二章十一話[波乱の航海・結]
「……え、えっと……」
ぽつり、と。
この場で一番空気を読まない声が響く。
「ヴィオレさん、悪い人……なのかにゃ?」
その問いに、ヴィオレは一瞬だけ目を伏せ、そして――
「ふふっ」
――柔らかく微笑んだ。
「……さあ。どうかしらね?」
ヴィオレは顔を上げ、集まる視線を一身に受け止めた。
怯えも、戸惑いも、怒りもない。ただ、静かな余裕だけがそこにあった。
「認めない、ってことですか?」
「いいえ。認めるところは認めましょう。確かに、サイレントスネークを船に持ち込んだのは――私」
ざわ、と空気が揺れる。
「なんと……お前さんが?」
「な、なんで、そんな危険なこと……!」
「それは秘密……ごめんなさいね、お嬢さん。私、あまり人に言えない仕事をしているの」
恐る恐る尋ねたハンナに、ヴィオレは指を一本立てる仕草で答えた。
「人に言えねぇ仕事、ときたか……なあ姉ちゃん……アンタ、まさか――」
ゴクリと唾を飲んでギリアンは続けた。
「――“白影”……じゃねぇよな?」
「え? しろ、かげ……って?」
知らない単語。
周りを見れば、他の面々も俺と同じく頭に疑問符を浮かべているようだった。
「まあ、兄ちゃん達が知らないのも無理はねぇさ……白影っつーのは、聖教教会の……暗部の名前だからよ」
「あ、暗部って……」
不穏な響きに、周りの空気が張り詰める。
「表にゃ絶対出ねぇし、見たって奴はたいていこの世にいねぇ。なんたって、奴らの主な仕事は――」
「――諜報と粛正……つまり、暗殺ね」
「なっ……!?」
淡々と告げるヴィオレ。そんな彼女から、俺達はなんとなく一歩引いて距離を取る。
体の奥から、薄ら寒いものを感じた。
「ふぅむ……驚きじゃな。しかし……ギリアン、じゃったか? お前さん、ずいぶん詳しいのう?」
「そりゃあ……うちの商会にゃ、色んな客が来るんでな。それこそ、教会のお偉方とかよ」
ギリアンの言葉に、ヴィオレは小さく肩を竦めた。
「商人の耳は猫より鋭い……よく言ったものだわ。でも、気を付けてね? あまり余計なことを知ると、碌なことにならないから」
「へっ、肝に銘じるよ」
分かりやすい脅し文句にギリアンは動じず応える。
この世の闇に触れている感覚。
今そこにいるヴィオレが、途方もなく遠い存在になったように、俺には思えた。
「じゃ、じゃあ……本当に、ヴィオレさんが?」
震える声で尋ねた俺に、ヴィオレは「ふふっ」と微笑んで返す。
「ご想像にお任せするわ。ああ、因みに――」
鋭い視線。
その瞬間、俺は蛇に睨まれたような錯覚に陥った。
「鑑定しても無駄よ? 私、隠すのがうまいの」
言葉の通りだった。
ヴィオレに対して鑑定を発動した途端、頭に針が刺さったような痛みが走り、スキルが中断される。
「ご、ご主人!? 大丈夫にゃ!?」
「っ……ああ、大丈夫」
軽く頭を振って気を取り直す。
鑑定の妨害……そんなことできんのかよ。そんなの、まるで……“アイツ”じゃねぇか。
赤き災厄――“ファブニール”を鑑定しようとした時のことを思い出し、俺は戦慄した。
でも、ここで立ち止まる訳にはいかない。
真実はもう目の前。ヴィオレという女が例え何者であっても、俺は……確かめなきゃいけないんだ。
「ヴィオレさん……一つ、いいですか?」
「ええ、どうぞ」
余裕の笑みを崩さないヴィオレに、俺は踏み込む。
「アナタが船にサイレントスネークを持ち込んだのは、“仕事”のため……ですか?」
含みを持たせた俺の問いに、場の空気がピシリと凍りつく。
「し、仕事……って、まさか……っ」
言葉の裏を察したらしいハンナが、血の気の引いた顔をヴィオレに向ける。
「うふふ、怖いもの知らずなのね。嫌いじゃないわ」
「いいから、答えてください」
視線がぶつかる。
震えそうな体を抑えながら、俺はヴィオレを問い詰めた。
「いいわ、答えてあげる。私が蛇を持ち込んだのは……そうね、確かに。お仕事に使うためよ」
「やっぱり……」
「ああ、でも――」
首を振るヴィオレ。
「――誤解しないで頂戴ね? 別に……そこで死んでいる彼は、標的ではないの」
「え?」
俺は思わず声を漏らした。
「標的……じゃない? 本当ですか?」
「疑っても構わないけれど……少なくとも、私には彼を殺す意思なんてなかったわ」
ニックの死体に目を向けながら言うヴィオレ。
その表情はどこか、悲しげに見えた。
「でも、じゃあ……なんで……」
「そ、そうよ! なんで、ニックさんは死ななきゃいけなかったの!?」
「落ち着いてください、ハンナさん」
取り乱すハンナをイレーネが手で制す。
「ヴィオレさん、私からも少しよろしいでしょうか?」
「……なにかしら?」
