二章十六話[聖獣の巫女]
その場に、重い沈黙が落ちた。
祭りの喧騒はすぐ傍にあるはずなのに、まるでそこだけが切り取られたみたいに、静かに思える。
目を見開き、露骨に顔を強張らせるハンナ。
彼女のカンナを見る視線……そこにあったのは、再会の喜びなんかじゃない。
――拒絶だ。
俺には、そう見えた。
「お姉ちゃん……っ」
歩み寄るカンナ。そんな彼女から逃げるように、ハンナは一歩下がった。
「……っ」
カンナの喉が、小さく鳴る。
「お、お姉ちゃん……ワタシ……っ」
言葉が続かない。
胸いっぱいに詰まった想いが、出口を見失っているみたいだった。
「なんの用? アンタ……こんな所にいていい人間じゃないでしょ?」
突き放すようなハンナの声に、カンナの肩がびくりと跳ねた。
「役目を果たさないでなにをしてるの? “聖獣の巫女”様が……呑気に祭りなんか楽しんでる場合じゃないでしょ?」
「そ、それは……」
声を出しかけて――カンナは止まる。
なんだ? なんだってんだ?
これが……姉妹の会話だってのか?
凍えるほど冷えた空気に、俺とレイは身動きが取れなかった。
「ワタシ、ただ……会いたかった……お姉ちゃんがいるって聞いて……だから……!」
「やめて!」
鋭い声が、空気を切り裂く。
カンナの言葉を遮るように、ハンナが叫んだ。
「やめてよ……そんなの、聞きたくない!」
拒むように、遮るように、カンナを睨むハンナ。
「アンタを見ると、思い出すの……」
「……え?」
カンナの声が、震える。
「忘れたいのに……この島で生きてきた毎日……あの苦しみも、痛みも、全部、忘れたい! 聖獣とか、巫女とか……アンタのことも、なにもかも! 私は、忘れたいのよ!」
吐き出すように言うハンナ。
感情が、堰を切ったみたいに溢れていた。
「だ、だから……出て行ったの……?」
息を詰まらせながら問い掛けるカンナ。まるで胸を鈍器で殴られたかのように、その表情は苦しげだった。
そんな妹から、ハンナは目を逸らす。
「っ……アンタには、分からないわよ」
低く、冷たい声。
「そうでしょ? 巫女様? 選ばれた側のアンタには……私の気持ちなんて……っ」
「そんな……」
悲痛な表情のカンナ。
ハンナは、それに耐えきれなくなったかのように――
「――能無しの気持ちなんて、分からないのよ……」
吐き捨て、ハンナはまるで逃げるように、その場から去っていった。
「……っ、お姉ちゃん……!」
縋るように伸ばされたカンナの手。
けれどハンナは、振り返らない。
くるりと背を向け、そのまま走り出す。
「待って……! ワタシ、ワタシは――」
言葉は続かない。
カンナの手は、宙に取り残された。
人混みの中へ、ハンナの背中が消えていく。
人々の笑い声。太鼓の音。
祭りの喧騒が、また耳に戻ってきた。
「……行っちゃった、にゃ……」
レイの小さな呟きが、やけに響く。
カンナは、その場に立ち尽くしたまま、動けずにいた。
俯いた顔は見えない。
けれど、握りしめられた拳が、かすかに震えているのが分かる。
俺は、声をかけるべきか迷って――
「……っ」
――結局、何も言えなかった。
俯いたままで、カンナは動かない。
その小さな肩が上下しているのを、俺もレイも、そっと見守るしかなかった。
***
「……ここが、聖獣広場か」
「すごい人だにゃ〜」
円形に敷かれた石畳。しっかりと整地された広場は、人々の憩いの場として使われているらしい。
それぞれが思い思いに腰を下ろし、食事や雑談に花を咲かせている。
簡素ながら大きな舞台もあり、そこから祭囃子らしき太鼓の音が響いていた。
「んで、あの中心にあるのが……」
「……はい、聖獣様の像です」
その像は、広場の中心に静かに立っていた。
――聖獣オーフィス。
台座の上、人の背丈をゆうに超えるそれは、さっき屋台で見たオーフィス焼きとは、似て非なるもの。
鋭い爪を振りかぶり、牙を剥き出した獰猛な顔のソイツは、まるで敵を前にそのまま固まったかのような迫力に満ちていた。
「なんか、怖いにゃ〜」
「……怖い、ですか?」
耳を畳んで石像を見るレイに、カンナは小さく頷いた。
「そうですね……守り神、ですから。海の脅威から私たちを守ってくれる聖鼬……」
「ふーん、凄いんだな」
「はい。優しいだけじゃない、猛々しい強さ。それを表現した石像なんだって、教えてもらいました……お姉ちゃんから」
「そっか……」
それきり、カンナは口を閉じた。
石像を見上げたまま、しばらく動かない。
俺とレイも、何も言わなかった。
舞台から響く音頭が、なんだか遠くのもののように聞こえた。
「……あの、シノさん?」
「ん?」
ぽつりと、カンナが言った。
「聞かないんですね……さっきのこと」
「……聞いてほしかったか?」
カンナは一瞬だけ目を伏せ、それから小さく首を振った。
「……いえ、きっと……ちゃんと答えられなかった、でしょうから」
弱々しく笑うカンナ。
