二章二十四話[雨上がりは遠く]
雨が、ぽつぽつと地面を叩いている。
広場の喧騒が嘘みたいに遠くなって、足音と、水を踏む音がやけに大きく感じられた。
「ここにゃ?」
隣で、レイが小さく呟く。
その視線の先には大きな建物――教会が、ひっそりと雨に打たれて存在感を放っていた。
「……みたいだな」
短く答えながら、俺は手に持った包みに目を落とす。
中身は――お好み焼きが二人分。
もう温もりは殆ど残っていない。けれど、ほんのりとした香りは、まだそこにある。
「渡せるといいんだけど」
「ふぉっふぉ。なんじゃ、弱気じゃのう。まあ、そこは儂に任せい。ヌメール家の者とは知らん仲ではないでの」
前を歩く船長。
頼りになるその言葉に、俺は気合を入れ直した。
「よし、行こう」
そうして、俺達が教会に近づいた時だ――
――ガチャッ。
と音がして教会の扉が開く。
中から出てきたのは、白衣に身を包んだ女性。
「……皆さんお揃いで。お見舞いですか?」
「おお、イレーネや。お主も来とったんじゃな」
軽く一礼して船長に答えるイレーネ。
「ええ、専門職の意見が聞きたいと、直々の依頼でしたので」
そう言いながら彼女が示した方向には、これまた見覚えのある人物がいた。
「ガイン、しばらくぶりじゃのう」
呼ばれた騎士――ガイン。カンナ達の父親らしいソイツは、昨日会った時とは違い、兜を脱いでその厳格そうな顔を露わにしていた。
「これは……船長殿。陸にいるとは珍しい。変わらず壮健なようで」
「ふぉっふぉ、お陰さまでな」
軽く礼をするガインに、ニヤリと笑う船長。
知り合いって話、本当だったのか。
どこか気安い二人のやりとりからは、なんというか……年代物の繋がりを感じた。
「それで、本日はどのようなご要件で?」
「いやなに、うちの船員が一人。ここで世話になっとると聞いてな」
船長の言葉に、ガインが目を細める。
「……船員、ですか」
「ハンナじゃ。ここにおるんじゃろ?」
ほんの僅か、動きを止めるガイン。
「……ええ、確かに。その者はこちらで身柄を確保しておりますが」
淡々とした返答。その声には、どこか硬さを感じた。
「ほぉ、確保とな。随分と物々しい言いようじゃのう」
「彼女には……邪教への関与の疑いがありますので」
――邪教。
その言葉に、俺の胸はチクリと痛んだ。
「……まだ、そんなこと言ってんのかよ?」
できるだけ平静を装って口を動かす。
「君達は、昨日の……ああ、そうだ」
ガインは短く頷いた。
「状況証拠は、揃っている。なにより、私自身がこの目で見たのだ。アレが邪教となんらかの関わりがあるのは、もはや疑いようがない」
「でも……ッ」
ハンナは、アンタの――
「――君」
遮る一言。
それだけで、空気が変わった。
「これ以上の詮索は控えてもらおう。昨日も伝えた通り、これは騎士団の管轄だ。面会に来たのだろうが、部外者をこの先へ通す訳にはいかない」
冷たい声と――目。
それは“父親”としてではなく、“騎士”としての顔だった。
「部外者なんかじゃ……っ」
言い返しかけて、言葉が詰まる。
正論だ。立場も違う。
分かってる。分かってるけど――
「――ふぉっふぉ。相変わらず堅いのう、ガインや」
その空気を崩したのは、船長だった。
「当然です……邪教徒が相手かもしれないとなれば」
「その“相手”が、自分の娘でもか?」
船長の言葉に、ガインの視線が僅かに揺れる。
「……だからこそ、です」
低く、押し殺した声。
「我が身から出た錆。故に、私情で判断を誤る訳にはいかない」
門が閉ざされた。俺には、そんな風に思えて。
「……お引き取りください。今は、会わせることはできません」
ぴしゃりと。
有無を言わせない拒絶だった。
「ふ〜む。難儀なものよ……しかしな、ガインよ」
騎士の目を真っ向から見つめ、船長は言う。
「ハンナは……あの娘は、儂にとっても家族同然なんじゃ。血の繋がりはなくとものう」
静かな声。
静かで、重たい。
「……」
ガインは、なにも言わない。
ただ、じっと船長を見ていた。
「船で共に過ごしたのはたかが数年……じゃが、その間、誰よりもあの娘のことは見てきたつもりじゃ。ガイン、お前さんよりもな……だから、言える」
強い目だ。
強くて、優しい目で、船長は――
「――あの娘は、邪教徒などではないよ」
沈黙が落ちる。
雨音が、やけに響いて聞こえた。
「……私も」
