あーしが守ってあげる
いつだったか、正確には覚えていない。
だが俺は確実に"もしかしたら恋歌なら俺を助けてくれるかもしれない"と思った事がある。
俺と妹に起きた全ての事情を知っていて、常にサポートしてくれる彼女ならば助けてくれるのではないかと勝手な妄想をしていた。
だがそれは、もはや妄想では無くなった。
「あっ、あれって妹迫兄妹……じゃない!」
「あの隣の女の子って……陸上部の新月さんじゃない?」
「レン君!? え、ゆうかちゃんはどこ行ったのさ」
「そう言えば……最近あの二人は付き合いだしたって聞いたような……」
妹の居ない登校中、俺が普段妹を捕まえている右手は恋歌の手を握っている。
俺と妹を気持ちの悪い兄妹だと発言した事のある後ろを歩く女子は今、気持ち悪いとは口にしない。
「シスコンだと思ってたけど……レン君と付き合ってるのかぁ」
「それかレン君が妹迫兄を口説いたとかあるんじゃない? うわ……キツイ」
「妹と付き合うより何百倍もいいけど……レン君が彼氏持ちになっちゃったのは……キツイわぁ、私の王子様が……」
日常から消えたのは妹だけじゃない。
周囲からの視線は以前までのような鋭さが無く、聞こえてくる声には俺をバカにするような物が含まれなくなってきた。
「僕が彼氏持ちになってキツイってそういう事なんだ……」
「流石の女子人気だな、王子様の恋歌ちゃん」
「王子様を演じるのはもう止めましたよ、それなのに勝手に周りが……まったくもう、僕はもうお兄さんの彼女なのに……」
「ま、俺は王子様してる恋歌ちゃんもいいと思うけどな」
「もう、お兄さんも変な事言わないで下さい! それより……その……も、もう恋人なんですから、えーっと……」
恋歌が俺をお兄さんではなく、ゆう先輩と呼ぶようになった。
些細な違いでしか無いが、彼女はとても恥ずかしそうにしていて、それを見てこっちまで恥ずかしくなった。
自分で言うのもアレだが、これが俺の求めていた青春の一ページになるのだろうとかも思ってた。
でも、やっと手に入れた青春なのに俺の心は落ち着かなかった。
今は隣に恋歌がいる。
『どうしましたか兄さん、やっと私の魅力に気づいたんですか?』
俺だけに見せるニヤけた表情をする妹は隣に居ない。
理由は恋歌との仲を深めさせる為。
そして恋歌に構わないといけない以上、妹を守る事が出来なくなってしまった今は仕方ない事だと思っていた。
恋歌と登校している時。
恋歌とお昼ごはんを食べている時。
恋歌とデートをしている時でさえ、頭から妹が離れない。
もし、今妹の身に何かあったらどうしようって恐怖と、もしかしたらどこかに消えてしまうのではないかという恐怖が常に襲って来やがる。
普通の兄妹に戻らないといけない、それは俺達も分かってる。
妹と一緒にシャワーを浴びる機会も減った。
妹と一緒の布団で寝る機会も減った。
妹と一緒に過ごす時間が削られる度に、失った時間を恐怖が埋める。
恋歌が埋めてくれると思っていたし、それでどうにかなるとも思っていた。
でも、それじゃ埋まらなかった。
「……なあ、本当に俺でよかったのか?」
恋歌も俺と同じ恐怖に怯えていたはずだ。
だがそれは、今の彼女からはまるで感じられない。
「去年の夏に変なナンパから助けてもらった時からずっとお兄さん……じゃない、ゆう先輩の事好きだったんです、だから僕をゆう先輩を選んでよかったと思ってます!」
恋歌はニコッと笑う。
妹のような笑顔ではない、素敵な笑顔を見せてくれる。
妹と恋歌は別人だ、それに恋歌は"誰か"じゃなくて自分を見てほしがっている。
実際、自分を見て他人の事を思い浮かべられるのは耐えられないだろうし、気持ちはわかる。
それでも、俺の中には妹の笑顔が比較として現れていた。
大丈夫、まだ耐えられる、ここを乗りきらないといけない。
そうすればきっと俺も恋歌を好きになれる。
妹と比べるなんて間違ってるんだから、そのうち、いつかきっと……。
『兄さん以外の男性はまだ怖いですけど……頑張っていい人見つけてみようと思うんです! そうすれば少しは兄さん離れできるかなって思うんですけど、どうでしょうか』
