黄金の五分間
「五分。これが、医学的妥当性とユーザーの尊厳を守るためのデッドラインだ」
大手家電メーカー『ゼニス』の技術者、佐藤は、新プロジェクトの最終プレゼンでそう断言した。彼が開発したのは、便座型健康スキャンシステム『スマート・リリーフ』。尿中の糖やタンパクを光学センサーで捉え、糖尿病などの兆候を即座にスマホへ通知する、次世代の「診察室」だ。
提携先の大空生命保険は、このシステムを「社員の健康寿命を延ばす福利厚生」として自社ビルに導入した。 ルールは至ってシンプル。個室に入ってから五分間は無料。それを過ぎると、一分ごとに百円の「健康維持管理費」が、アプリから自動で決済される。
「五分もあれば、着脱して排尿、清拭、スキャンまで十分間に合います」と佐藤は主張した。 だが、運用が始まると、別の効果が顕著に現れた。
それまで個室でスマホをいじり、三十分以上も「避難」していた社員たちが、五分を告げる冷徹な電子音が響いた瞬間、まるで短距離走の選手のように飛び出してくるようになったのだ。社内のトイレ混雑は見事に解消され、糖尿病予備軍も次々と発見された。
「素晴らしい。これこそ、テクノロジーによる行動変容だ」 佐藤は自分の設計思想が正しかったと確信した。
半年後、『スマート・リリーフ』は大型商業施設『グランド・プラザ』へ試験導入された。 ターゲットは健康不安を抱える中高年層だ。モールの目立つ場所に設置された「メディカル・レストルーム」は、中学生以下入室不可、保険会員は無料という条件で、瞬く間に大人気となった。中高年の客たちは、「買い物ついでに健康チェックができる」と喜び、五分間の緊張感を楽しんでさえいた。
導入成功の祝杯を挙げる席で、佐藤はモールの運営責任者である田辺に、誇らしげにデータを提示した。 「田辺さん、見てください。このモールを利用する中高年の平均尿糖値が、導入前より改善しています。皆、通知を見て食事に気をつけるようになったんです。私たちの技術が、街を健康にしている」
しかし、田辺はグラスの縁を指でなぞりながら、薄笑いを浮かべた。 「ええ、健康データも結構ですがね、佐藤さん。我々が本当に評価しているのはそこじゃないんですよ」
佐藤の手が止まる。「……どういう意味ですか?」
「今まで、うちの個室は悩みの種だったんです」と田辺は続けた。「高齢のお客様は一度入るとなかなか出てこない。外には行列。それが今じゃどうです? あの『ピピッ』という電子音が鳴った途端、どんなに足腰が重い方でも五分で切り上げて店に戻ってくれる。滞在時間が短縮されたおかげで、トイレの回転率は四割上がった。その分、客は売場で金を落とす。増設工事なしでこれだけの利益を生む装置は他にありませんよ」
佐藤の顔から血の気が引いた。彼が技術者としての誇りをかけて設定した「五分」は、正確な診断のためではなく、客を効率よく排泄させ、売場へと追い立てるための「法的な強制力を持ったタイマー」として機能していたのだ。
「健康なんてのはね、客を追い出すための最高に聞こえの良い大義名分ですよ」 田辺は楽しげに身を乗り出し、佐藤の肩を叩いた。
「そこで相談なんですが、佐藤さん。次は『便』の方、いけませんか? あっちはもっと時間がかかる。尿で二分にして、便なら三分。それくらいでスキャンして追い出せるようになれば、うちの売上はさらに化けますよ。技術者魂、期待していますよ」
佐藤のスマホが震えた。自分が数分前に入ったモールのトイレから、通知が届いている。 《本日の尿糖値:正常。五分以内の退室を確認。ご利用ありがとうございました》
スマホを握りしめる佐藤の耳の奥で、自分が設計したあの冷徹な電子音が、いつまでも鳴り止まなかった。




