05 ヒメルの秘密
警察署からシエルの車で帰宅した三人。警察署から車で15分もかからない場所にシエルの診療所がある。自宅と診療所の中はエリアが分かれているが、二階建ての一つの建物だ。その建物はこの街の建築物の特徴である暖色系色の三角屋根の可愛らしい家で、雪が積もる地域なので玄関は底上げされていて、玄関フードがついていた。地球風に例えるなら北欧の家の雰囲気に似ている。
シエルはすっかり眠ってしまった娘のヒメルを抱え、こちらだよとセイクリッドに声をかけて表通りの裏にある家の玄関に案内する。鍵を開け、どうぞと彼を招き入れる。
北の地域以外ではなかなか見ない珍しい建物の構造や、雪国にしかない道具が多々置いてあり、セイクリッドは興味深そうに視線を移して眺めていた。
リビングに入ると、お腹が空いていたヒメルは目を覚まし、何か軽いものをお腹に入れたいと冷蔵庫からプリンを取り出す。二人にもプリンを渡し、テーブルに着いて三人で食べる。
近所の人が親戚の養鶏場の卵で作った、濃厚無添加プリンだ。一口頬張ったヒメルは、幸せそうに目を閉じて極上のプリンを堪能した。
「セイクリッド、これ、すっごくおいしいね。もう一個あるけど食べる?」
「いや、もう十分だ。こんなに美味しいプリンは食べたことがないよ」
「ふふふっ、一緒に食べられて嬉しい。わたしもこれ大好きなの」
誰かと同じものを共感して食べる。それはとても心が満たされることだ。ヒメルはお腹も心も満足して返事と共に満面の笑みをセイクリッドに返す。
プリンとお茶で一服した後は、クリニックの敷地に移動し、最初にセイクリッドの検査から始める。ヒメルは待合室で待機だ。
シエルは"電子魔導医療機器"でセイクリッドの体を調べることを伝える。
この機械は、魔法と科学を融合した万人が扱うことの出来る、どこのクリニックにも大体置いてある珍しくない装置だ。縦横2メートル程の装置があり、円盤型の土台に、同じものを縦にくっつけた形状で、そこに人が立つ為の縦長の凹みがある。
「セイクリッド、大きな病気とか、体に何か医療器具が入ってるとかない?…おっけー、それじゃあ真ん中の大きな凹みに立って。話しても大丈夫だけど、あまり大きく動かないでね」
シエルは検査の機械を使うための禁忌がないか彼に確認し、機械のコントロールをしながら指示をする。
セイクリッドは検査の間、何か考え込んでいるようだった。しばらく自分の手を見つめ、何度か握ったり開いたりした後、意を決した様に口を開く。
「先生…実はさっきの事件でオレは手を怪我したはずなんです。袖が焦げているでしょう?犯人の雷魔法で少し火傷しました。なのに、ここに来る前には綺麗に治っていた。回復薬や魔法を使ってないのに」
セイクリッドは次の言葉をためらって口をつぐむ。シエルは沈黙に口を挟まず、作業しながらセイクリッドの言葉をを待つ。
「それから…先生や警察官の何人かは、オレの服が破れていたり血がついていたのを見たはずなのに、怪我の有無を確認した時に何も尋ねなかった。何故ですか?原因が何か知っているからでしょう。オレが一緒にいた人物はヒメルだけだ。何かあるとすれば彼女がーーー」
「うーん、鋭いねぇ」
ここでシエルが口を開いて奥底知れない表情になる。子供相手に手加減をしてはいるが、愛娘の秘密を探られるとあってか、全く目が笑っていなかった。
「流石、中央都市の研究チームの秘蔵っ子だね。」
「!?」
シエルの言葉にセイクリッドは驚きと警戒の表情を顕にする。
「あ〜ごめんごめん、驚かせちゃったね〜。大丈夫、まあ座って座って。君の事は中央の知り合いにちょっと聞いた程度であまり詳しくは知らないんだ。昔は僕も中央で学んでたんで、その伝手でね。お互い他言無用でよろしくね」
ひらひらと手を振って、いつもの気の抜けたシエル先生に戻るが、少しだけ真剣な眼差しに変わり、セイクリッドに問いかける。
「君に大切な身内がいても、仕事でどんな忖度があっても、今から話すことを決して誰にも話さないと約束してくれるかい?一言漏らすだけで、冗談抜きでヒメルの命が危険に晒されるんだ」
「わかりました。先生がいいと言うまで、聞いた話は誰にも伝えず墓場まで持っていきます」
「墓場までって…うん、ありがとう。セイクリッド、君を信用するよ」
セイクリッドは警察官から聞いた話では、今年9歳になる年だという。そうとは思えない程、理解も言語能力も高く、大人びた言動で非常に頭が切れる。愛娘の最大の秘密を明かそうとシエルが決断したのも、彼の頭が良すぎるからだ。
いずれヒメルの秘密が公然になるとしても、今現在、下手に隠してセイクリッドの仲間達に探られるより、全て話して彼一人を理解者で協力者にした方が安全だと考えた。
それにしても、セイクリッドの保護者達は、彼をちゃんと子供として甘やかしているのか。彼の心の安穏が心配になる程しっかりし過ぎだと、シエルは思った。
「それじゃあ話すね。ヒメルは回復系魔法が使えるんだけど、それを無意識に使ってしまえる程、回復系魔法の相性が良いとても希少な体質なんだ。その他にも大きな問題があるんだけど、セイクリッドは気づいたかな?」
「予想でしかなく、あり得ない話ですが…」
