一章四話[飴と鞭と太陽]
なにがなんだか分からない。
けど、とにかく命拾いしたのは確かだ。
どうやら、天はまだ俺を見捨ててはいなかったらしい。
いやはや、ありがたや。ありがたや。
お天道様のあまりの神々しさに俺は自然と手を合わせ、その場に跪いていた。
「おいこら! てめぇはなに、人の頭を見て拝んでやがる!」
「うひゃあ!!」
威勢のいいがなり声が響く。驚いて顔を上げると、そこにはお天道様……ではなく、とんでもなくいかつい男の姿があった。
――誰だ、このおっさん!?
突然の新キャラ乱入に動揺する俺。
こんな所で人に会うとは思わなかったから余計にビックリだ。
しかし……そうか。
お天道様と見紛うばかりの輝きを放っていたのは、このおっさんの滑らかな“頭皮”だったらしい。
「なぁに、変な声出してやがんだ?」
「いや、あの……」
大柄で、ゴツゴツとした岩のように筋肉質な体型。それに見合って声もでかいため、威圧感が半端ない。
おっかねー。あの目付き、絶対堅気の人間じゃないわ。
思わず挙動不審になり、声もしどろもどろになってしまう。
ってか、このおっさん。さっきから聞いたこともない言語で喋ってるよな?
なんで普通に理解出来てんだ? ってか、今気付いたけど俺も喋ってるし……んー、これはやっぱ、この体が異世界人だからってこと? そういうもんなのか? 分からん。ま、そういうもんにしとこう。いやはやなんとも、奇妙な感覚だ。
「――んなことより!」
おっさんは呆れた様子で、視線をこちらから周囲に移した。
「この状況……てめぇ、大丈夫なんだろうな? シノ!」
未だ辺りに蠢くスライム達を睨みながら言うおっさん。
そうだ……まだ危機的状況は継続中だった。
少し数を減らしたとはいえ、スライムの群れは健在だ。
見た感じおっさんも強そうだが、手に持っているのは立派な出刃包丁一本。武器ですらない。いくらなんでも、この数を相手にするのは厳しいだろう。
俺自身もフラフラで役立たずだし……ここはやはり、二人で協力して逃げるしかない。
そう思った矢先、
「ったく……そこでじっとしてろよ」
そう言っておっさんは一人、ずかずかと前に進み出る。
――って、おっさん!?
動くものに反応する性質でもあるのか、考えなしに歩いてきた獲物の元へ、スライム達は一斉に集結する。蠢き、我先にと積み重なるその様相は、まるで壁だ。
「お、おい!?」
「心配すんな。すぐ終わる」
そんな頼り甲斐のある言葉を残して、おっさんは瞬く間にスライムの壁の向こうへと消えた。
ちょ、え? おい……おっさん? おっさーーん!!
「そんな……」
群がるスライム達。その中で朧気にしか確認出来ないおっさんの姿を、俺はただ呆然と眺めているしかなかった。
なんてこった……折角人に会えたと思ったのに。新キャラの退場早過ぎだろ……。
多分、良い人だったよな。顔は怖かったけど、助けてくれたし。言葉は乱暴だったけど、心配してくれてたし。
それに、そうだ。俺のことも知ってるみたいだった。
知り合い……だったのかな? 残念ながら、俺にその記憶はない。
「名前くらい、聞いときゃよかったな……」
あの調子じゃ骨も残らなそうだ。
えげつない食事風景。おっさんが終わったら、次は俺の番か。
そんな絶望的な未来予想図が頭をよぎった、その時――
「――点火ぁ!!」
野太い怒声。それに呼応するかの如く、眼前に轟々と炎が巻き上がる。
どこからともなく出現した火柱は、瞬く間におっさんに取り付いていたスライム達を包み込み、そのことごとくを炭化、或いはドロドロに溶かしていった。
焦げた草木とスライムの独特な臭気が混ざり合って辺りに満ちる。
やがて、炎は標的を失ったかのようにその勢いを弱め、最後は小さな火花となって静かに消えた。
「すげぇ…………」
一部焦土と化した空間。立ち込めた霧すら吹き飛ばし、視界がクリアになったその中で、涼しげな表情のまま埃を払うおっさんの姿に、俺はただただ驚嘆して言葉が出なかった。
「スライムの丸焼き一丁上がり! って、誰も食わねえか。こんなもん」
すいません、さっき生でいただきました。
酷い味だったよ実際。
でもよかった。おっさんがそう言うってことは、この世界の主食がコレって可能性はないんだな。本当によかった。
と、それはさておき、
「今のは……魔法?」
「ああ? 今更何言ってんだ。別に珍しくもねえだろ。俺が火ぃ使うのなんざ」
どうやらそうらしい。
いやどう見ても魔法タイプの体格してないんだけど。どっちかっていうと魔力より武力で物事を解決してそう……だと思ったけど、今しがた目の前で起きた現象は疑いようがない。いやはや、人は見かけによらないってことか。
「……んなことより! おい、シノ!」
「は、はい!」
急に掛けられた大声に思わず背筋を伸ばして応える。
そんな俺の両肩をがっしり掴んでおっさんは、
「てめぇ、無事か? 無事だな!?」
力のまま激しく肩を揺さぶられ、視界がぐわんぐわん上下にブレる。
うう……貧血状態でこの仕打ちは辛い。全く、巧実といい、どいつもこいつも重傷者を乱暴に扱いやがって!
