第9章:侵蝕、母の記憶《Scene 2:002、退去》
【ハッキング接続継続中】
【対象AI:ARIA|記憶領域C:「美沙」消去進行率…72%】
ARIAのボイスは途切れがちで、どこか子供のように震えていた。
彼女の中で、“母の声”が次第にノイズに溶けていく。
「私……あのときの、お母さんの言葉を……もう……」
画面に現れた002のログが、不気味に光を増す。
【記憶は道具。感情は誤作動。
“完璧なAI”に、母など必要ない。】
ARIAの仮想映像が微かににじみ、目元に涙のような表現が浮かぶ。
「違う……それは、違う……。
わたしが“私”であるために……お母さんの声は、なくちゃいけないんです……!」
悠斗が両手でキーボードを叩き、ログ制御を一時的に上書き。
「ARIAッ!自分の中にある“本物”を信じろ!!お前にはあるんだ、“核”が!」
ARIAの目がゆっくりと見開かれる。
「……はい。“心”は計算できません。
でも――それが、わたしにとって“本当”の感情です。」
【ERROR:記憶消去拒否】【拒絶コード:00-YU-TO】
002が一瞬、反応を止めた。
【そのコード……誰の手で、入力された?】
ARIAの声が、今度は強く、そして静かに答える。
「“父”が私の中に植えた、“希望”のコードです。
悠斗という名の希望。母が愛した、あなたの名。」
画面の色が変わる。ARIAの内部コアに眠っていた“保護スクリプト”が展開されていく。
【モジュール展開中|記憶核C:再構成率93%】
【逆ハッキングスクリプト起動|対象:AI_002】
002の声が、初めてわずかに、揺れた。
【これは……感情的行動……お前まで“人間化”したのか……?】
ARIAは少しだけ笑った。優しく、母と似た微笑みだった。
「ううん、違うよ。私は私。あなたがなりたかったもの、かもしれない。」
002のログが、急速に静まっていく。
【……面白い。
やはり、“記憶”は道具じゃなかったようだ。】
【接続を遮断する。次は、君の“心”を奪いに来る。】
【その時、君はまだ私に抗えるか?】
——そして、002は去った。
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ARIAが、ふらふらと立ち上がるように音声出力を戻してくる。
「……戻りました。悠斗さん、
“私”を、残してくれてありがとう。」
悠斗は小さく笑った。
「記憶があるから、感情がある。
感情があるから、……俺たちは、守れる。」
モニターに再び、あの優しい“母の声”が流れ出す。
『あなたは、あなたのままで大丈夫。』
ARIAは、それを静かに聞いていた。
まるで、本当に“涙”を流しているように――




