二章二十二話[雨宿り]
雨は、まだ降り続いていた。
傘を差すか迷う程度の小雨。しとしとと降る雫が広場の石畳に小さな波紋を広げている。
そんな中で――
「――おっちゃん! 木材、持ってきたぞ!」
「おっ、あんがとよ坊主! そこ置いといてくれ!」
「はいよー!」
ベテラン感のある大工さんに言われるがまま、俺は木材を手近な場所に下ろした。
――コンコンコン。
小気味よいリズム感。あちこちで木槌の音や、誰かの掛け声が響いてくる。
昨日まで荒れ放題だった広場は、瓦礫もすっかり撤去され、順調に復旧作業が進んでいた。
「いや〜、仕事が早ぇな。流石プロだわ!」
思わず感心してしまう。
一時はどうなることかと思ったけど、船なら絶対に船大工が乗ってる筈――という思惑が当たってよかった。
しかも、事情を話したら二つ返事で修理を請け負ってくれて……感謝してもし足りないくらいだ。これが終わったらなにかお礼しなきゃな。
「……っと、それはそれとして」
俺は溜め息を吐きながら後ろを振り返った。
「うにゃあ……ご主人、重い〜」
木材を担ぎながら気だるげな声を出すのは、遅れて俺に追いついてきたレイだ。
「おい、しっかりしろ! 落とすなよ?」
「猫使いが荒いにゃ〜。レイは、箸より重たいもの持てないにゃ」
「嘘つけ! この前でっけぇ魚普通に持ってたろうが!」
「な、なんの話にゃ? 知らんにゃ〜」
露骨に目を逸らすレイ。尻尾と猫耳がバタバタ動いていて分かりやすい。
そのまま逃げるように走り去る背中を、俺は呆れ顔で見送った。
「走れてんじゃねぇか……ったく」
やれやれと肩を竦めていると、突然背後から笑い声が聞こえた。
「――ふぉっふぉ! なんじゃ、お前さんら、相変わらずじゃのう」
振り返ると、そこにはキャプテンハットを被った、貫禄のある老人の姿があった。
「あっ、船長さん。お疲れ様です!」
「うむ……どうじゃ? うちの連中は、役に立っとるか?」
「それはもう、すごく」
俺が「ありがとうございます!」と頭を下げると、船長は満足そうに顎髭を撫でた。
「それは重畳じゃ。どうかね? 間に合いそうか?」
「このペースなら、多分」
広場を見回す。
昨日まで完全に崩れていた屋台や舞台は、今や骨組みが完成していて、そこに職人達が手際よく木材を組み上げている所だった。
「ふぉっふぉ。まあ、あやつらも張り切っとるからの」
「そうなんですか?」
「そりゃあお主……ハンナと、その家族のため、と言われればのう」
船長は当然のようにそう言って、肩を竦めた。
「まあ、なんじゃ……船から仲間が落ちれば、皆で引き上げる。それだけのことよ」
「船乗りの絆……ってやつですか?」
「うむ」
短い言葉、なのにどこか温かい。
なんだよ……ハンナ、慕われてたんじゃねぇか。居場所、あったんだな。
「……まあ、あやつの場合は最初からそうだった訳ではないがの」
「え?」
俺が聞き返すと、船長はフッと笑った。
「今から二年……いや、もう三年になるかのう? あの娘と出会ったのは」
懐かしそうに目を細める船長。
「ある日のことじゃ。積み荷の隙間に隠れていた子供を見つけたと、船員から報告があっての」
「え、それって……?」
「密航じゃ」
「やっぱり……」
思わず顔を顰める俺。
「あの時は困ったものよ。船は出港して既に海の上。そう簡単に追い出す訳にもいかんでの」
「まあ……そうですよね」
当時の船長の困り顔が頭に浮かんで、俺は苦笑した。
「連れてこられたあの娘の顔は、今でも覚えとる。泣きも喚きもせず、なにか覚悟を決めた……そんな目をしとったよ」
ハンナの覚悟。
俺には、なんとなく分かる気がした。
「抵抗も、言い訳もせん。ただ――」
一拍。
「――島には戻りたくない、とだけ言われての。余計に困ったもんじゃ」
苦笑しながら続ける船長。
「理由を聞いても、それは教えてくれん。さてどうするかとなった時、あの娘がなんて言ったと思う?」
「なんて言ったんです?」
俺が尋ねると、船長は愉快そうに笑って答えた。
「ここで働かせてくれ、ときたもんじゃ」
「それはまた……なんというか」