「はは……ワタシ、駄目ですね。聖獣の巫女として、ちゃんとしなきゃなのに……」
「あっ、それ! 巫女って……なんにゃ? 美味しいの?」
遠慮もなにもなくレイが尋ねる。
まったく、人が気を遣ってる時にこの猫は。
きょとんと目を瞬かせるカンナ。でも、すぐにふっと笑って、
「美味しくは、ないですね」
「な〜んだ。残念にゃ」
「お、お前なぁ……」
一瞬で興味を失った様子のレイに、俺は呆れた。
「巫女は……なんというか、聖獣様と人を繋ぐ存在、なんだそうです」
「繋ぐ?」
「はい。島が聖獣様に見捨てられないように、島民の代表として祈りを捧げたり、歌や踊りを献上したりする役目……この祭りだって、そのためのものですから」
そう言って聖獣の像を見上げるカンナ。
「だから、ホントはここにいちゃいけないんです。明日の本祭、そのためのお稽古をしないと……なんですけど」
バツの悪そうな顔で俯くカンナ。
複雑だな、色々と。
自分の役目と、姉への気持ちと。その小さな体に、俺なんかよりも沢山のものを背負っている。
「……大変、なんだな」
「ええ。でも、それがお役目ですから」
「そっか……」
それ以上、俺はなにも言わなかった。
逃げ場のない役目を真正面から受け止め、責任を果たそうとしているカンナの姿は、とても強く、そして痛々しいものに思えて。
言葉じゃ、寄り添えないような気がしたから。
「……よし! そんじゃ、もうちょっとだけさぼろうぜ?」
「へ?」
間の抜けた声を上げるカンナ。
「なにするにゃご主人?」
「決まってんだろ? 飯だよ、飯!」
俺は持っていた袋を地面に下ろした。
さっき屋台で買った包みが、いくつも顔を出す。
「すっかり冷めちまったな」
「う〜、もったいないにゃ〜」
「す、すみません。ワタシのせいで……」
頭を下げるカンナだったが、俺は気にしない。
「大丈夫大丈夫! 俺を誰だと思ってんだ?」
言いながら、俺はおもむろに背中の鉄鍋に手を伸ばした。
不思議そうに首を傾げるカンナ。そんな彼女を尻目に、携帯用のミニ焜炉を組み立てる俺。
「危ないから、ちょっと離れとけよ? 」
「えっと、なにを……?」
「まあ、見てなって!」
広場の端、邪魔にならない石段に腰を下ろすカンナ。
それを確認してから、俺は焜炉に魔力を通し、火を起こした。
「冷めたんなら、温めりゃいいんだよ!」
そう言って鍋に油を少し垂らし、冷めた焼きそば(らしきもの)を投入する俺。
ついでに串焼きから取り外した肉も混ぜて、炒める。
ジュッ、という音と一緒に、具材とソースの香ばしい香りが立ち昇る。
「にゃ~、美味しそうにゃ!」
「……っ!」
カンナの喉が小さく鳴ったのを、俺は聞き逃さなかった。
「おっ、そうだ!」
ちょっとした思いつき。
俺は、これまた屋台で買ったパンを人数分袋から取り出し、包丁で一閃。縦に割けるような切り込みを入れ、断面にバターを塗り込んだ。
「青春の味、ってやつだな」
学生の頃を思い出す。
俺は、パンの裂け目に、温めた焼きそば(らしきもの)を詰め込んだ。
「完成ッ! ほら、熱いから気を付けて持てよ?」
戸惑いながらも、手を伸ばすカンナ。
「あ、ありがとうございます! えっと……これは?」
「焼きそばパンだ! まあ、なんだ。見た目は変わってるかもしれないけど、美味いからさ! 食ってみてくれよ!」
カンナは、恐る恐るといった様子で手に取ったパンを見つめた。
なんだか、ぎこちない動き。もしかして、食べ方が分からないのか?
「ひと思いに齧り付いたらいいよ! ほら、ソイツみたいにさ!」
「ん〜っ、あったかくて美味しいにゃ〜!」
俺が指差した方には、豪快にパンを頬張り目を輝かせているレイの姿が。
なんとも騒がしいその様子を見て、カンナは意を決したように口を開く。
――ガブリ。
遠慮がちに頬張った、次の瞬間――
「――お、美味しい……っ!」
カンナの目がぱっと輝いた。
「だろ?」
「はい! 麺の甘じょっぱさをふんわりしたパンが包み込んで……こんなの、初めて食べました……!」
「へへ、意外と相性がいいんだよな」
炭水化物と炭水化物。喧嘩しそうな組み合わせだけど、実は仲良しな奴ら。まるで、兄弟みたいに。
一口、また一口食べる毎に、カンナの表情は柔らかくなる。
少しは、肩の力が抜けただろうか?
「……ありがとうございます。シノさん」
「いいって、礼なんか……料理人には、こんなことしかできないからさ」
言葉で慰めたり、救ったり、俺にはできない。
だからせめて、美味い料理でちょっとでも気分を軽くできればと思う。
それが、俺の役目だから。
「おかわり、まだまだあるからな? 遠慮なく言えよ?」
「は、はい……!」
「はいはーい! レイ、おかわり!」
「はえーよ、お前は!」
微笑み、カンナはまた一口、パンを頬張った。
「あ、温かいです……本当に」
震える声。
ポタポタと、彼女の足元に染みができていく。
俺は見ない振りをして、パンを大きく頬張った。
次回「選ばれなかった者」
乞うご期待!




