第5話 距離が近すぎる王女
王女の発作が収まると、部屋の空気は別物になった。
医務官は震える手で脈を取り直し、神官は祈りの言葉を早口で唱え、聖女候補は結界石に両手を添えたまま黙っている。
誰もが自分の役割にしがみついていた。そうしないと今夜の出来事を受け止めきれない。
俺は影を緩めたまま、王女の呼吸のリズムに合わせて調整を続ける。外した瞬間、暴走がぶり返す。
だから、少しずつだ。
「殿下」
背後でリオナが低い声を出した。いつもより硬い。
「これ以上は控えてください。教会が――」
「分かってる。余計なことはしない」
実際、俺も余計なことはしたくない。
目立つほど不利になる。宮廷はそれを許さない。
だが今夜はもう遅い。俺は王女の命を救った。
その事実だけで、十分に目立っている。
「……あなた」
ベッドの上から、かすれた声がした。
一瞬、手を止めかけたがやめた。影の加減が狂う。
俺は顔だけ向ける。
セレスティア王女が俺を見ていた。焦点はまだ甘い。だが意思はある。
助けた相手を確かめる目だ。
「もう喋るな」
「喋らないと……逃げられてしまいます」
息は荒いのに言葉だけは強い。
同盟国の王女は、こういう時に弱さを見せない訓練でも受けているのか。
「逃げない。今はここにいる」
「でしたら……お名前を」
面倒だ。
名前を言えば覚えられる。覚えられれば勝手に関係が作られる。
俺が答えずにいると、王女は眉を寄せた。
「教えてください。お願いです……命の恩人でしょう」
その言い方が、ずるい。
恩人という札を貼られると、拒否が悪になる。
リオナが咳払いをした。
「王女殿下。殿下は現在、重大な容疑のもと監視下にあります。接触は――」
「監視……彼が?」
王女の目が細くなる。
弱っているのに空気の変化を一瞬で掴む。
「何の容疑ですか」
「祝宴での毒杯に関してです」
「……彼は、私を助けました」
声に冷えた芯が入った。
同盟国の代表としての声だ。弱さより先に立場が出る。
「助けた事実と毒杯の嫌疑は別です」
リオナは一歩も引かない。手順の女だ。
「別であれば、ここで確かめればよろしいでしょう」
王女が言い切った瞬間、部屋が静かになった。
医務官も神官も手が止まる。聖女候補だけが結界を維持したまま視線を寄せた。
確かめる。
それは取り調べでも裁判でもない。政治だ。
「私の命を救った者を、明朝に公開の場で裁くおつもりですか」
王女はゆっくり上体を起こそうとして、医務官に止められた。
それでも視線は揺れない。
「それは同盟への侮辱になります」
神官が顔色を変えた。
侮辱という単語は、毒より効く。
リオナが小さく息を吐く。
「……王女殿下。今は静養を」
「静養はいたします。ただ、お話はいたします」
王女は俺を見た。
「あなたは、私を殺そうとしたのですか」
「違う」
「でしたら、助けたのはなぜです」
俺は答えに詰まった。
正直に言えば処刑ルートを避けるためだ。だがそれを口にした瞬間、王女を駒にしていると受け取られる。
「……あの杯はおかしかった」
「杯が?」
「気配がした。危ない気配だ」
嘘ではない。全部を言っていないだけだ。
王女は目を閉じ、短く息を整えた。
「今夜の毒は、普通の毒ではありませんでした」
「呪毒です」
神官が口を挟みかける。王女は一瞥だけで黙らせた。
「あなたは、それを止めた。影で」
王女が言うたび教会側の空気が濁る。
だが王女は気にしない。むしろ意図的に釘を刺している。
「……ありがとうございます」
その一言は、場の全員に向けた命令みたいだった。
俺に礼を言うことで、俺の扱いを先に決めてしまう。
リオナがこめかみを押さえる。目に見えて面倒が増えた。
「王女殿下。殿下は容疑者です。距離を――」
「距離は必要です。ですから、近衛騎士。あなたが見張ればよいのです」
王女は当然のように言った。
「彼を私のそばに置いてください。あなたが監視をして、教会も見張る。これなら問題はありません」
筋が通りすぎていて、反論しづらい。
俺は内心で舌打ちした。王女は弱っているのに、もう盤面を動かしている。
「それは外交問題になります」
リオナが言う。
「すでに外交問題です。私が倒れた時点で」
王女は薄く笑った。弱い笑みだが、勝ち筋を見つけた笑みだった。
「……ねえ。あなた。お名前を」
またそれだ。
俺は少し間を置いてから答えた。
「レオンハルトだ」
「レオンハルト……」
「レオンハルト・アルグレイス」
王女が名前を反芻する。
それだけで勝手に距離が縮む。最悪だ。
「レオンハルト。あなたが私を助けたことは、私が覚えております」
覚えている。
礼でもあり宣言でもある。逃げ道を狭める宣言だ。
医務官が間に入った。
「王女殿下。これ以上はお体に障ります。どうかお休みを」
「……分かりました」
王女は目を閉じた。だが最後に低く言う。
「明朝の公開審理。私は参ります」
「王女殿下、それは――」
「参ります」
リオナが言葉を飲み込んだ。
俺も飲み込む。
王女が出れば盤面は荒れる。
だが荒れれば荒れるほど、濡れ衣は剥がしやすい。
部屋を出るとき、廊下の先で聖女候補がこちらを見ていた。
ベールの奥の目が、何かを測るように細くなる。
あれは敵か、味方か。
どちらでも厄介だ。
リオナが俺を横目で睨んだ。
「殿下。勝手なことはしないでください」
「勝手に動いたのは王女だろ」
「……殿下もです」
正しい。
ただ、俺は手順に従って生きてきたわけじゃない。必要なら踏み越える。今夜みたいに。
俺は歩きながら影の奥に意識を落とした。硝子片、小瓶、メモ。
命綱はまだある。
明朝。公開審理。
王女が出るなら、派手にひっくり返る。
そう思った矢先、廊下の影がひとつ揺れた。
誰かが、こちらを見ている。
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