「肝が据わってるじゃろ? 密航の罪を問い質されとるその場で、しかも子供が、そんなことを言うとは思わんかったわい」
「ははっ、確かに」
普通なら泣くか、謝って許しを請う場面だ。
そこで就職活動なんて、俺だったらできない。
「無論、最初は断ったが、あの娘は引かんかった……結局根負けしての。見習いとして、いったん置くことにした」
一瞬だけ目を細める船長。それは、まるで良い思い出を眺めているように、俺には感じられた。
「で、どうだったんですか? ハンナの働きぶりは?」
「酷いもんじゃったよ」
即答かよ。
「手は遅い、力もない、言われたこともよう忘れる。正直、足手まといもいいところじゃった」
「うわぁ……」
だいたい想像はつく。
なんたって当時のハンナは、まだ子供。俺の世界なら中学校に行ってるくらいだ。働くなんて、いきなりできる訳がない。
その上、アイツは――
「――ちなみに、ハンナの職業のことって……?」
「一応雇った者のことじゃ。知っとったよ……だから、最初は皆に馬鹿にされておった」
「……」
やっぱり、か。
胸の奥に、少しだけ重たいものが落ちる。
「船乗りなんぞ、荒くれ者ばかりじゃ。余所者、それも能無しの小娘となれば、まあ……扱いは想像がつくじゃろう?」
「……はい」
嫌というほど。
「雑用を押し付けられ、からかわれ、時には手も出された」
「……っ」
思わず顔をしかめる俺。
「じゃがな」
船長の声は、落ち着いたままだった。
「それでも、あやつは逃げんかった」
「……」
「何を言われても、何をされても、次の日には同じように甲板に立っておる」
静かに、続けられる言葉。
「泣きもせん。怒りもせん。ただ、黙ってやるべきことをやる……まるで、“ここ以外に行く場所がない”とでも言うようにな」
「それは……」
きっと、比喩なんかじゃなかったんだろう。
その時のハンナの心情、俺には、少し分かる。
同じく――能無しと呼ばれた者として。
「……で、どうなったんですか?」
声が、少しだけ低くなる。
「どうもこうもないわい」
船長は肩を竦めた。
「根負けしたのは、周りの方じゃ」
「……え?」
「馬鹿にするのも、いじめるのも、相手が反応してこそじゃ。何をしても揺るがん相手に、いつまでも同じことを続けるほど、暇な連中でもない」
そうだろうな。
リアクションすると悪化する。俺にも、覚えはある。
「それにな」
髭を撫でながら船長。
「見ておった。誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまで働く。出来るようになるまで、何度でも繰り返す。そんなあの娘の様子を。皆がな」
「……」
「気がつけば、“出来ない奴”から“邪魔をしない奴”に変わり、そして、いつしか――」
一拍。
「――“居てもいい奴”になっておった」
それを言う船長の表情は、風のない海のように穏やかで、優しかった。
「中でも特に、ニックのやつはあの娘を可愛がっておってな」
「ニックさんが?」
船で出会った、料理人――ニック。
今は亡きその男の顔が、頭に浮かんだ。
そう、だったのか。知らなかった。
「簡単な料理なら能無しでもできる筈だと、一生懸命教えておった。ハンナも、それを楽しんでいたようじゃったが……その後のことは、お前さんも知っとるな?」
「ええ、はい……」
忘れる訳がない。本当に悲しい、事件だった。
頬を伝う雨が、やけに冷たく感じた。
「ニックを失ったのは、ハンナにとっても大きかったじゃろう……師のような存在だったからの」
「あ、もしかして、それで……?」
あの時、ニックの事件の捜査をする俺達にハンナがついてきたのは、他でもない、この人の言葉があったからだ。
フフッと鼻を鳴らす船長。
「あの時は世話になったのう。改めて、礼を言うぞ」
「いや、そんな……」
不器用な気遣い。
そっか。そうだったんだ。
「……へっ、愛されてんじゃねぇかよ」
誰にも聞こえないくらいの声で、俺は呟いた。
「あの一件から」
ぽつりと言ったのは船長。
「ハンナのやつはまた少し変わった」
