一章七話[持たざる者]
「これはこれはヴァルド殿、お久しゅうございます。相変わらずお元気そうでなにより」
恭しく頭を下げる男が一人。
歳の頃は三十路をようやく超えたくらいだろうか。汚れのない、光沢のある真っ白な服装と十字模様の刺繍が入った帽子。その背景に教会らしき建物が見えると来れば、わざわざ鑑定するまでもなく男の職業は分かった。
「よお、神父様。そっちも変わりなさそうじゃねえか」
「ええお陰様で。それより、いかがでしたか? 懐かしの王都は?」
眼鏡をかけた温和そうな顔に微笑みを浮かべながら神父は聞く。聞かれたおっさんは対照的に表情を強ばらせて答えた。
「別に、言う程のことはねえよ」
「ふむ、左様ですか」
なんだか嫌な雰囲気だな。
二人のやり取りを見て得た印象はそれだ。
特に、なんだろう。神父の方を見ていると少し……胸の奥がザワザワしてくる。
「ともあれ、長旅ご苦労様です。猊下のご様子はいかがでしたか?」
「そっちも別に変わんねえよ。ま、調子は良さそうだったぜ」
「それはそれは、安心いたしました。猊下に万一があっては皆が悲しみますからね」
「はんっ! 殺されても死なねえよ。あの爺さんは」
「おやおや、あの方を爺さん呼ばわりとは……流石は、王国にその名を轟かせた――」
「――昔の話だ。ほっとけ!」
「これはこれは失礼しました」
申し訳ございません。と、頭を下げて謝罪を述べる神父。
「しかし……そのご様子ですと、例の件はやはり辞退されたので?」
「まあな。なんか文句でもあんのか?」
「いえいえ、とんでもございません。コトハ様が亡くなられた今、私としてもヴァルド殿にはこの村で皆の支えになってほしいと考えておりますので」
「ふん、よく言うぜ! コトハが弱ってるって時になんにもしなかった奴がよ!」
「それについては、返す言葉もございません……」
悲しげな声と表情だ。その筈なのに、それをどこか白々しく感じている自分がいる。
シノの母親とこの神父は、一体どういう関係だったんだろう?
ここまでの会話を聞いて気になる所はいくつかある。でも、それを聞けるような雰囲気ではなかった。
「ま、てめえを責めてもしょうがねえか……そんじゃ、俺らはもう行くぜ!」
会話を打ち切り、歩き出そうとする俺達。
しかし――
「――お待ちなさい」
制止する声。
「んだよ! まだなんかあんのか?」
うんざりした顔のおっさん。それを意にも介さず、貼り付けたような笑顔で神父は言った。
「いえいえ、珍しい顔を見たものですから」
誰のことを指した言葉かはすぐに分かった。
神父と目が合う。
そして――
「――何故、ノーマンがここにいるのでしょうか?」
微笑みを崩さず穏やかな口調で、確かにそう言った。
その瞬間、胸の奥で疼いていた不快感がより一層強くなる。
「あ? 居たら悪ィのかよ?」
俺の気持ちを代弁するかのようにおっさんが言う。それに対して怯むことなく神父は答える。
「良い、とは言えませんね。何故なら……お分かりでしょう?」
「いいや、分かんねえな! こいつが居ちゃなんねえ理由なんかよ!」
「おやおや、分かりませんか? よろしい、では何度でも説いて差し上げましょう」
声を荒げるおっさんとは対称的に、神父の方はあくまで穏やかに、まるで子供を諭すような調子で言う。
「いいですか? そこにいる彼……いいえ”彼ら”は、神に仇なす者。それ故に寵愛を受けられず、生まれ持つべき才能も、役割もない劣等種――」
劣等種。
容赦のないその言葉がズシンと胸にのしかかる。
酷い言われようだ。これはキツイ。俺自身のことではないと頭で分かっていても、心が痛くなる。
こんなのに毎日晒されてたんなら、死にたくなっても不思議はない。
なんとなく、シノという少年の置かれた状況が見えてきた気がする。
そして、もう一つ。図らずも知ることができた。
”ノーマン”……その言葉の意味。
つまり、アレだ。ノーマンってのは――
「――世界にとってなんら益にならない。ただいたずらに命を消費するだけの存在……古い言葉ですが、”白紙の能無し”とは、よく言ったものです」
やっぱり、そうか。
能無し。神父の言ったその言葉を頭の中で反芻し、飲み込む。
無益であり無能であり、役立ずで穀潰し。
なんのことはない。無職に対する当たりが厳しいのは、どこの世界でも一緒ってことだ。
いや、だけど……
――それだけ、なのか………?
