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【影魔法】嫌われ悪役皇子ですが、玉座は譲りません  作者: 白川みなと
第1章 毒杯の宮廷

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第5話 距離が近すぎる王女

 王女の発作が収まると、部屋の空気は別物になった。


 医務官は震える手で脈を取り直し、神官は祈りの言葉を早口で唱え、聖女候補は結界石に両手を添えたまま黙っている。

 誰もが自分の役割にしがみついていた。そうしないと今夜の出来事を受け止めきれない。


 俺は影を緩めたまま、王女の呼吸のリズムに合わせて調整を続ける。外した瞬間、暴走がぶり返す。

 だから、少しずつだ。


「殿下」


 背後でリオナが低い声を出した。いつもより硬い。


「これ以上は控えてください。教会が――」

「分かってる。余計なことはしない」


 実際、俺も余計なことはしたくない。

 目立つほど不利になる。宮廷はそれを許さない。


 だが今夜はもう遅い。俺は王女の命を救った。

 その事実だけで、十分に目立っている。


「……あなた」


 ベッドの上から、かすれた声がした。


 一瞬、手を止めかけたがやめた。影の加減が狂う。

 俺は顔だけ向ける。


 セレスティア王女が俺を見ていた。焦点はまだ甘い。だが意思はある。

 助けた相手を確かめる目だ。


「もう喋るな」

「喋らないと……逃げられてしまいます」


 息は荒いのに言葉だけは強い。

 同盟国の王女は、こういう時に弱さを見せない訓練でも受けているのか。


「逃げない。今はここにいる」

「でしたら……お名前を」


 面倒だ。

 名前を言えば覚えられる。覚えられれば勝手に関係が作られる。


 俺が答えずにいると、王女は眉を寄せた。


「教えてください。お願いです……命の恩人でしょう」


 その言い方が、ずるい。

 恩人という札を貼られると、拒否が悪になる。


 リオナが咳払いをした。


「王女殿下。殿下は現在、重大な容疑のもと監視下にあります。接触は――」

「監視……彼が?」


 王女の目が細くなる。

 弱っているのに空気の変化を一瞬で掴む。


「何の容疑ですか」

「祝宴での毒杯に関してです」

「……彼は、私を助けました」


 声に冷えた芯が入った。

 同盟国の代表としての声だ。弱さより先に立場が出る。


「助けた事実と毒杯の嫌疑は別です」

 リオナは一歩も引かない。手順の女だ。


「別であれば、ここで確かめればよろしいでしょう」


 王女が言い切った瞬間、部屋が静かになった。

 医務官も神官も手が止まる。聖女候補だけが結界を維持したまま視線を寄せた。


 確かめる。

 それは取り調べでも裁判でもない。政治だ。


「私の命を救った者を、明朝に公開の場で裁くおつもりですか」


 王女はゆっくり上体を起こそうとして、医務官に止められた。

 それでも視線は揺れない。


「それは同盟への侮辱になります」


 神官が顔色を変えた。

 侮辱という単語は、毒より効く。


 リオナが小さく息を吐く。


「……王女殿下。今は静養を」

「静養はいたします。ただ、お話はいたします」


 王女は俺を見た。


「あなたは、私を殺そうとしたのですか」

「違う」

「でしたら、助けたのはなぜです」


 俺は答えに詰まった。

 正直に言えば処刑ルートを避けるためだ。だがそれを口にした瞬間、王女を駒にしていると受け取られる。


「……あの杯はおかしかった」

「杯が?」

「気配がした。危ない気配だ」


 嘘ではない。全部を言っていないだけだ。


 王女は目を閉じ、短く息を整えた。


「今夜の毒は、普通の毒ではありませんでした」

「呪毒です」


 神官が口を挟みかける。王女は一瞥だけで黙らせた。


「あなたは、それを止めた。影で」


 王女が言うたび教会側の空気が濁る。

 だが王女は気にしない。むしろ意図的に釘を刺している。


「……ありがとうございます」


 その一言は、場の全員に向けた命令みたいだった。

 俺に礼を言うことで、俺の扱いを先に決めてしまう。


 リオナがこめかみを押さえる。目に見えて面倒が増えた。


「王女殿下。殿下は容疑者です。距離を――」

「距離は必要です。ですから、近衛騎士。あなたが見張ればよいのです」


 王女は当然のように言った。


「彼を私のそばに置いてください。あなたが監視をして、教会も見張る。これなら問題はありません」


 筋が通りすぎていて、反論しづらい。

 俺は内心で舌打ちした。王女は弱っているのに、もう盤面を動かしている。


「それは外交問題になります」

 リオナが言う。


「すでに外交問題です。私が倒れた時点で」


 王女は薄く笑った。弱い笑みだが、勝ち筋を見つけた笑みだった。


「……ねえ。あなた。お名前を」


 またそれだ。


 俺は少し間を置いてから答えた。


「レオンハルトだ」

「レオンハルト……」

「レオンハルト・アルグレイス」


 王女が名前を反芻する。

 それだけで勝手に距離が縮む。最悪だ。


「レオンハルト。あなたが私を助けたことは、私が覚えております」


 覚えている。

 礼でもあり宣言でもある。逃げ道を狭める宣言だ。


 医務官が間に入った。


「王女殿下。これ以上はお体に障ります。どうかお休みを」

「……分かりました」


 王女は目を閉じた。だが最後に低く言う。


「明朝の公開審理。私は参ります」

「王女殿下、それは――」

「参ります」


 リオナが言葉を飲み込んだ。

 俺も飲み込む。


 王女が出れば盤面は荒れる。

 だが荒れれば荒れるほど、濡れ衣は剥がしやすい。


 部屋を出るとき、廊下の先で聖女候補がこちらを見ていた。

 ベールの奥の目が、何かを測るように細くなる。


 あれは敵か、味方か。

 どちらでも厄介だ。


 リオナが俺を横目で睨んだ。


「殿下。勝手なことはしないでください」

「勝手に動いたのは王女だろ」

「……殿下もです」


 正しい。

 ただ、俺は手順に従って生きてきたわけじゃない。必要なら踏み越える。今夜みたいに。


 俺は歩きながら影の奥に意識を落とした。硝子片、小瓶、メモ。

 命綱はまだある。


 明朝。公開審理。

 王女が出るなら、派手にひっくり返る。


 そう思った矢先、廊下の影がひとつ揺れた。


 誰かが、こちらを見ている。

お読みいただきありがとうございます

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