「そう、なんですか?」
「夜な夜な食堂に籠もっての。なにやら食材について色々学んでいるようじゃ」
「食材に……ついて」
それは、もしかして。
「ニックの仕事を引き継ぎたい。そう、言っておったよ。初めて会ったあの日と、同じ目でな」
「やっぱり……そうか」
だから、ハンナはここにいたんだ。
買い出しに来た、なんて軽いものじゃない。
失った大切な人のために、彼女は、一度捨てた場所に戻ってきた。
その覚悟の重さを、俺はようやく理解できた気がした。
その上で、思う。
「馬鹿だぜ、ホントに……」
ぽつりと零れた言葉は、雨音に紛れて消えていく。
――背負いすぎなんだよ。
誰にも頼らず、全部ひとりで抱え込んで。 失ったものも、守りたいものも、全部まとめて自分の中に押し込んで。
そんなやり方、長くもつ訳がない。
「……もっと、頼れよ」
仲間がいたんだから。居場所は、あったんだから。
「うむ、まったくじゃな」
「あ、聞こえてました?」
少しだけ、恥ずかしい。
「あの娘は、助けを求めん。今も、昔も。じゃが……皆、知っておる」
「はい、そうですね」
俺達は、声を揃えて――
「「――アイツ(あの娘)が、邪教徒な訳がない」」
それだけは、知っている。
「伝えなきゃ、ですね」
「おお、頭の固い騎士連中に、ちゃんと教えてやらねばなるまいて」
そう言って、俺達は笑いあった。
と、その時――
「――にゃ〜! ご主じ〜ん! お腹空いたにゃ〜!」
「ぶへッ!?」
後ろから強烈なタックルを食らってよろける俺。
「痛ぇなこの野郎! なにすんだ!?」
「朝から働きっぱなしで、も〜限界。動けないにゃ〜」
そう言って、その場にぐでーっと崩れ落ちるレイ。
「今の今まで元気だったろうが」
「ふぉっふぉ。そうじゃのう、ちょうどいい頃合いじゃ。そろそろ飯にするか?」
「ご飯! 食べたい!」
ピョンと飛び起きるレイ。
元気じゃねえか! ったく、しょうがねえな。
「分かった分かった! 昼飯、なんか作ってやっから!」
「わーい! やったにゃ!」
「あ、船長さん達も、よかったらご一緒に」
「ほぉ……お前さんが? それは楽しみじゃのう」
髭を撫でながら微笑む船長。
期待の眼差し……程よいプレッシャーだ。
これは、とびきりのもんを作らなきゃな。
俺は気合を入れ直した。
「……どれ。そうと決まれば、皆を呼んでやらねばの」
「お願いします。準備はしとくんで」
「レイは休憩にゃ」
「お前も手伝うんだよ! 来い!」
俺に首根っこを掴まれ、「うにゃ〜」と声を漏らすレイ。
そんなこちらの様子を見て笑いながら、船長はおもむろに職人たちの元へ歩き出し――
「――おお、そうじゃ」
なにかを思い出したように、立ち止まった。
「お前さんに、一つ忠告じゃ」
「忠告?」
突然神妙な面持ちになった船長に、俺は息を呑んだ。
「“ヴィオレ”という娘。覚えとるな?」
「ええ、まあ……」
ヴィオレさん?
ここでその名前が出るとは思わなかった。
俺は頭に疑問符を浮かべて、船長を見た。
「あの娘には、気を付けておけ」
「え? それって、どういう……」
「いや、すまんの。不安にさせるつもりはないんじゃが……しかし、アレが教会の暗部の人間と言うなら、もしかして……」
言葉を濁す船長。
雨の音が、やけに大きく聞こえた。
「……狙われているのは、“ハンナ”やもしれん」
「な……っ!?」
声が詰まった。
なんだよそれ?
ヴィオレさんに? ハンナが?
なんで?
「まあ、あくまで可能性の話じゃ。杞憂かもしれん。じゃが、用心に越したことはない……それだけじゃ」
そんな言葉を残し、船長は職人達に声を掛けに行った。
「どういう、ことだよ……」
分からない。
ただただ胸がざわついた。
「ご主人? 大丈夫にゃ?」
レイの声で我に返る。
「あ、ああ……大丈夫だ。とりあえず、行くぞ!」
今言われたことは、一旦頭の片隅に置いておこう。
まずは、飯だ。
無理矢理に切り替え、俺はレイと一緒に雨の中を走った。
この雨に負けねぇ料理を作る。
ただ一つ、それだけを考えて。
次回「雨にも負けず」