一歩前に出たイレーネは、冷静な口調でヴィオレに対する。
「ニックさんが亡くなった時……アナタは、何処にいましたか?」
「…………私の部屋よ」
「そうですか」
イレーネは一度だけ頷き、淡々と続けた。
「では……そこで、誰かと会いましたか? 訪ねてきた人がいたのでは?」
「…………」
ヴィオレの答えは、沈黙。
でも、それはもう……決まっている。
イレーネからバトンを受け取るように、俺は声を上げた。
「ニックさん……ですよね?」
「彼が……? 何故、そう思うのかしら?」
なんの用事があったのかは分からない。でも、昨日の夜中、ニックが202号室を訪れた可能性を示す証拠はある。
「蛇の抜け殻は、ニックさんの胸ポケットに入っていました。御存知の通り、その辺にいるような蛇のものじゃない。それじゃあ一体、ニックさんはどこでそんな物を拾ったんでしょうか?」
答えは既に知れている。
「202号室……」
「そうです、ハンナさん」
彼女は俺達と一緒に202室に入って、アレを見ている。もう、察している筈だ。
俺は、静かにヴィオレを見た。
「結論を言います――昨夜……ニックさんはアナタの部屋を訪ねた。そこで、蛇に噛まれて死んだ。そして、それを隠すために、アナタは死体を食堂に運んだ……違いますか?」
ヴィオレは、目を伏せたまま動かなかった。
静寂。
その場にいる誰もが、ジッと彼女の答えを待っていた。
「…………ふっ」
やがて、ヴィオレは小さく息を吐いた。
「凄いわね……そこまで辿り着くなんて」
「ヴィオレさん……」
力の抜けた表情で手を叩くヴィオレ。
「ええ、貴方の言う通りよ。昨日、あの宴会の後……彼は私の部屋を訪ねてきたの」
「そんな夜中に……なんで?」
訝しげに尋ねる俺。
ヴィオレはその時のことを思い出すように、遠くを見ながら答える。
「お詫びに来た――彼は、そう言っていたわ」
「お詫び?」
「昼間の件でね。『料理人として、恥ずべき皿を出してしまったから』と……彼は頭を下げてくれたの。サービスだって、美味しいデザートを持ってね」
「デザート……そうか……!」
だから、ニックはあの時、一人で食堂に残ったんだ。
そして、作った。
料理人としてのプライド。自分の料理を「不味い」と言った相手へ、本当に美味しいものを提供するために。
その気持ち……俺には、痛いほどよく分かった。
「律儀よね? 思わず見直しちゃったわ……だから、とても残念」
目を伏せて、ヴィオレは続ける。
「彼は、運が悪かったわ……」
「運……ですか?」
「いえ、油断……と言うべきかしらね」
そう言うとヴィオレは、突如右手を上げて一言――
「――出なさい」
すると、それに反応したかのように、ヴィオレの身に付けている外套が蠢く。
「にゃッ!?」
「おい、全員下がれ!」
威嚇するレイ。
ギリアンの声に従って皆が一歩下がる。
誰もが、息を呑んでその光景を見た。
「サ、サイレントスネーク……ッ!」
ソイツは音もなくヴィオレの腕を伝い、外套の闇の中から姿を現した。
細長い、漆黒の蛇。その口からは、まるで注射針のような牙が覗いている。
「ひっ……」
「動くな、噛まれたら終いだ……!」
ギリアンの張り詰めた声が響く。
俺の背中を、冷たい汗が伝った。
「安心して。大人しい子よ。刺激しない限り、自分から誰かに襲いかかることはしないわ」
「信じろってのかよ……!」
その場の全員が、恐れと疑念を持って蛇の動向を窺っていた。
「信じる信じないはご自由に。この子に出てきてもらったのは、分かりやすくするためですもの」
ヴィオレは、蛇を撫でながら続ける。
「見てもらった通り、この子は暗い所が好きでね? 普段は、私の外套の中に潜んでいるの」
「ま、マジかよ……」
呟いたギリアンの気持ちは分かる。
サイレントスネーク。死神が、常に傍にいたという事実に、俺は血の気が引いた。
「あの時も、そうだったわ……でも」
一呼吸置いて、ヴィオレは続ける。
「彼を部屋に通した時、私は外套を脱いで……椅子の背に掛けたままだった。この子が中に残った状態で……ね」
「そんな、それじゃあ、まさか……っ」
「ええ、そのまさか……なにも知らない彼は、持って来たデザートをテーブルに置こうとして……そこで、外套に触れてしまったんでしょうね」
サイレントスネークが、すっと首をもたげる。まるでその瞬間を再現するかのように。
「気付いた時には、手遅れだった。私が目を離した一瞬、そこで全ては終わっていたわ」
「……っ」
ハンナが口元を押さえ、イレーネは目を伏せた。
「助けることはできなかったのですか?」
「無理よ」
ヴィオレははっきりと言い切る。
「アナタも知っているでしょう船医さん? サイレントスネークの毒の即効性は脅威よ。噛まれた時点で……もう、助かる見込みはないわ」
