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【影魔法】嫌われ悪役皇子ですが、玉座は譲りません  作者: 白川みなと
第1章 毒杯の宮廷

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第6話 聖別の床

 廊下に出た瞬間、背中が少しだけ寒くなった。


 王女の居室前の騒ぎは、扉一枚の向こうでまだ続いている。けれど宮廷は切り替えが早い。

 事件が起きても、廊下の空気は何事もなかった顔をする。そうやって回ってきた場所だ。


 俺は足元に視線を落とした。


 影が――揺れている。


 灯りのせいじゃない。俺の歩幅とも合わない。

 もうひとつ、別のリズムが混ざっている。


 尾けられている。


 リオナも気づいたらしい。肩がほんのわずかに固くなった。だが振り向かず、俺の立ち位置だけをさりげなくずらす。壁寄りに詰めて、背後からの角度を殺す。


「殿下。止まらないでください」

「分かってる」


 今夜の出来事は、ただの毒杯事件では終わらない。

 誰かが、もっと扱いやすい形にして持ち帰る。そんな気配がする。


 角を曲がると、尾けていた影の主があっさり姿を見せた。


 白い法衣の男。教会の使いだ。神官のようで、神官よりも“手続きを回す係”の匂いがする。

 男は深々と頭を下げる。礼は立派だが、目つきは冷えたままだ。


「第三皇子殿下。教会より通達がございます」

「通達?」

 リオナが眉を寄せた。


「王女殿下に呪毒の疑いが生じました。よって王族および関係者の聖別を実施いたします」

「……聖別、ですか」

「聖別の床にて、結界と祈祷で影響を確認いたします」


 確認。

 便利な言葉だ。何でも正当化できる。


 リオナが一歩前に出た。


「殿下は毒杯の件で監視下にあります。教会の場へ連れ出すのは――」

「陛下の許可は得ております」


 男は書面を差し出した。署名と公印。

 やはり宮廷で一番怖いのは剣じゃない。紙だ。


 俺は書面を受け取り、視線だけで中身を追う。


「王女はどうした」

「聖女候補が結界を維持しております。命は繋いでおりますが、再発の恐れがございます」


 再発。

 外した瞬間、暴走がぶり返す。あれは脅しでも何でもなく事実だ。


「だからこそ聖別が必要でございます。呪毒が絡むなら、教会の領分です」


 領分。つまり、口を挟むなという宣言でもある。


 リオナが短く息を吐いた。


「分かりました。案内してください。ただし私が同行します」

「もちろんでございます、近衛騎士殿」


 男が先に歩き出す。俺たちも続いた。

 尾行の気配はもう感じない。最初から、ここへ連れてくるための段取りだったのだろう。


 案内されたのは小さな礼拝堂だった。


 扉を開けた瞬間、香が濃く鼻を刺した。灯りは白々しく、肌の色まで薄く見える。

 そして床が妙だ。石畳に銀の線が埋め込まれ、輪を描く文様になっている。中心へ寄るほど影が薄い。


 聖別の床。


 一歩踏み入れた途端、影が軽くはがされる感覚がした。

 影収納の奥まで冷える。嫌な予感が、しっかり形になる。


 ここは影が使いにくい。そういう場所だ。


「第三皇子殿下」


 奥から声。白いベールの少女が立っていた。王女の部屋で結界を維持していた聖女候補だ。

 目が合っても揺れない。怯えもしない。祈りの道具みたいに静かなのに、目だけは強い。


「リリア・エヴァレットと申します。聖女候補として、今夜の調査を任されています」

「調査、ですか」

 リオナが反応する。


「呪毒が宮廷に持ち込まれた可能性がございます。王族と関係者の安全を確認する必要がございます」


 丁寧な口調。だが、譲る余地は一切ない。


 左右に神官が二人立っている。手には聖水と、細長い銀の棒。

 殴るためのものではなく、触れて反応を見る道具だろう。


「殿下。床の中央へ」

 神官の一人が言った。


 俺は輪の中心へ歩いた。

 足裏が落ち着かない。影が薄く、体の支えが少しずつ抜けていくようだ。


 リリアが静かに言う。