やがて、ぽつりと口を開いたのはガイン。
「私も、そう願います」
一瞬だけ、本当に一瞬だけ。その目から、厳しさが消えたように見えた。
「じゃあ――」
「――それでも」
俺とガイン、声が重なる。
「まだ、アレを君らには会わせられない。絶対安静……そうでしたね? イレーネ殿?」
ガインの視線を受けて、その場に残っていたイレーネが頷く。
「ええ……はい。ハンナさんの意識は、まだ戻っていません。命に別状はありませんが、極度の体力、魔力欠乏状態です。しばらくは、安静が必要でしょう」
冷静な言葉に、その場の全員もまた冷静になったようだった。
「……原因は?」
船長が尋ねる。
「不明です……ただ、なにかに生命を吸われたかのような症状、としか」
「それって……」
思わず声が漏れる。
昨日見た謎の黒い物体――アレはやっぱり、ハンナの生命を……。
その推測が確信に変わって、俺は背筋が凍った。
「分かっただろう? ハンナは……娘はまだ君らに会える状態ではない。すまないが、今はお引き取り願おう」
丁寧なお辞儀と共に言われたそれに、俺達はそれ以上言葉を返せなかった。
「……ふむぅ、仕方がないのう」
大きく息を吐く船長。
「もし、あの娘が目を覚ましたら、教えてくれるんじゃろうな?」
「はい……必ず」
「よかろう。ならば、儂はもうなにも言うまい」
そう言って、船長は退いた。
「ハンにゃ……会えないにゃ?」
「そう、みたいだな……」
しゅんとなるレイ。残念なのは、俺も同じだ。
畜生……こうなったら、力ずくで。
なんて、そんな訳にもいかないしな。
「カンにゃは?」
「ああ、そういえば……」
俺はガインと目を合わせ、尋ねた。
「カンナは……どうしてますか?」
「娘は、今朝から儀式の準備をしている。聖獣の巫女……あの子にとって、今日こそが最も大事な日だからな」
「そうですか……」
頑張ってんだな。
俺も、負けてらんねぇ。
「私からも聞きたい。復旧作業は、順調かね?」
「ええ、職人さんが頑張ってますし、島の人も手伝ってくれてるので」
「夕方には、儀式が始まる。間に合うかね?」
「間に合わせますよ」
他の誰でもない。カンナのために。
「あの子は、君を信用している。だから――」
微かに頭を下げるガイン。
「――裏切らないでやってくれ。頼む」
それは、騎士ではなく、父としての言葉。
そんな風に、俺には聞こえた。
「当然! 友達なんで!」
「うん、トモダチ! レイ、頑張るにゃ!」
そんな俺達の言葉に、ガインは少しだけ頬を緩めた。
ともあれ、こっちも今会うのは無理そうだな。
残念だけど、仕方がない。
でも、だったらせめて。
「あの、これ……」
俺は、持っていた包みをガインに差し出した。
「む……なにかね?」
「お好み焼きです。俺が作りました。カンナとハンナに渡してください」
「おこのみやき? なにかは分からんが……食べ物か? ふむ……」
手に取った包みを、ガインは注意深く眺める。
「変なもんは入ってないんで。お願いします」
半分冗談のつもりで言ったが、ガインは真面目な顔のまま頷いた。
「ああ、いや、君を疑っている訳ではない……ただ、職務上な」
「大丈夫です。私の医療スキルでも、毒物の反応は見られませんでしたので」
「ちょ、イレーネさん!?」
真顔で言う船医。
冗談か本気か分からないそれが決め手になったか、ガインは包みを大事そうに抱えると、
「この香り……“あの子”が好きそうな……いや、確かに預かった」
そう言うと、ガインは騎士らしく丁寧に一礼して、踵を返した。
「ありがとうございます」
「よろしくにゃー」
俺達も礼を返して、教会に背を向けた。
とりあえず、目的は果たした。
本当は直接渡したかったけど、まあ、いい。
まだやることが残ってる。
祭りの復旧。
夕方まで時間もあまりない。
カンナのために、舞台を整えるんだ。
「よっしゃ! もうひと頑張りだな!」
気合を入れ直した、その時だった――
「――騎士長ッ!!」
鋭い声が響く。
その場にいた全員が動きを止めた。
「何事だッ!?」
転がるようにやってきたのは、ガインの部下らしき騎士。
息を切らせて、明らかに尋常な様子じゃない。
――なんだよ。やめろよ。
聞きたくない。嫌だ。
「も、申し上げますッ! 先ほど、“火守り役”の者が……遺体で発見されましたッ!」
一瞬の静寂。
心做しか、雨が強くなったような気がした。




