二章二十一話[そして、雨が降る]
「お、お姉ちゃ……!?」
裏返った声でカンナ。
俺はすぐさま駆け寄り、ハンナの様子を見た。
脈は……ある。
「……大丈夫。寝てるだけだ」
「よ、よかった……」
安堵した様子で、カンナは姉をギュッと抱きしめた。
「いや〜、危なかったにゃ。ほんと」
俺の隣で伸びをするレイ。
「んで、ご主人? あの黒いヌメヌメ、結局なんだったにゃ?」
「俺が知るかよ。ハンナにくっついて悪さしてたのは間違いないだろうけどな」
俺は地面に残る水溜まりを見渡した。
黒い塊は、もうない。
アレがなんだったのか? 正体は不明だ。
なにせ、鑑定も――“できなかった”んだから。
ファブニールやヴィオレさんを鑑定した時と同じだ。視てはみたけど、結果は……読めなかった。
「なんだってんだ……」
胸が騒ぐ。どうにも、嫌な感じが拭えなかった。
「まぁ、もうないならオッケーにゃ!」
「ったく、呑気なもんだな、お前は」
でも、こういう所に助けられてる時もある。
コイツは、これでいい。
やれやれと呆れながら、俺はハンナの方に目をやった。
血の気のない寝顔。大人しくカンナに抱き抱えられているその姿は、さっきまでの暴れっぷりが嘘みたいだった。
「んにゃ?」
ふと、レイの耳が動く。
「どうした?」
「ご主人、あっち」
「あっち?」
レイが指差す方へ俺は目を向けた。
――ガチャ、ガチャ。
金属の擦れる音が広場に響く。
騎士達だ。
ハンナにやられて水溜まりに沈んでいた彼らが、うめき声と共に起き上がってきていた。
よかった。
誰も、死んでない。
鎧はボロボロで歩くのも大変そうだけど、全員一命は取り留めたみたいだ。
「さっすが、騎士だな……」
互いに肩を貸し合いながら、こちらに歩いてくる騎士達。
整然と隊列を組むその姿は、まるで囚人を取り囲むようで――
「――って、あれ?」
おかしいな。殺気を感じるぞ?
いや、分かる。
皆、ついさっきハンナにふっ飛ばされてた連中だ。警戒するのは当たり前だろう。
でも、なんか……妙な空気だ。
剣呑な雰囲気の中、一人の騎士が前に進み出る。
「お父、様……っ」
カンナが呟くのが聞こえた。
お父様? この人が……?
他の騎士より明らかに格上と分かる装備を身に着けたその男は、横たわるハンナに剣先を向けながら言った。
「全員、そこから離れてもらおう」
低く、重い声。有無を言わせない響きだった。
「お、お父様? 待ってください! お姉ちゃんは……」
「ソレを姉などと呼ぶな!」
鋭い怒声。広場の空気が一気に凍りつく。
「何度言えば分かる? ソレはお前を捨て、島を捨てた能無し《ノーマン》……いや、もはやそれ以下の――」
「止めて!」
止まらない。
「――“邪教徒”だ」
剣を突きつけられた。そんな気になった。
「違う! 違います! 邪教徒だなんて、そんな……ッ」
叫び、姉を庇うように強く抱き寄せるカンナ。
「なにが違う? ソレは、巫女の血筋にありながら掟を破り、島の外に出た。神の定めに逆らったのだ」
「だからって……!」
「そして今」
男は周囲を示す。
砕けた舞台。水浸しの広場。 満身創痍の騎士達。
それと――
「お前を傷付けようとした。そんなものが、邪教徒でなくてなんだと言うんだ?」
「それは、でも……でも!」
容赦ない父の言動に、声を詰まらせるカンナ。
「もういい! 話はここまでだ」
ピシャリと切り捨てる声。
「カンナ。お前がどう思おうと、今ここに見えている惨状が全てだ。故に、我々はソレを連行する」
男の合図で、騎士達が距離を詰めてくる。
「待って! お姉ちゃんは悪くない! さっきのは、きっとなにかに操られて……」
「くどい! 久しぶりに顔を見たと思えばこの体たらく……やはり教えは正しかったのだ! 能無し《ノーマン》こそ、邪教の種……お前の姉は、もういない!」