と思った。
生まれ持った才能がない。たったそれだけの事で、ここまで酷い扱いを受ける世界。
なるほど、来る前に思った通りだ。ここでは、それぞれの職業――役割がものを言う。
そうか、分かった。
それなら、俺は……俺には、はっきりと言えることがある。
「違います」
そうだ、違う。
きっと、シノはそうだったんだろう。そうだったから、村の人達にあれだけ嫌われて、冷遇されたに違いない。
でも、俺は……金田凌平は違う。
「……今、なんと?」
思いがけない、という様子でこちらの発言に目を丸くする神父。ちょっとだけやり返せたような気がして、俺は少しだけ気分が良くなった。
「違う、って言ったんです」
「ほう……なにが、違うと?」
元通りの笑顔で問いかける神父だが、そこから感じる圧力は一層重みを増していた。
「能無しなんかじゃない。俺は……っ」
ひるんでたまるか!
そう思って捻り出すように言葉を発する。
しかし――
「――愚かな」
それだけの一言で、俺の声は遮られた。
「ああやはり……やはり能無しとは愚かしい。神の代弁者たるこの私……いいえ、我々に逆らうなど、どうやら自分の立場というものがまるで理解出来ていないようですね」
今までで一番冷たく、重い声で言う神父。
「いいですか? 本来なら教会の管理の下、奴隷以下の存在として一生を終える所を、我々の慈悲によって自由な暮らしを許しているのです。シノ・シルヴァーン。能無しという立場を改めて弁えなさい」
その声に、言葉に、体が反応する。勝手に震え出す体を、俺の意思は止めることができなかった。
――誤解だ。
それを伝えたいのに、口が動かない。
悔しい……悔しい。悔しい!
俺には、なにもできないのか?
そう思った時――
「――ふざけんじゃねえ!」
おっさんが吠える。
「なぁにが慈悲だ! 自由だ! ”あの日”から今まで、こいつら親子に碌な衣食住を与えなかったのはてめえら教会じゃねえか! 能無しだからなんだってんだ! 人は人だろうが! それこそ奴隷以下の扱いしやがって! そのせいでどうなった? シノが、コトハがどうなった? ああ? 言ってみやがれ!」
俺の心を代弁するかのように迫るおっさん。神父は目を細めて答える。
「……コトハ様の死が、我々のせいだと?」
「そうだろうが!」
有無を言わせぬおっさんの勢いに押されてか、神父は僅かな間思案するように目を閉じた。
そして、
「そうですね……確かに、我々の力不足は認めましょう。我々に責任があるという点も、一部認めます」
やけに物分りがいいな。
そう思ったのも束の間、
「しかしながら――」
再びこちらに視線を合わせて神父は言う。
「――そもそもの原因は、どこにあるのでしょうか?」
「どういう意味だ?」
神父の声が耳に突き刺さるように響く。
「もしもの話です。もし彼がいなければ……いえ、能無しでさえなければ。シバ様もコトハ様も……誰も、今のようにはならなかったかもしれない。少なくとも、命を落とすようなことは無かったでしょう」
胸が疼く。神父の言葉を聞く程に、ズキズキと。まるで自分の奥深くで、誰かが悲鳴を上げているようだ。
「この際はっきりと申し上げます。彼の存在が、不幸を呼んだ。悲劇を生んだ。貴方も、本当は分かっているのでしょう? ヴァルド殿。彼が居なければ、貴方のご子息も――」
「――おいッ!!」
爆発音みたいな声で神父の声がかき消される。
「それ以上、言ってみやがれテメエ……! 俺も、気が長い方じゃねえんだ……どうなるか、分かんねえぞ?」
胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄るおっさん。対する神父は、それでも微笑みを崩さずに、
「ええ、存じております。申し訳ございません。少々、言葉が過ぎました」
謝罪の言葉と共に恭しく頭を下げる神父。その姿に勢いを殺され、おっさんは舌を鳴らした。
「相変わらずだな”ズーク”、てめえって奴は……」
「お互い様では? 昔から、貴方はなにも変わりませんね」
そう言って諦めたように嘆息する神父――ズーク。
数秒の沈黙。そして、
「……彼を、どうなさるおつもりで?」
「どうでもいいだろ。ほっとけ!」
「そうですか……」
やれやれと言わんばかりに肩を上げてズークは言う。