「この床の上では、影は隠れにくくなります。そういう造りです」

「隠している前提なんだな」

「疑いを晴らすためでございます」


 きれいな答えだ。

 だが本音は違う。疑いを晴らすというより、俺を疑わしい側に固定したい。


 神官が銀の棒を持ち上げた。


 その瞬間、影収納の奥がざわついた。

 硝子片、小瓶、メモ。沈めてある証拠が、引き上げられそうになる。


 まずい。


 この床は影を薄くするだけじゃない。影の奥に隠したものまで、表に引きずり出す。


 俺は息を吐き、意識を一点に絞った。

 影を増やすんじゃない。深くする。銀の線が届かない、ほんの小さな黒へ滑り込ませる。


 そこへ証拠を沈め直す。


 胸の奥がきしむ。無理をすれば綻びかねない。

 それでも、今ここで出すわけにはいかない。


 リリアの目がわずかに細くなった。

 見ている。気づいている。だが言わない。


 銀の棒が影に触れた。ちり、と小さな音。影が薄く震える。


 神官が顔をしかめる。


「反応は弱い。しかし影の系統であることに変わりはありません」

「最初から決めてかかっているな」


 神官の眉が跳ねた。


「殿下。今夜、王女殿下が倒れたのです。教会として見逃せません」

「見逃さないなら、犯人を探せ」

「だからこそ殿下も含め、全員を調べるのです」


 堂々巡り。

 この堂々巡りで時間を奪い、俺に猶予を渡さないつもりだ。


 リリアが手を上げた。


「そこまでにしてください。今は争う時間ではございません」


 神官は不満そうに口を閉じる。

 リリアは俺を見る。


「第三皇子殿下。確認いたします。祝宴で、あなたは杯に触れましたか」

「触れた」

「理由は何ですか」

「危ない気配がした」


 頷きがひとつ。信じた頷きじゃない。記録するための頷きだ。


「その後、王女殿下は呪毒の発作を起こされました。あなたは影で鎮めた。これは事実ですか」

「事実だ」

「王女殿下を害する意図はございましたか」

「ない」


 言い切る。


 リリアは一度だけ目を伏せ、すぐに顔を上げた。


「教会の結界は今夜から王女殿下の居室を聖別いたします。影の出入りは制限されます」

「つまり?」

 リオナが言う。


「王女殿下に近づける者を絞ります。治療と護衛のためです」


 もっともらしい名目で、出入りを整理する。

 王女を守るためと言いながら、都合の悪い人間を遠ざけることもできる。


 神官が続けた。


「公開審理は前倒しだ。準備が整い次第、日の出前に裁定が下される」

 リオナが目を見開く。

「明朝のはずです」


「呪毒が絡んだ。朝まで待つ余裕はない」

 神官は平然と言った。


 俺は一度だけ目を閉じた。


 早い。

 首輪を締める速度が、さらに上がった。


 そのときリリアが、俺にだけ聞こえるほど小さくつぶやいた。


「第三皇子殿下。ひとつだけ」

「何だ」

「証拠をお持ちですか」


 探りだ。

 しかも当てずっぽうじゃない。さっき俺が影を深くした瞬間を、彼女は見ていた。


 俺は答えない。


 リリアはそれ以上踏み込まず、ほんの少しだけ表情を和らげた。


「もしお持ちなら……お渡しになる相手を、慎重にお選びください」

「教会に渡せと言うのか」

「いいえ。教会にはお渡しにならないほうがよろしいです」


 礼拝堂の白さの中で、その言葉だけが妙に生々しかった。


 リオナがリリアを見る。

 だが会話の中身までは届かない。声量と距離を、そう作っていた。


 神官が宣言する。


「第三皇子殿下にはこの場で待機していただきます。監視は近衛騎士が担当。審理の準備が整い次第、移送します」


 待機、監視、移送。

 整った言葉の裏で、首輪が締まっていく。


 俺は床の文様を見下ろした。薄い影が銀の線に削られていく。

 それでも影は消えない。影の奥には、まだ証拠がある。


 なら、やることは一つだ。


 この床が俺を縛るなら、縛られたまま勝つ。

 そして朝までに、味方を一人でも増やす。

お読みいただきありがとうございます

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