こちらの返事も待たず満足気に「よし!」と頷くおっさんに対し、俺の方は不満が募る。が、なにも言えない。
そりゃそうだろ。
そんな……心配そうな顔されたら、なにも言える訳がない。
おっさんの不器用な優しさを感じながら、俺はされるがままに頭を揺らした。
ともあれ、危機は去った。
あれだけいたスライムも一掃できたことだし、とりあえずこれで一安心――
「――こんの、大馬鹿野郎!!」
グイッと引き込まれるような感覚。それが胸倉を掴まれたからだと気付いた次の瞬間、目前におっさんの殺人的な鉄拳が迫ってくるのが見えて――
「――って、ちょ、待って! 死ぬ! 俺、今瀕死! それ食らったら、多分死ぬ!」
「なにぃ!? おお、よく見りゃ血塗れじゃねえか! クソッ、言わんこっちゃねぇ! こんなとこに一人で来やがるからだ! 死にてぇのかてめぇ!?」
そいつは、なんとも言えない。
だって、あれだ。状況だけを見れば、シノって奴はここで……。
いや、やめよう。詮無いことだ。
全部俺の勝手な想像でしかないし、仮にその通りだったとしても、それがどうした。関係ないだろ?
今、ここに立ってるのは俺だ。シノじゃない。見た目が多少変わろうと、俺の心はなにも変わらないんだ。
少なくとも、俺自身は――
「――死にたくない、です……」
まあ、たった今おっさんのせいで死にかけたけどな。とは言わないでおく。
「へっ、そうかよ。んじゃ、とりあえずこれでも食っとけ!」
言うが早いか、おっさんは腰に付けた鞄からなにやら取り出すと、それを無理矢理俺の口の中に突っ込んだ。
「うぇ!? なんっ……これ!?」
「うるせぇ! いいからさっさと呑み込め!」
侵入してきた異物を思わず吐き出しそうになる。しかし、おっさんの大きな掌が口を塞いでそれを許さない。仕方なく、俺は言われるがままモグモグとその物体を咀嚼する。
「…………」
シャリシャリと、まるでシャーベットのような独特な歯応え。なんとなく植物っぽい気もするが青臭さはなく、ほんのり塩味。甘さもある。レタスやキャベツとはまた違って、なんというか、不思議な食感だ。たまにスーパーで見かけるアイスプラントに近いものがあるかもしれない。
粉チーズをかけてシーザーサラダにしたら美味いかもな。
なんてことを思っている内にそれはスっと喉を通って、俺の胃袋に収まった。
その瞬間――
『――アイテム、“ケアプラント”使用。回復効果。HP中回復』
おお、やった! やったぞおっさん!
およそ半分近くまで回復したHPを見て安堵する俺。心做しか体も軽くなったように感じる。
「どうだ、傷の具合は? ちったぁマシになったろうが?」
そう言われて恐る恐る左手首を確認してみる。すると、なんということでしょう。あの全治一ヶ月はかかりそうな深手が、まるで初めから無かったかのように綺麗さっぱり治っているではありませんか。
「ま、ホントは煎じて薬湯にするのが一番なんだがな。応急処置には十分だろ」
いや十分すぎるくらいだ。
あんな致命的な傷がちょっと草を齧ったくらいで回復するなんて、凄いアイテムがあるもんだ。流石は異世界。ケアプラントって言ったか……覚えておこう。
「顔色も良くなってきたじゃねえか! これならもう大丈夫だな! よし!」
おかげさまで。
本当に助かった。おっさんと出会わなかったらとっくにスライムの餌になってたであろうことを思うと感謝しかない。その上治療までしてくれるなんて、やっぱりとんでもなく良い人だ。
「ありが――」
「――こんの、大馬鹿野郎!」
「ブヘッ!?」
聞いたような台詞と共に頭上から衝撃が降り注ぐ。礼を言おうとした口が強制的に閉じて舌を噛んだ。痛い。
なんだなんだ、隕石でも落ちてきたか? と思ったが、そんな訳はない。頭を抱えながら顔を上げて、すぐに分かった。落ちてきのは、他でもないおっさんの太ましい拳骨だ。
――って、結局殴んのかい!