「全く、呆れてものも言えませんね。……いいでしょう。これ以上、私の方から申し上げることはなにもありません。どうぞ、お好きに」
「ああ、そうさせてもらうぜ!」
「ただし――」
と、ズーク。
「――後悔しても知りませんよ?」
分かりやすい脅し文句。だが、それに動じることなく、威勢の良い声でおっさんは答える。
「へっ! んなもん、とっくの昔にしてんだよ! けどな、これ以上はしねえ! これから先、てめえらが何を言おうが何をしようが、俺は最後の最後までこいつの味方であり続けてやる! そう決めたんでな!」
心が、震える。視界がぼやけて、込み上げる感情が瞳から流れ落ちた。
最初に出会ったのが、この人で本当に良かった。心から、そう思う。
「やれやれ……それでは、私は失礼させていただきます」
そう言っておっさんに軽く一礼するズーク。去り際、俺の方を冷ややかな目で一瞥したかと思うと、そのまま何も言うことなく教会の方へと去っていった。
その背中を見届け、俺達は再び歩みを進める。
「……すまねえな、シノ」
嵐が去ったような安心感に浸る俺に、静かにおっさんが言った。
「ああは言ったが、俺も連中と大差ねえ。あの日から十年間、てめえら親子が苦しんでるって時に俺は……自分のことしか頭になかった。それどころか、何処かでてめえのことを避けちまってたんだ」
そう言うとおっさんは自分の額に思いっきり拳を振るった。俺に振るったものよりも重く、強い一撃だった。
「全く……馬鹿だぜ。本当に大馬鹿野郎だ! あと少しで、てめえまで失っちまう所だった」
「ヴァルドさん……」
「へっ! ”さん”はいらねえよ! これからは一緒なんだ。堅苦しいのは無しにしようぜ!」
そうだな。その通りだ。
これからは一つ屋根の下、家族同然に暮らすんだ。それなら、遠慮はいらない。楽にいこう。
「分かりました。じゃあ……」
少しの緊張。深呼吸、そして――
「――おっさん! これからよろしくな!」
努めて明るく、大きな声で言った。
「お、おう、よろしく……随分砕けたな。ま、いいけどよ」
ちょっとやり過ぎたか?
やや引き気味のおっさんの様子を見てそう思ったものの、もう後には引けない。
「おっさん……おっさんか。悪くねえ……うん、悪くねえな」
ぶつぶつと呟きながら頷くおっさん。良かった。どうやら大丈夫そうだ。
とりあえず小さな心配は片付いた。後は、
「なあ、おっさん」
「あん?」
声のトーンを下げて呼びかける俺に、おっさんが視線を向ける。
「本当に、良かったのか?」
「なにがだ?」
「いや、だって、さっきの神父。能無しと一緒に居たら、アンタの立場まで悪くなるんだろ?」
直接なにかしてくるタイプには見えなかったが、今後の大きな心配として胸に引っかかる。
そんな俺の胸中を知ってか知らずか、
「おうおう、いっちょ前に気ぃ遣いやがって! なぁに、心配すんな! こういうのにゃ慣れてっからよ!」
そう言ってガハハと笑うおっさん。
「つーか、てめえは自分の心配しやがれ! いいか? 面倒見てやるとは言ったが、俺の店に置くからにゃ厳しくやるぞ!」
確かに、おっさんの指導は厳しそうだ。だけど、大丈夫。そういうのには慣れてる。俺も、伊達に料理人をやってた訳じゃない。
「はい! お願いします!」
「おう、良い返事だ! シノ。てめえ、良い面構えになったじゃねえか!」
俺の返事におっさんが満足そうに頷いた。
「……っと、ここで一旦お別れだな」
立ち止まる俺達。見れば道が二手に分かれていた。
「そんじゃ、俺は先に店行ってるぜ! てめえも、色々準備が済んだら来いよ!」
「う、うーん……」
「どうした?」
曖昧な返事をしてその場から動こうとしない俺に、怪訝な顔をするおっさん。
「あー、えっと……」
「んだよ。言いてえことがあんならはっきり言いやがれ!」
気まずい沈黙。
そして、
「じゃあ、ごめん。ちょっと変なこと聞くんだけど……」
こればっかりは、仕方がない。
意を決した俺は、頬を掻きながらおっさんに問いかけた。
「……俺ん家って、何処?」
『――作者スキル、人物鑑定、発動』
個体名:シノ・シルヴァーン
年齢:17
性別:男
職業:
職業スキル:???
個別スキル:???
魔法適性:???
……そんな職業で大丈夫か?
次回「霧患い」
乞うご期待!