見えない束縛
放課後の屋上には雪が残っている。
空は雲に覆われ、強い風が俺の体温を容赦なく奪っていく。
ベンチが数個あるだけのここじゃ風を防いでくれるものなんてありはしない。
風当たりが強い、嫌な言葉だ。
だけどこの時間帯は部活動や帰宅部で教室や帰り道が混雑するはずだから、他の生徒が来ない場所としてはここが最適なはずだ。
俺は今、恋歌を待っている。
ゆうかを待っている時とは違うドキドキを抱えて、自分のした事の償いにはならないけれど、寒空の下で待っている。
「……さっむ」
ここにくる途中、満月さんに声をかけられた。
『あーしの時みたいにメッセで済ませればよかったのに、どうなっても知らないかんね』
彼女にはなにも話していない。
なのに、全てわかっているかのような言葉を付き合っていた時と同じ笑顔で送られたのはとても不気味だったな。
それに、なんと言われてもこれは俺のケジメだ。
妹を理由に動けなかった自分、意思決定すらできず、ひたすら逃げてきた俺の罪は消えないだろう。
ただこれは、誠実に俺とゆうかを助けようとしてくれた、俺のワガママに振り回してしまった、そんな君への謝罪だ。
キィキィと錆びた扉が開く音がして、覚悟をしていたはずなのに何故か体が動かなかった。
「兄さん」
音の主は、ゆうかだった。
綺麗な髪をなびかせて、俺に近寄ってくる彼女はとても優しく俺の頭を撫でてくれる。
緊張やこれから起きる恐怖で固まった体がゆっくりと、凍った物が溶けるように。
優しい暖かさが俺を包んでくれる。
「大丈夫だ」
「そうでしたか? そうは見えませんでしたけど」
「……怖くないわけ、ないだろ」
「でも強くならなきゃダメです、しっかりして下さい!」
ゆうかに頭を軽く叩かれて、俺もゆうかに抱きついた。
いい匂い、心から安心する俺だけの匂いだ。
妹の匂いが、脳の奥を刺激する。
何かしらの薬物だと言われても納得してしまう程……病み付きになる。
「兄さんってば、昨晩も私の匂い嗅いでましたよね」
「うるさい、減るもんじゃないんだからいいだろ」
「我が兄が妹の匂いフェチなんて……フフッ、嫌じゃないですよ、でもさっき元彼女と私の許可なく話したのはダメです、許してあげませーん」
ゆうかは俺を否定しない。
全てを肯定する訳でもないが、彼女は俺の愛を全て受け止めてくれる。
位置情報共有してくれている、誰とも話さない約束もしてくれた。
そして何より、ゆうかも俺に愛を向けてくれている。
俺はもうゆうかを裏切れない、だけど、ゆうかも俺を裏切れない。
学校も家も夜だって、ずっとゆうかと繋がっていられる。
「はい、おしまいです」
俺を抱き締めるゆうかの手から力が抜け、彼女は一歩下がった。
もっとゆうかを抱き締めていたくて、逃げる彼女を求めて腕を伸ばす。
視界が上がる。
ゆうかの後ろに、開きっぱなしの扉がある。
そして、そこには恋歌が立っていて、俺とゆうかを睨んでいた。
「恋歌があまりにも遅いから兄さんが退屈しないように遊んでましたけど、もう少し遅くてもよかったのに」
「……妹のくせに、僕の彼氏に手を出さないでもらえるかな!?」
恋歌が素早く妹に近づいた。
そして、そのまま音の勢いで積もった雪を吹き飛ばせそうな勢いで頬を叩いた。
ゆうかはいきなりの事で対応できず床に倒れるが、恋歌は止まらない。
馬乗りになって、ゆうかを叩き続けている。
「僕はゆうかちゃんもお兄さんにも! 幸せになってほしかったのに! 君が普通になりたいって言ったから、君を信じたのに! 何で……何で!」
勢いに飲まれて動けなかったが、ようやく俺は恋歌の手を掴む事ができた。
その手には友達同士でのケンカとは思えない程の力が込められていて、痙攣のように震えている。
「ごめんね、恋歌」
殴られていたはずのゆうかは、頬を赤く腫らして、涙を流しているが、その視線は俺に向けられている。
もっと早く助けろって意味が込められては……いないな。
早く終わらせろって目だ、そうだろ?
「ゆう先輩! 離して下さい!」
「ダメだ、離さない」
恋歌は俺を睨む。
手を離されないと理解するとすぐに立ち上がり、ゆうかに蹴りを入れてから俺に詰めよった。
彼女が怒る原因は俺、だけど、俺の"家族"に対する暴力は許せない。
「ふざけんな! ゆうかの事蹴りやがったな!」
「ふざけているのはそっちでしょう! ゆう先輩は僕を裏切ったくせに、ふざけないで!」
ゆうかがお腹を抱えている。
目の前の恋歌を力一杯突飛ばして、急いでゆうかにかけよった。
特にケガはないけれど、お腹をずっと押さえている。
アイツ、どんだけ力込めて蹴ったんだよ!
