで、感覚が少しだけ浮つく。ここは「影を使うな」と言われているようなものだ。露骨で、分かりやすい。
「殿下。余計なことはなさらないでください」
柱にもたれたリオナが言った。目は俺から外さない。
「余計なこと、とは?」
「動かない。話さない。魔法を使わない。以上です」
「……それでは、何もできない」
リオナの表情が少し和らいだ。笑ってはいないが、棘がわずかに抜けた気がする。
黙っていれば、楽なまま終われる。
ただし、終わり方は選べない。
扉が開いた。
入ってきたのは、教会の下級神官らしい男だった。白い法衣は同じでも、生地が薄い。肩の力も抜けている。
その後ろに、リリアが続く。
「第三皇子殿下。少しお時間をいただけますか」
丁寧な声だった。丁寧だからこそ、断りにくい。
「何の用だ」
「事情を確認いたします。手続き上、必要です」
手続き上。
便利な言葉だ、と俺は思う。言い方ひとつで、何でも“正しいこと”になる。
リオナが即座に口を挟んだ。
「殿下は監視下にあります。聴取なら、なおさら慎重であるべきです」
「だからこそです。記録として残します。言葉をねじ曲げられないように」
言い方は柔らかい。けれど、言っていることは強い。
リオナもそこは理解したらしく、口を閉じた。
リリアは下級神官に小さく頷く。
「……お願いします」
男が一歩前に出た。
「第三皇子殿下。今夜の祝宴で――」
「俺は無実だ」
遮ると、男は一瞬だけ目を瞬かせた。
次に落ちてきたのは、教会の声ではなかった。
「無実なら、証明する材料が要ります。情報を買いませんか」
取引の提案。因果ははっきりしている。
無実でも、宮廷は勝手に罪を作る。なら先に材料を集めろ、ということだ。
俺はリリアを見る。リリアは表情を変えないまま、視線をほんの少し外した。
見て見ぬふり――少なくとも、今は。
リオナも気づいている。だが剣には手を伸ばさない。
この場で騒げば、殿下が不利になる。それを分かっている。
男が低い声のまま言った。
「時間がありません。殿下が欲しいのは何です」
「黒幕の派閥と、動かしている人間の名」
「対価は」
「……何が欲しい」
男は迷いなく答えた。
「《《本物の欠片》》です」
杯の硝子片。
俺が影に沈めている物証だ。
「全部は渡せない」
「もちろんです。欠片ひとつで結構。もし私が嘘をつけば、殿下はいつでも私を潰せる――その距離感で十分です」
信用の形としては、嫌になるほど素直だ。
問題は、ここが聖別の床だということ。
影が薄い。動かせる量も限られる。
それでも欠片ひとつなら、通せる。
俺は影をほんの少しだけ深くした。床が削りに来る感覚がある。入れすぎれば引きずり出される。だから最小限。
影の縁から、硝子片をひとつだけ押し出す。
床に落とさず、男の靴先へ滑らせた。
男は平然とそれを踏み、隠す。
「受け取りました」
声が“手続き用”に戻った。
「では、確認します。祝宴で殿下は杯に触れましたか」
形だけの聴取が始まる。
俺は受け答えをしながら、男の“本題”を待った。
男は質問の形を保ったまま、必要な情報だけを落としていく。
「黒幕は宰相派です」
「宰相派の誰だ」
「外務卿ヴァレリウス。表では外交を担い、裏では同盟を壊したい。王女が来れば皇帝と第一皇子の評価が上がる――それが困る連中です」
同盟がまとまれば、第一皇子の功績になる。
逆に躓けば、傷が付く。だから《《躓かせる》》。
男は続ける。
「毒は致死ではありません。魔力暴走を誘う呪毒です。王女が倒れれば、同盟国の不手際にもできますし、宮廷の管理不足にもできます。責任の押し付け先はいくらでも作れる」
「押し付け先は――俺、か」
「はい。殿下は便利です」
言い切りが淡々としていて、逆に腹に来る。
「次は何をする」
「審理の場で、証言は揃います。殿下が杯に触れた。殿下の影が揺れた。殿下が動いた。そこまでは用意済みです」
用意済み。つまり作り物だ。
「杯の本体は処理されています。代わりの杯も準備済みです。毒の小瓶も別口で出します。殿下の物として」
「……偽物で固める気か」
「ええ。王宮では、それが一番早い」
胸の奥が冷たくなる。
男はさらに続けた。
「明け方にもう一手あります。王女の容態がぶり返すよう、結界の外から刺激を入れます。発作が起きれば、殿下の影のせいにされるでしょう」
「……王女を使うのか」
リオナの気配がわずかに強くなる。聞いてしまった、という空気だ。
男は気にしない。むしろ聞かせるために言っている。
「止めたいなら、殿下の証拠は一つでは足りません。誰が嘘をついたか、刺せる形にする必要があります」
「誰が合図を出した」
「侍従官クロード。乾杯の直前、杯の動線を変えた男です」
クロード――合図役の名が出た。
派閥の線と、役割の線が一本に繋がる。
「その男はどこにいる」
「審理の場に出ます。逃げません。逃げる必要がないと思っている」
「俺が動けないと思ってるから、か」
「そのとおりです」
男は最後に、こちらへだけ落とした。
「殿下。味方が必要です。選んでください。近衛騎士か、聖女候補か――両方は難しい」
厄介な忠告だ。けれど的を射ている。
リオナは手順と証拠の人間だ。リリアは立場を賭ける人間だ。どちらも強いが、同時に危険でもある。
男は一歩下がり、聴取を締める。
「――以上です。殿下、安らかな眠りを」
「眠る暇はない」
「殿下も寝る気はないでしょう。なら、朝まで走ってください」
男は礼拝堂を出ていく。
リリアが一拍遅れて続こうとして、足を止めた。
「第三皇子殿下」
「何だ」
「今のお話……どう受け取りますか」
「使える部分だけ使う」
「……承知しました」
リリアは小さく頷き、続ける。
「ひとつだけ。審理の場では結界が強まります。影はさらに薄くなります。殿下の影が少し揺れただけでも、罪にされます」
「分かってる」
「……揺らさないでください」
冗談みたいな忠告なのに、笑えない。
リオナが前に出た。
「殿下。今のやり取りは何です」
「情報を買った」
「対価は」
「硝子片ひとつ」
リオナは眉をわずかに動かしただけで、責めない。代わりに確認に入る。
「侍従官クロード――顔は見分けられますか」
「見たことがない」
「では、審理の場で私が拾います。殿下は証拠を組み替えてください」
意外だった。
彼女が、こちらへ寄った。
「条件があります」
「何だ」
「王女殿下に危害が及ぶなら、私は殿下の味方をやめます」
「分かってる。俺も同じだ」
礼拝堂の外で鐘が鳴った。
祝福の鐘じゃない。連絡の鐘。夜明け前の、嫌な音だ。
神官の足音が近づく。
「準備が整いました。審理の場へ」
早い。思ったよりずっと早い。
俺は影の奥を確かめる。欠片、小瓶、メモ。まだある。
ただし結界が強まるなら、出し方を間違えれば終わる。
リオナが剣の位置を直した。
「行きますよ、殿下」
「……ああ」
聖別の床の中心から一歩踏み出す。影がさらに薄くなる。
朝まで走れ――そう言われた。
なら走る。朝までじゃない。今ここで、ひっくり返す。
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