レアケース
<レアケースですか?> <そうですね。胃瘻さえ付けないで、経皮静脈の点滴だけで1年半以上も生命を繋いでいるのですから>
2年近く会わなかったMと母の主治医がまず交わした会話だ。とは言ってもその間、Mがこの医療療養型病院Kへ全く訪れなかった訳ではなかった。むしろ毎週1度は母の個室を見舞っていたので、Kへの転院時から今に至るまで、母のバイタル面の推移は直感的に痛い程理解していた。
<ならば母がここに転院した2年前の状態を100としたら、今はどのくらいでしょうか?> 若い主治医はやや考える素振りの後、微笑みを浮かべながら、しかしきっぱりと応えた。
<60くらい、かな?•••ここへ来た時にはまだ話せてたでしょ?> <ええ•••> <それが今は、この状態ですからね> 主治医の目配せにMも視線を彼から母へ移した。
すると彼女は、すべすべした小顔の下半分を占めるかのように口を開け、大あくびを3回程繰り返した。そして澄み切った、けれども虚ろな目をMへ向けた。
確かに明白な反応はない。が、今でも病室に2人だけでいる時、Mがそっとマスクを脱ぎ顔を母へ近づけると、彼女はそれまでの無表情からにわかに驚いたような、ついで何かを確かめるかのように、斜視になった両の瞳でMを見続けるのだ。そしてMが呼吸を止めながら辛抱強く母を見つめていると、運が良ければ声にならない声をMへ発しかける画面を認める事ができる。
(母さん、脳幹以外みんな、めちゃくちゃになっちゃんたんかなぁ?•••でももしそうじゃなかったら、まだ意識のかけらぐらいあるんじゃないのかな?)
95歳で認知症が進行し食べる事を忘れ、話もできない、ベッドに横たわったままの状態になってしまっては、脳科学の専門医でもなければ患者の容態を、必要以上に悪く見積もってしまうのかもしれない。Mは最近になってつくづくそう思うようになった。というのも母が、コロナ罹患で急性期の病院へ担ぎ込まれた際、当時の主治医とSWがMに対し、開口一番こう言ったからだ。
<既に廃用症候群なのでよくて3ヶ月の余命です。ですからそれなりの準備、しておいて下さい。>と。ところが母はその後、2年余りも生き延びている。それでも用心深いMは主治医に、最後にこう聞いてみた。
<今の母の状態、植物人間ですか?> <いいえ、まだそこまではいっていませんね>と主治医。
ならばとMは、某マシンをレンタルする事にした。それはALSの亡ホーキング博士や当国参議院議員が使い倒していた、いる生体現象式意思伝達装置だ。毎日の面会は2時間と決まっているので、彼はこの枠をフル活用する事にした。早速トリセツに従い試してみると、驚きの結果が得られた。
<<いつまで私をこんな所に居させるの?いい加減家に連れて帰ってよ!こんなとこで死んだらあの世でずっと恨むからね!!>>
Mは慌ててスイッチを切り、目線を病室窓の外へ移した。すると今まで気にもならなかった、近くのゴルフ施設から聞こえてくる打ちっぱなしのモノトーンが、Mの耳治しをしてくれた。