『――HP減少』
うわ! 減った! ちょっと減ったぞ! なにすんだ、このハゲ! 前言撤回だ。この暴力親父め!
そんな心の声が聞こえたのかどうか。
「てめぇは、本っ当に、大馬鹿野郎だ!」
そう言って再び拳を上げるおっさん。
やばい! もう一発来る!
俺は思わず目を閉じて、頭を庇う体勢をとった。
だが、
「…………?」
来ない。
いつまで待っても、覚悟していたような衝撃は訪れなかった。
代わりに、
「あ…………?」
ふわりと、優しい温もりが俺を包み込む。
予想外なそれに驚いて顔を上げ、目に映った光景にもう一度驚愕した、のと同時に困惑した。
――なんで俺、おっさんに抱き締められてるんだ?
殴られるかと思いきや、熱い抱擁を受けていた。
これだけでも十分に訳の分からない状況だが、更に分からなかったのは――
「シノ……シノよぅ。てめぇ、ふざけんじゃねぇぞ!」
――そう言うおっさんの声が、今にも泣きそうなくらいに震えていたことだ。
「てめぇがどんなつもりでここに来たかなんざ知らねえけどな! “コトハ”が、てめぇの母ちゃんがあんなことになっちまって、もう誰もいないとでも思ったのか!? てめぇがどっか行っちまって、悲しむ奴が誰もいないとでも、そう思ったのかよ!?」
分からない。
堰が切れたように押し寄せて耳を打つその言葉の意味を、俺はまるで理解することが出来なかった。
当然だ。俺は……シノじゃない。俺の中にあるのは、俺の記憶だけだ。だから、分かる筈がない。
「もういい。もういいんだシノ! すまなかった! 俺が、俺がもっとちゃんとしてりゃ……本当にすまねぇ!」
なにがもういいんだろう? なにに謝っているんだろう?
分からない。
おっさんのことも、シノのことも。なんの事情も背景も。なにもかも、分からない……その筈なのに。
何故だろうか?
なんで、俺は――
「あ、え……?」
――俺は、泣いているんだろう?
「辛かったな。今まで」
涙が、溢れて止まらない。おっさんの言葉が耳に入る度、俺の意思とは関係なく瞳から零れてくる。
一体、この涙の源泉はどこにあるんだろう?
分からない自分がもどかしかった。
「大丈夫だ。てめぇを独りにはしねえ! 俺が、そんなことにはさせねえ!」
それだけ。たったそれだけの言葉に、胸がカーッと熱くなって、なんだか……救われたような気がした。
「ありがとう……ありがとう、ございます……!」
口が勝手に動いたんじゃないかと思う程、自然と出た言葉。だけどそれがなにに対するありがとうなのか、もはや自分でもはっきりしなくて――
『――ありがとう……』
なんだろう?
いつかどこかで、同じようなことがあったような……そんな、妙な既視感と懐かしさがあった。
「……よし! 決めた!」
バッと、密着していた体を離しておっさんは言う。
「シノ、てめぇ俺ん所に来い!」
「ふぇ?」
言われている意味が上手く理解できず、変な声が漏れる。
「うちの店で面倒見てやるって言ってんだ! なんだ、文句あんのか?」
「い、いや……」
有無を言わせぬおっさんの圧力に負けて俺は首を振った。
「安心しろ! ちょうど一部屋空いてるからな! 金も……まあなんとかなる! てめぇ一人を養うくらいどうってことねえ!」
口を挟む余裕がない。そうこうしてる内にトントン拍子で話が進む。
「勿論、店の手伝いはしてもらうけどな! 働かざる者食うべからずよ!」
そう言ってガハハと笑うおっさん。
どうやらこちらに拒否権はないらしい。
「そうと決まりゃあ、こんな所に長居は無用だな! とっとと帰るぞ!」
度重なる急展開についていけず呆然となる。
異世界に来てはや数十分。まさか初対面のいかついおっさんとひとつ屋根の下で暮らすことになるとは……誰が予想できただろう。
「なにボーっと突っ立ってんだ? 行くぞ! ついてこい!」
急かすように言うおっさん。その声に引っ張られて、俺はゆっくり歩き出す。
ホント、強引な人だな。
なにもかも一方的に決めて、俺の意思や意見はどうなるんだ?
