緋色の時代、白色の隙間
「もしも」メアリーとジェーンに交流があり、幼い頃仲が良かったとしたら…
という前提です。
「もしも」を許せる、広い心でお読みください。
1553年、ロンドン。
薄曇りの空の下、ホワイトホール宮殿の窓辺に立つメアリー・チューダーは、両手を固く組んでいた。
「ジェーン……」
苦しそうにその名前を口にする。
幼き日、王宮の花園で共に詩を読み交わし、時には手を取り合って笑い転げた日々。彼女──ジェーン・グレイは、従妹であり、何よりも、メアリーにとって数少ない「心を許せる友」だった。
だが今、そのジェーンは王座に着く正当性がないとして、拘束され、軟禁されている。
「私自身が王位を望んだことは一度もありません。義父、叔父たちに利用されたのです」
捕縛されたジェーンが言ったその言葉だ。メアリー自身、そのことはよくわかっている。ジェーンも、ジェーンの夫、ギルフォードも、親の欲に振り回された犠牲者であることを。
メアリー自身は王冠を手に入れた。だが代償に、懐かしくも愛しい友と、その夫を処刑せねばならぬのか?
「私は…女王。国を乱すわけにはいかぬ」
苦悩の中、メアリーは枢密院を退け、ひとり書斎へ向かった。そして筆を執り、手紙をしたためる。
お願いよ、ジェーン、プロテスタントを捨て、カトリックになって。
そうすれば、あなたを処刑しなくてすむのよ。
彼女はその夜、密かに塔へ使者を遣わせる。
自らの名を伏せ、ただ「マリアより」と署名された手紙をジェーンに届けさせた。
だがその動きはすぐに宮廷の噂となり、議会の耳に届く。
「女王陛下、感情に流されてはなりませぬ」
ノーフォーク公が進言する。
「彼女を赦せば、プロテスタントはつけあがります。女王の権威をつぶそうとしてくるでしょう」
メアリーは黙していた。
友情か、統治か。
彼女は、真っ赤な服と髪飾りをつけていた。それが夕日に映え、さらに赤く、燃えるように見えていた。
◇◇◇◇
塔の中庭に面した薄暗い牢の中。
ジェーン・グレイは白い綿布のショールを羽織り、小さな祈祷書を膝に乗せていた。
淡い光が格子窓から差し込み、彼女の横顔を照らしている。どこか儚いその姿は、青白く浮かび上がらせていた。
「マリア様からのお手紙です」
密かに忍び込んだ老女官が、胸元から折り畳んだ羊皮紙を取り出す。
ジェーンは小さく頷き、それを受け取った。
『その命、我が手で救いたし。プロテスタントからカトリックへと改宗せよ。
そして、ただ、ジェーンとして生きてほしい。──マリア』
ジェーンは目を閉じ、静かに微笑んだ。
「マリア…ありがとう、でも…」
◇◇◇◇
一方、宮廷では緊張が高まっていた。
メアリーがジェーン夫妻の処刑命令に署名を渋っていることは、既に枢密院の間でも問題視されていた。
「幼馴染だからといって、甘い顔をしてはなりません!メアリー様、あなた様は王女なのですよ!」
その言葉に、メアリーは頭を痛めていた。
三日後、塔の礼拝堂にて、メアリーは、護衛をわずかに引き連れ、ジェーンと対面した。
久しぶりに交わされた視線の中に、幼き日の記憶がよぎる。しかし、それは遠きかなたの事……。
「お互い、難儀な血筋に生まれてしまったわね…」
「ほんと…それに、エドワード6世様が今際の際に変な書付をするから…」
ジェーンは苦笑をこぼす。その書付のせいで、ジェーンは座りたくもない王座へと担ぎ上げられた。
「……私は、もう誰にも振り回されたくないわ……」
メアリーはジェーンを真正面から見つめた。
「私が王である以上、あなたを救うには“王としての理由”が要るのよ」
ジェーンは、そっと息を吐きだし、メアリーに告げる。
「ありがとう、でも私は…ギルドフォード様がプロテスタントであることを捨てないのならば、私だけが捨てることはできないわ。
けれどね、マリア、私もギルドフォード様も王座を望んだことは一度もないのよ…本当よ?
だから、私の存在がこの国の害になるのなら…どうか…あなたの手で、終わらせて?」
メアリーの瞳が揺れた。
「そんな言葉、聞きたくなかった……私の願いは、ジェーンを救うことなのよ……けれど、あなたが、あなたたちが拒むなら……」
彼女は言葉を切り、静かに立ち上がった。
「あなたたちを処刑せねば、私は王ではなくなってしまうわ……」
ジェーンは微笑んだ。
「では、どうか、友として、見送って、お願いよ、マリア」
いやよ!どうしてわかってくれないのよ、ジェーン!ギルドフォードが拒んでいても、あなただけでも改宗してほしいのに!!!
メアリーはその叫びをぐっとこらえ、そのまま、友に背を向ける。
ジェーンは、その背に――決して折ることができないのだろう、その背に、ゆっくりを頭を下げた……心からの感謝をこめて。
蝋燭の灯が揺れ、彼女たちの影が壁に滲にでいた。
◇◇◇◇
その翌朝、王命が下り、宮廷から発表がなされた。
「ジェーン・グレイ、女王陛下からの寛大なる申し出、改宗の機会を幾度も与えられしも、それを拒絶。よって、国家の統一を乱す者として、刑を受け入れることとなる」
処刑の日の朝、メアリー誰よりも早く目を覚まし、ひとり祈っていた。
「主よ、どうか彼女と、彼女の夫の魂を天にお導きください……私の大切な友なのです」
処刑台にて、ジェーンは静かに目隠しを受けた。
「メアリーに、感謝と、変わらぬ友愛を……」
処刑人は、その言葉の意味を理解できず、女王陛下に伝えることもしなかったという。
ジェーンの死後、メアリー女王はプロテスタントを過酷なまでに迫害し、処刑していくことになる。
彼女に安らぎが訪れたことはあったのか、否か、誰も知らない。
◇◇◇◇
(忘れられた手紙)
数年後。
女王メアリーが世を去るとき、一通の手紙が発見された。
「ジェーンへ
もしも私が、あなたを救えなかったとしても、どうか赦して。
王冠が私を変えたのではない、私がそれを選んだのだと思う。
あなたの魂の光が、この国のどこかに残ることを願って──マリアより」
だがこの手紙は、歴史の記録に残ることはなかった。
メアリー女王の死とともに焼却されたとも言われている。
人々の記憶には、「9日間のみ王座にいた少女」と、「プロテスタントを憎む厳しき女王」だけが残された。
end
史実でも、プロテスタントを過酷なまでに追い詰めていったメアリー王女は、従妹のジェーンとその夫には、改宗すれば処刑しない、と幾度か声掛けをしています。
親族に利用されていただけ、という事を理解して哀れみをかけていたのだろうけれど、もし、大事な友人という思いもあったなら…、という妄想から書いてみました。
ジェーン・グレイさんをもとにしたお話は、他にも考えていて、ちまりちまりと書いてはいるのですが……
なかなか形になってくれません。
それが書き上がった時には、また、アップしたいと思っております。