「そんな……言い方……ッ」
声を震わせるカンナ。
石畳に、ポタポタと雫が落ちる。
流石に、見ていられなかった。
「ちょいと、言い過ぎなんじゃないかアンタ」
突然口を挟んだ俺に、騎士達の視線が集まる。
「……誰だ、君は?」
聞いてきたのは、カンナの父親。
「シノ・シルヴァーン。ただの料理人――」
「――トモダチにゃ!」
横から割り込んできたレイがフンッと胸を張る。
だけど、誰もそれを聞いてはいなかった。
――どよめき。
俺が名乗った瞬間、騎士達の態度が変わった。
「……シルヴァーン?」
「それってまさか、フォルムの……?」
「勇士、殿……?」
兜の奥から、口々に囁く声。
「ほう……シバ殿のご子息か」
「親父、知ってるのか?」
男の口から出た名前に、俺は思わず眉を上げた。
「無論。騎士団に身を置く者で、その名を知らぬ者はいない」
「そう、なんだ」
随分有名な人だったんだな親父。
息子として鼻が高いぜ。
「って、いや、そんなことはいいんだよ!」
今はそんな場合じゃない。
「なんつーか、事情はよく知らないけどさ……アンタはハンナの父親なんだろ? だったら、娘がなんでこんなことになったのか調べもしないで邪教徒なんて言うのは、ちょいと横暴なんじゃねぇの?」
一斉に口を閉じる騎士達。広場に、重苦しい沈黙が流れた。
「……確かに」
低い声。
「君の言うことも理解できる。私とて、アレがこうなった原因は徹底的に探るつもりだ」
その言葉に、俯いていたカンナが顔を上げた。
「しかし」
男は告げる。
「それが剣を納める理由にはならない。そこにいる娘は危険分子。祭りを破壊し、私の部下を傷付けた。その事実がある限り、身柄は拘束せねばならん。なにより、そうしなければ、島の皆が安心できんのだ」
淡々とした声。
そこには怒りもなにもない。
ただ己の役割を全うしようとする正義があるように、俺には感じられた。
「アンタは、騎士なんだな」
「そうだ。父である前にな」
首肯して答える騎士。
「シノ・シルヴァーン。君が娘を守ってくれたことは分かっている。心より感謝を述べよう。だが、ここから先は我々の問題だ。外の人間が関わるべきではない」
「それは……そうかもしれねぇけど……っ」
そこで口を噤んでしまったのは、理解ができたから。
今目の前にいる男の立場、その責務、役割を。
何故なら、俺にも、
(親父……)
誇り高き、騎士の血が流れてるんだから。
「――連れていけ」
短い指示に騎士達が動く。
「止めて! 離してください! お願い……お姉ちゃんを、連れて行かないで!」
だが、騎士達は止まらない。
「巫女様、すみません……」
抵抗虚しく、騎士の手でハンナから引き離されるカンナ。
「嫌……! お姉ちゃん!」
意識のないハンナは、まるで人形みたいにぐったりしたまま、騎士に担がれ連れられていく。
その光景に、胸がズキッと痛んだ。
「ご主人、止めないにゃ?」
「分かってる。でも……」
騎士達の言うことにも一理ある。
感情だけじゃ、どうにもならない。
「ここで俺達が動いたら、それこそ取り返しがつかないことになっちまう」
「うー、そんにゃあ……」
猫耳が垂れ落ちる。意気消沈のレイ。
気持ちは分かる。
俺だって同じだ。
それでも、ここで無理矢理どうこうするのは、ハンナのためにならない。
遠くなっていくハンナの背中を、俺は見ているしかできなかった。
「……カンナ、お前も来るんだ」
「え?」
父の言葉に、カンナが声を上げる。
「聖獣の巫女であるお前が、何故そこにいる? 外出を許可した覚えはない。我々と一緒に戻るんだ」
「っ…………はい。分かり、ました……」
大人しく従い、姉の背中を追いかけるカンナ。
すれ違いざま、無理な笑顔を俺達に向けた。