「恋歌、お前といえどゆうかに手を出すなら許さないぞ」
「元を辿ればお兄さんが悪いんじゃないか! もう傷つきたくない裏切られたくないって言いながら、自分は平気な顔で僕を裏切ったくせに!」
「お前……知ってたのか」
「お兄さんもゆうかちゃんも、普通に戻るために協力して欲しいみたいな事いっておきながら……お兄さんとゆうかちゃんはデートしてたよね、全部知ってるよ」
まだ話してない。
結末は変わらないが、俺から言うのと彼女が知っているのでは"わけ"が違う。
出鼻を挫かれ、本来の話をしないといけないのに、恋歌は涙を流しつつ話を止めない。
普段の表情でも、王子様を演じている時とも違う、涙でぐちゃぐちゃになった表情のまま、言葉と暴力が俺を襲う。
「僕が何か悪いことをしたの? お兄さんの為に部活を辞めて、勇気を出して、やっと彼女になれたのに……」
「ごめん」
「しかも! あてつけみたいにゆうかちゃんとお兄さんのデートコースは僕とお兄さんが回ったのと同じだし、そんな……上書きみたいな事しないで!」
……そうだ、確かにそうだ。
順番は少し違うけれど、確かにゆうかとデートをした日のコースは、恋歌と回った場所だらけだった。
あの時は妹に男として見てもらおうと必死だったから...…そこまで気付かなかった。
「何がしたいの!? 僕を傷つけたいの!? 僕の恋心を弄んで、そんなに楽しいの!?」
それでも、気付かなかったとしても、俺が彼女に言い訳なんて出来るわけがない。
鋭利なナイフが心にズバズバと刺さる。
避けようと思えば、恋歌を押し退ける事は簡単だろう。
だけど、それをしないのは俺の……勝手な贖罪だ。
「僕はお兄さんの事が好きなのに、お兄さんも僕と付き合うって言ったのに! お兄さんを……信じてたのに!」
強烈な一撃。
視界が揺れる。
痛い、痛い、痛い。
でも、耐えなきゃいけない。
「そのへんにしてもらえませんか」
「……ゆうか」
「君もだよ、裏切り者」
ゆうかが恋歌を押し退けて、俺の隣にやってきた。
そのまま俺を抱き寄せて……。
一瞬の恐怖。
その原因はすぐに見つかる。
ゆうかが見せた事のない、不気味な笑みを浮かべている。
ニヤニヤしているけれど、喜んでいるって訳でもなさそう。
怒っているけれど、笑っている。
でもその表情は、俺を守ってくれるって確信だけは持てた。
「恋歌の言う通り、私は兄さんとデートをしました、それも恋歌と回ったデートコースを選びました」
「何で、そんな事したの」
「兄さんに恋歌とのデートと、私とのデートを比べてもらいたかったんです」
ゆうかは生き生きとしている。
まるで、昔の彼女に戻ったかのように、元気で、ただひたすらにまっすぐに、恋歌を追い詰めていく。
「……それで、どうだったの」
「とっても兄さんは楽しそうでしたよ、兄としてではなく、一人の男として見て欲しいって欲望が見えかくれするぐらい必死で、可愛くて、妹を女として意識してくれているんだって思えて、最高でした」
恋歌もゆうかも嘘は言っていない。
互いの真実を、並べてそれをぶつけているだけ。
「勝手な勘違いをするのはいいけれど、君達は絶対に結ばれない、兄妹でそんな関係なんて、僕も、法も、社会も許すわけがない!」
「それでも、兄さんは私を選んだんです」
ゆうかは蹴られたお腹を撫でている。
まだ痛むのか。
だけど、それにしては……表情が明るい。
痛みを感じている時のソレじゃない。
恋歌はそれを見てから……目を見開いた。
「それと、お腹を蹴るのは止めて下さい」
「……嘘、だよね、だってそんなの」
「兄さんは私を見えない束縛で縛りました、いえ、まだ見えないってだけですけど……フフッ」
力なく、恋歌が膝から崩れ落ちた。
そして、瞬きをする事なく、見開かれた目が俺を捉えている。
もはやそこに光は無い。
暗く、よどみしかない暗黒が渦巻いているような気がする程の、恐ろしい目をしている。
「兄さん、いえ、ゆう君」
その視線を背中に受けるようにゆうかは俺の前に立った。
そして、抱き締めて。
何度目か分からないキスをしてくれる。
「手遅れなら、だれもが認めるしかないでしょう?」
ゆうかは振り向き、恋歌に向かって。
いや、俺にも向けて、この場を終わらせる一言を放つ。
「恋歌は、兄さんの……このオスの愛をここに注がれた事はありますか?」
優しくお腹を撫でるゆうか。
その意味が理解できた。
デートの日の夜の……あの時の事を言っているのだと、すぐに嫌でも理解させられる。
「さ、兄さん、"私達"をとるか恋歌をとるか選んで下さい」
最後は俺が締めなきゃいけないらしい。
君がいて、俺は本当に救われた。
辛かった時、俺達の味方をしてくれた君は本当に頼りになる友人だった。
君のおかげで、俺はゆうかを妹じゃなくて女性として見る事ができたんだ。
「恋歌」
「……はい」
ありがとう、どうか幸せになってください。
「ごめん」
少しの沈黙の後、ゆうかが抱きついてくる。
いままでよりも強く、それでいて幸せそうな表情で、笑っている。
「兄さん、大好きです!」
もう一度キスをされた後、後ろを見ると恋歌はもう居なかった。
「愛してるよ、ゆうか」
「はい、私も……兄さんを愛してます!」
腕の中のゆうかは笑っている。
まるで、何もかもを手に入れたかのような、支配者のような笑顔だった。