普段なら、きっとそんな風に抗議してただろうと思う。
だけど、今は――
「まあ、なんだ。改めて、これからよろしくな! シノ!」
「は、はい!」
――不思議と、嫌じゃなかった。
寧ろ嬉しいと感じている自分がどこかに、確かに存在していて、これで良かったのだと、そう思った。
いつの間にか涙は止まり、代わりに――
――グゥ。
安心して緊張が解けたせいだろう。まだ満たされていなかった腹の虫が思い出したように騒ぎ出す。
「んだよ、腹減りか? しゃあねえ。店着いたらなんか作ってやるよ!」
「作る? おっさ……えっと、あなたが?」
思わず聞いてしまった。そして聞いてから、すぐにそれは愚問だということに気付く。
「なんだ他人行儀に。当たり前だろ? 変なこと聞きやがって。さてはボケたか?」
そう言いながら笑うおっさんだが、それに関しては当たらずとも遠からずだ。
シノとしての記憶がない以上、俺としては第一印象で全てを判断するしかない。その第一印象において、薄々思っていたことはあった。
冷静な目で見れば、すぐに知れたことだ。
まずその格好。腰に巻いた前掛けはまるでラーメン屋みたいな雰囲気だし、そもそも武器に使ってたのはどう見ても包丁だった。これだけでおおよそ察しはつく。その上「店」なんて言葉を聞けばもう殆ど決まりだ。
おっさんは、多分――
『――料理人スキル。食材鑑定Lv1、発動』
個体名:ヴァルド・シーフレア
年齢:47
性別:男
職業:“料理人”
可食適性:✕
ほらな、やっぱり“俺と同じ”だ。
おっさんの名前が見た目通りのゴツさだったことも含めて、予想通りの鑑定結果に俺は人知れず頷いた。
「料理人……」
それも、年齢から見るにきっと手練れだ。
その異世界の料理人が自ら腕を振るって俺に料理を作ってくれるというのは、考えてみるとなかなかに贅沢なことかもしれない。
一体どんな料理を作るんだろう?
なにが出てくるか分からないドキドキも相まって、俄然楽しみになってきた。
「ま、ずっと世話になるって訳にはいかないんだけどな……」
ここに来た目的を忘れてはいけない。
――勇者を探せ。
自称神様から言われたそれを遂行するには、否が応でもこの世界を巡る必要があるだろう。おっさんには悪いが、いつまでも一所に留まってはいられない。俺が俺の世界に帰るために、それだけは絶対だ。
とはいえ、準備が必要なのは事実。
旅をするなら必要な物も沢山あるだろう。勇者とやらに関しての手掛かりも何一つないし……俺自身の体調だって、まだまだ万全とは言い難い。
という訳で、とりあえずしばらくはおっさんの所で世話になろう。
「この世界の料理も気になるしな……」
結局は、それだ。
料理人としての性。ここがどこであれ、俺が俺である以上、こればっかりは如何ともし難い。
我ながら呑気なもんだとは思う。
だけど、なんだかんだで異世界に来る機会なんてそうあるもんじゃない。それに、ここまで散々な目に遭ったんだ。だったら、少しくらいは異世界を満喫したってバチは当たらないだろう。
そうして胸の内で自分に言い訳をしながら、俺はおっさんの背中を追いかけた。
大きい。とても大きくて、頼もしい背中だ――
『――――』
――ふと、その姿が“誰か”と重なって見える。
「っ……“親、父”……?」
いや、そんな訳はない。
チクリと痛んだ頭を振って、口ずんだそれを即座に否定する。
なんだって今あんな奴のことを思い出すのか?
「いや、どうでもいい……」
忘れろ。
今は、そんなことに構ってる暇はないんだ。
「どうした?」
「いえ、別に……」
頭に浮かんだ幻影を無理矢理消し去り、俺はおっさんの後について歩みを進めるのだった。
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次回「重なる面影」
乞うご期待!