「カンにゃ、行っちゃうにゃ?」
「はい。ホントはワタシ、ここにいちゃいけないので」
そう言って、カンナはペコリと頭を下げた。
「すみません。二人共、変なことに巻き込んじゃって」
「馬鹿、謝んな。俺達が勝手に動いた、それだけだ。なあ、レイ?」
「そうにゃ! ハンナもカンナもトモダチ! 困ってたら、レイは助けるにゃ!」
その言葉に、カンナはフフッと笑った。
「ありがとう。シノさんも、レイさんも。二人も素敵な友達ができて……ワタシ、嬉しいです」
「また、会いに行くにゃ」
「そうだな。さしあたって明日、本祭なんだろ? カンナの晴れ舞台、見に来るからな」
俺の言葉に、複雑な表情になるカンナ。
「そう、ですね本祭……でも」
その視線の先には、無残に破壊された舞台の姿があった。
「大丈夫だ! 直す! 船には大工なんかも乗ってんだ! 声掛けてみるよ!」
「シノさん……っ」
「島の人だって手を貸してくれんだろ! だから、安心しろ! 祭りは、まだ終わってねぇ!」
親指を立てて、俺はカンナに言ってのけた。
「流石は勇士の……シバ殿のご子息だな」
声の方に目を向ける。
カンナ達の父である騎士は、突然姿勢を整え、こちらに頭を下げた。
「礼を失するところだった。私の名は“ガイン”。この地を守る騎士達の長として、改めて君に感謝を述べる」
な、なんだよいきなり。
調子狂うな。
「いらねぇよ礼なんて。俺がやりたいからやるって言ってんだ」
頭を上げるガイン。
「ふっ、よく出来た子供だ」
「んなことねぇっての。それより、アンタは自分の子供に目を向けろよ?」
俺が言うと、ガインはカンナを見ながら、
「無論だ。聖獣の巫女は我々が守る。必ずな」
「ハンナもだ! 色々事情があんのは分かるけど、ちゃんと人として扱ってやれよ?」
「…………善処する」
そのやりとりを最後に、カンナ達親子は広場を後にした。
「行っちゃったにゃ……」
ポツリと呟くレイ。
「ああ」
俺は短く答える。
さっきまで騒がしかった広場には、静寂だけが残っていた。
「滅茶苦茶だな……」
壊れた舞台。ひびだらけの石畳。祭りの飾りも、あちこちで無惨に散らばっている。
「忙しくなりそうだな……」
俺は小さく息を吐いた。
その時だった。
――ぽつ、ぽつ。
頬に、冷たいものが当たる。
「……ん?」
空を見上げる。
いつの間にか、灰色の雲が濃く空を覆っていた。
――ぽつ。ぽつ、ぽつ。
石畳に、小さな粒が点々と落ちて染みになっていく。
「雨にゃ!」
レイが耳をぴくりと動かす。
広場の水溜まりに、波紋が広がっていった。
「ったく……タイミング悪ぃな」
でも、やってやる。
こんなもんで俺の胸についた炎は消えない。
苦笑しながら、俺は頬についた水滴を払う。
「いくぞ、レイ! 俺達で、祭りをやり直すんだ!」
「はいにゃ! トモダチのためだもん! 頑張るにゃー!」
雨空に、騒がしい声が響き渡った。
***???視点***
「――ああ、失敗しちゃったわね」
誰もいなくなった広場。女の声が響く。
「残念だわ。あの子なら、適合すると思ったのに……」
聖獣像の影から現れたその女は、雨に濡れた髪を払いながら、楽しそうに笑った。
「まあ、いいわ。とてもいい見せ物だったし……ねぇ? アナタもそう思うでしょ――聖獣さん?」
像を見上げて言う女。
石像は答えるはずもなく、その場に佇んでいる。
「でも、やっぱり駄目ね。カンナちゃんがいたら。“アナタ”に手を出せないもの」
物言わぬ石像に、女は話し続ける。
「だから、決めたわ。私、決めたの」
雨が、激しさを増した。
「終わらせてあげる。一番簡単な方法で、ね」
それだけを言い残し、雨の中に消える女の背中を、聖獣の像だけが眺めていた。
次回「雨宿り」
乞うご期待!