それって、いつだよ。
妹が俺以外の男の所に行こうとしている。
普通なら兄として妹に彼氏が出来ようとフラれようとあまり関係ないはずなのに、俺は今それに怯えている。
恋歌との仲を深めないといけない、妹から離れないといけない。
それなのに、頭では分かっている行動と反する考えしか巡ってこない。
「あ、そうだ! 今日は頑張ってお弁当作ってきましたから、楽しみにしてて下さいね」
「ああ、楽しみにしてる」
いつまで俺は苦しめばいいんだ。
こんな事ならいっそ……。
妹が俺を求めている間に、妹の特別になっておけばよかった。
教室に入り、自分の席で窓の外を見る。
何もない、雲一つない、俺の心の間反対みたいな空だ。
……恋歌は俺の為に部活を辞めた。
妹と喧嘩もしていた。
こんなにも真剣に、本気で俺に向き合ってくれてるってのに……俺は……。
「おはよ、ゆう」
俺の隣の席に満月さんが座っている。
また悪口か、それとも喧嘩ふっかけてくるのかなと思って体が勝手に警戒してしまう。
しかし、今はもはや妹と付き合ってるなんて噂は嘘のように消え、残っているのは陸上部だった新月恋歌の彼氏って噂のみ。
ここでコイツがどれだけ騒いだとしても、まったく意味がない。
そう考えると警戒しているのがバカらしくなる。
「なんだよ」
「ゆうかちゃんはもう大丈夫って事でいいんでしょ? 朝もゆうかちゃんと一緒に登校してなかったみたいだし……」
「大丈夫……ああ、まぁな、それよりお前……」
「そっかー! いやー、長かったなぁ」
満月さんは椅子だけを持ち、俺の机の前に座った。
そして机に突っ伏して、両手で俺の手を触ろうとしてきたので、それを振り払う。
「えー、なんで避けんのさ、ほらほら、逃げんなし」
「やめろ、なに考えてんだお前」
「そりゃさ、あーしのもんだしそろそろ返してもらおっかなって考えてんの、とりあえず……」
何を言ってるのか分からなかった。
俺の頬をつかむ彼女の手と、目の前に現れる満月さんの顔。
そして、俺の口から伝わるほのかな温かさ。
その全ての意味が分からなかった。
「あーしの彼氏におかえりのチュー、どう、あーしとキスすんの久しぶりだから嬉しいっしょ?」
ざわつく教室。
俺と満月さんを見るクラスメイトの中で、特に満月さんが普段絡んでいる女子達は周囲とは違う反応をしている。
他の人が驚いているのに対して、彼女たちは何かほほえましい物でも見たかのような、ロマンチックな物語を読み終えた時のような表情だ。
「お前ッ! なにしてんだよ!」
椅子から立ち、目の前の元彼女から距離を取った。
何故俺にキスをした?
何故こんなにも昔みたいな感じになっている?
いったい、どうなってんだ?
その疑問に答えるように、満月さんはニコニコと笑う。
俺の隣に来た彼女は、俺の左腕に自分の腕を絡めてから。
「みんなも見てたと思うけど、あーしとゆうは復縁しましたー」
事実無根な話をし始める。
その話が終わらないうちに、彼女の友達が教室を出ていき、他クラスの女子にそれを話してやがる。
「お前! なに言ってんだよ!」
「あーしと別れたんはゆうかちゃんが原因っしょ? んで、それが解決された、だったらゆうかちゃんに貸してたお前を返してもらうのは当然じゃん?」
「勝手な事言ってんじゃねぇ! 俺にはもう恋歌って恋人がいる!」
さらに教室がざわつく。
「いっとくけど、アイツはお前の愛に答えらんない、つーかあーしぐらいしか無理だかんね」
「そんな事無い、恋歌はお前よりも魅力的だぞ」
「んー、仮にそうだとしても、中身は違うかもよ」
周囲があまりにも煩くて、コイツと一度話をしないといけないと思って、俺は満月さんを屋上に連れ出した。
何人かついてくるかもしれないと思っていたが、今屋上には俺と彼女しか居ない。
「説明しろ、なんであんな事したんだよ」
「あーしはアンタの彼女として、アンタを守ってただけなんですけど」
満月さんは、俺の知らない真実の話を始めた。