「そう、ですね」
悔しげな表情で口を閉ざすイレーネ。
しばらく、誰も声を上げなかった。
重苦しい空気の中、
「ふぅむ、それが真実……ということかのう?」
低い声で船長が言う。
ヴィオレは頷き、それを肯定した。
「……ニックをここへ運んだのも、お前さんか?」
「そうね。仕事柄、私は目立つ訳にはいかない。ましてや正体を明かされるなんて、沽券に関わるわ。だから……」
事故に見せかける必要があった……そういうことか。
「そんな……! じゃあ……ニックさんは……本当に、ただ……!」
それ以上言葉にならず、ハンナは唇を噛んだ。
「ええ。巻き込まれただけ。全ての責任は、私にあるわ」
ヴィオレは、はっきりとそう言った。
言い訳も、正当化もしない。
「お騒がせして、本当にごめんなさい。この件に関する処分は……甘んじて受けるつもりよ」
「ヴィオレさん……」
深く頭を下げ、謝罪を述べるヴィオレ。
でも、失った命は……二度と返らない。
救われない。
誰も救われない結末に、俺は打ちひしがれるしかなかった。
「船長さん、アナタの判断に従うわ。煮るなり焼くなり、どうぞご自由に」
「ふぅむ……」
顎髭を撫でる船長。
しばらく思案していた様子だったが、やがて意を決したようにヴィオレへ、
「法の上で、人を害した獣がどうなるかは、知っておるな?」
「……捕食者として認定し、即時処分」
「うむ、そうじゃ。まずはそのサイレントスネーク……こちらに渡してもらうぞ。よいな?」
「ええ、仕方がないもの……」
船長の指示で、船員がどこからか木箱を持って来る。
その中へヴィオレは蛇を入れ、少し名残惜しそうに蓋を閉めた。
「ふむ、蛇に関しては、これでいいじゃろう。次に、お前さんの処分じゃが……」
眉間に皺を寄せながら、船長は続ける。
「……直接手を下していない以上、お前さんを裁く法はない」
ざわつく。
それは赦しでもなく、断罪でもない。ただの事実だった。
「だから、これは儂の個人的な判断じゃ。船を預かる者としての……な」
船長は、静かに続けた。
「お前さんは、この船に災いを持ち込んだ。その結果として、仲間の命が失われた。例え意図がなかったとしても、それは変えようのない事実じゃ」
ヴィオレは微動だにせず、その言葉を受け止めている。
「故に――もはやこの船に、お前さんの居場所はない」
ぴしり、と空気が張り詰めた。
「次に寄港する港で、お前さんには下船してもらう」
「……分かったわ」
「そこへ着くまでの航海中、自室から出ることは許さん。一応、見張りも付けるからのう。妙な行動はせんようにな」
「ええ、勿論」
下された処分を、ヴィオレは宣言通り甘んじて受け入れた。
「それだけじゃ。後は、ニックの奴に詫び続けて生きるがよい」
しばしの沈黙。
やがて、ヴィオレは――ふっと、力を抜いたように微笑んだ。
「……優しいのね、船長さん」
「儂には、これが精一杯でな」
肩をすくめる船長に、ヴィオレは小さく息を吐く。
「ありがとう。その裁き……しっかり、受け取らせてもらうわ」
そうしてヴィオレは一礼すると、船員に連れられ食堂から退室していった。
その去り際、
「……ヴィオレさん」
思わず声をかける俺。
ヴィオレは振り返り、柔らかな視線をこちらに向けた。
「なにかしら?」
「い、いや、俺……その……」
言葉に詰まる俺に、ヴィオレはふふっと微笑んだ。
「アナタには、お礼を言わないといけないわね」
「え?」
お礼?
言われた意味が分からず、俺は戸惑った。
「ニック……彼の、最期の料理は、美味しかったわ」
「そう、ですか……」
「きっと、アナタのお陰よ。アナタが、彼に勝ったから。彼はあれだけの味を出せる料理人になった。そう思うの。だから――」
――ありがとう。
その一言だけを残して、ヴィオレは食堂から立ち去っていく。
その背中が見えなくなるまで、俺は彼女を眺めていた
「ご主人……大丈夫?」
「……ああ、大丈夫だ。部屋、戻るか」
「うん、それがいいにゃ!」
そうして、俺達もまた食堂を後にする。
「――あっ!」
「な、なんだよ?」
「レイ、まだ朝ご飯食べてないにゃ!」
「はぁ!?」
この状況で何言ってんだこの猫は。
呆れ顔になった俺だったが……
「いや……そうだな。なにか、作るか?」
「いいの? やったにゃー!」
「ったく」
レイの笑顔。それを見た途端、重い心が少しだけ軽くなった気がした。
「厨房行くぞ! お前も手伝え!」
「はいにゃー!」
騒がしいレイを連れて、俺は前を向く。
少しだけ振り返って、
「じゃあな……」
小さく呟くように。
横たわるニックへ……誇り高き料理人へ、別れを告げた。
次回「灰色の入港」
乞うご期待!