シエルに問われ、セイクリッドは犯人達と戦った時の前後の記憶を掘り起こす。そこから出た推測は常識ではあり得ないことだった。
セイクリッドはぶつぶつと独り言を言いながら推論を立てる。
「犯人は…抵抗する彼女を弱い雷魔法で気絶させることも出来たはず…なのにしなかった。ヒメル本人は魔法が使えるのに、傷も治そうとしない。…自身は攻撃魔法を…いや、全ての魔法を受け付けない…?」
それを口にするのを躊躇い、ごくりと喉を鳴らして苦い顔をする。
この世界では、回復系や補助系の魔法は攻撃魔法と違って、自己に効きにくいという魔法理論がある。全くのゼロではなく効きは個人差が大きい。それなのに、あの状況でヒメルはどのタイプの魔法も受け付けないという推測が生まれてしまう。
「彼女は魔法を受け付けない…のでしょうか」
「うん、正解!素晴らしい推理だね」
空想じみた発言をしたかもしれないと感じ、語尾が控えめになったセイクリッドは視線を下げる。するとシエルが満面の笑みでセイクリッドの答えを称賛した。
「え!あのっ、自分で発言しておいて何ですが、オレが習った魔法理論では、魔法が効かない生物は皆無。重力と同じくらい当たり前の魔法理論に反することではないでしょうか」
「そうだね。様々な当たり前の事があるのと同じで、魔法が効かない存在なんて、魔法を弾くための魔法を使う以外には確認できたという発表はないね」
「世界で唯一の存在…」
魔法理論が覆される。ありえない話にセイクリッドは声と手先が震える。それに気づいたシエルは、機械を操作しながら安心させるように柔らかく微笑む。
「うん、多分ね。だからもしこの子の秘密が知られれば、今まで以上に誘拐や、下手したら国から公に一生飼い殺しにされてしまう危険が高いだろうね」
「街のみんなで協力しているから、ヒメルの自由を守れているんですね」
「おおっ、それも感づいたんだ!あははっ、セイクリッドすごいねぇ〜」
世界が変わる重たい事実を吹き飛ばすように、シエルがカラカラと軽いノリで笑う。
街の人も警察官も、セイクリッドの右袖が黒焦げになり破れて血もついているのに、彼等は何も触れなかった。ヒメルがいることでその部分の怪我が治っているのを知っていて、敢えて何も言わなかったのだ。
他者を気遣いつつも、ヒメルの秘密を守るためにそれぞれが口をつぐむことは、昔から暗黙の了解なのだろう。良い結束を持った街の人達全体で、彼女のアイデンティティを守ってきたのだ。
もしもヒメルの秘密が公然となった場合、ヒメルを利用したい者達の思惑と、守りたい人達との長く壮絶な泥沼攻防になるだろう。
それを想像すると、自然とセイクリッドの眉間には皺ができる。金と権力と知識欲のある大人がどれだけ怖いか、セイクリッドは少なからず知っていた。
「わかりました。例え世界でたった一人のレアケースでも、欲に塗れた大人の思惑で彼女が酷い目に遭うのは、オレも許せません。ヒメルの秘密は絶対に他言しません」
「ありがとうセイクリッド。君が味方でいてくれると本当に心強いよ。」
シエルは「それにしても…」と話題を変え、腕を組んでとても困った顔をする。
「うーん、何でヒメルはあんなにセイクリッドにしがみついたんだろうな〜。普段ヒメルって平等というか八方美人というか、特定の人にこれほど執着するなんて初めてなんだよね」
「よほど怖かったんじゃないですか?」
「誘拐未遂は数回あるけど、そっちの反応も何故か淡白な反応で、それ程怖がらなかったんだ。一般的には悪夢を見るとか普段と違う行動が出たりするんだけど、ヒメルのセイクリッドとは違った達観者というか。僕や周りがよく見ていて全く違和感も感じもないし、本当に不思議なんだよね」
「まあ、これからも注意深く観察して、元気ならいいんじゃないですか?」
「うん、僕もそう思う。それから、一つ言っておくけどっ、ヒメルはまだお嫁さんにはやらないからねっ!」
「???」
突然シエルがびしっと厳格な顔つきでそれを言ってのける。父としてかっこよく言ってやったとばかりに、ドヤ顔をする。
今までの話から、どうしてその内容が出てくるのだろうかと、突然会話の内容が飛んだことに困惑したセイクリッドが目を瞬かせた。
シエルが時々見せる真面目な表情が本来の顔で、ニコニコふわふわした彼は、実はカムフラージュではないかと想像してしまう。「まだお嫁さんに〜」の言葉は今までで一番意気込みが違ったので、本心だと確信するセイクリッド。
なぜ初対面の子供に本気でその言葉をかけたのか、全く理解できなかったが…。
「さぁて、話はこれで終わりっ。うん、見た感じ大丈夫そうだね。それじゃあセイクリッド、君は待合室で待っててね。それと、ついでにヒメルを呼んできてくれるかい?」
「はい。シエル先生、ありがとうございました」
そう言ってセイクリッドは機械から降り、部屋の扉を開けて待合室のヒメルに声をかけた。
読んでいただいて、ありがとうございます!
少しずつ明かされていく主人公ヒメルの秘密。
周りの多くの大人達が彼女を見守っています。
シエルは娘のヒメルの自由と個性を尊重しているけれど、内心では実は超過保護。
次はヒメルの健康チェックです。