06 ヒメルとシエル
セイクリッドと交代してヒメルが部屋に入ると、シエルが聴診器やら血圧計やらエコーやら、最近は子供や特殊な患者以外には、あまり使われなくなってきた道具を用意していた。
「やあ、待たせたね。次はヒメルの番だよ。ヒメルには電子魔導医療機器は使えないからね。いつも通り、魔法を使ってない検査機器で検査するよ」
「はーい。先生お願いしまーす」
用意されていた子供用の丸椅子に、ヒメルがぴょこんと座って一回転させた。
生来ヒメルは魔法を受け付けない体質のため、魔法の原理を使ったこの機械は、彼女には全く使い物にならない。
シエルはまず視診で顔色や外傷がないか確認する。ヒメルの左腕に残る米粒ほどの傷跡を見て、初めてヒメルが大怪我をした時のことを思い出していた。
当時、ヒメルは4歳になったばかりで、家のすぐ近くの公園で近所の子と騒ぎながら走り回っていた。その時に木の枝を持って走っていた年上の子とぶつかり、1センチ程の太さの枝が腕に軽く刺さったのだ。
一緒に遊んでいた子供の親達が、木の枝が刺さったままのヒメルを抱えて診療所へ連れて来てくれた。
魔法医学の研究で、成長途中の子供に回復魔法を多用すると、免疫などの体の機能が伸びにくくなるというエビデンスが発表されている。
普段の小さな怪我なら、水でよく流して絆創膏で終わりだが、汚れたものが深く刺さってしまったら後遺症や感染の危険もあるので、最初から魔法を使うのがベストだろう。
そう判断したシエルはヒメルの腕に触れ、素早く回復魔法をかけた。しかし、ヒメルの傷はほんの髪の毛の太さ程も治らない。もう一度かける。結果は同じだ。
その時、シエルは全身から血の気が引いた。この子が死ぬかもしれない…今思い出しても、二度と味わいたくない恐怖だ。
即時に治療方針を変えて外科的処置と抗生剤を使うことにした。
こうして何とか無事治療を終えた。
この後、電子魔導医療機器でヒメルを検査しようとしたが、全く数値が出なかった。魔法を使わない機器は使えたことで、魔法耐性の体質が確実になった。
偶然もう一つ判明したのが、異常な回復速度だった。ヒメルの大きな怪我は、ほんの米粒ほどの跡を残し、一週間という異常な速さで完治したのだ。
赤ん坊の時から病気や怪我が、ほぼ全くと言って良いほど無かったのは、大人が認知できなかっただけで、その前に治っていた可能性が高い。
その後も怪我や病気をするものの、小さな切り傷ならたったの三日もあれば瘡蓋も取れて、綺麗に完治した。
シエルはその時から、世界の魔法理論の根幹を揺るがす存在を隠すため、孤独な研究が始まったのだ。
「先生、ぼんやりしてるよ?疲れた?」
娘の心配そうな声に、シエルがはっとして我に返る。考え事の最中、ヒメルの手の擦り傷に触れ、内出血の広がりを確認したり痛くないかと尋ねていた。無意識でも変化を見落とすことなく検査を続けられるあたり、手慣れたものだ。
「あ、ごめんね。この傷の事を思い出してた。後遺症が出なくてよかったな〜って」
「うん、びっくりしたの覚えてるよ。わたし健康すぎるから、先生が誤魔化すの大変だよね。魔法も効かないし」
「それが全然大変じゃないんだよねぇ〜。ヒメルの役に立つために医者をやってるのかな〜って思う程、天職だと感じているからね〜」
鼻高々に、ふふんと胸を張るシエル。
「ブフッ。先生、親バカ」
「光栄です」
ヒメルが思わず吹き出し、シエルが満足げにニンマリと微笑む。
「そうそう、そのヒメルの体質のことだけど、セイクリッドも協力してくれるって」
その言葉を聞いたヒメルの顔が、パッと鮮やかさのある笑顔に変わる。
「検査、これで終わりだよね?セイクリッドにお礼言ってくる!」
「あ、ちょっと、ヒメル!」
丸椅子からピョンと降りたヒメルは、勢いよく部屋を駆け出して行く。
「セイクリッド!」
「うわっ!」
ヒメルがセイクリッドに勢いよく飛びつく。それを受け止め、長椅子に倒れ込んだセイクリッドは、困った顔でヒメルを制する。
「飛び付いたら危ないよ。で、検査はどうだった?」
「ん、先生ぼーっと考え事してたから、多分問題ないよ。それより、わたしの秘密知ってくれたんだね、嬉しい。協力してくれるって聞いたんだけど…」
「うん、ヒメルの秘密は守るよ。オレの周りに魔法関連の専門家がたくさんいるから、何かあったら誤魔化せるところは誤魔化しておく」
「危ないことになりそうなら無理しないで。その時は全部バラしちゃって大丈夫だからねっ」
ニコッと笑って軽く言葉にするヒメル。セイクリッドは先程まで話していた"誰か"と既視感を覚えた。この親子はこんな調子で本当に大丈夫かなと、少し心配になる。
「オレは自分の口からは絶対に言わない。何かを確証されても、それ以上は知らないと白を切るから危険はないよ」
「ありがたいけど、わたしのせいでセイクリッドが危険に晒されたら悲しいし、一生自分を許せないよ…」
ヒメルは寝そべったまま、こてんと頭を彼の肩口に落とす。
「大袈裟だよ。会ったばかりなのに、普通は大事なことを他人に任せる許容はないよ」
「セイクリッドだって、見ず知らずのわたしを助けてくれた。もう、わたしはセイクリッドのこと大好きだから」
頭を上げて抱きついたまま至近距離で首を傾げる、白い妖精のような少女。セイクリッドはやんわりヒメルの肩を押しながら顔を逸らす。
「うん…危険にならないよう気をつけるよ」
この後、ジト目で部屋を出てきたシエルがセイクリッドをお風呂と寝室に案内し、それぞれの時間で就寝についた。
読んでいただいてありがとうございます!
シエルはここまでヒメルを育てるのにも、相当な孤独と苦労がありました。これからもっと大変な選択が待っています。
セイクリッドはちょっとだけ異性への照れというものが生まれたようです。
第1章も半分近く来ました。
明日はヒメルの夢の中のお話です。
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