一章三十九話[焦土に舞う]
***シノ視点***
「――おらよぉッ!!」
掛け声とともに包丁をフルスイング。出口を塞いでいた瓦礫を吹っ飛ばす。
おっさんの言う通りだった。
解体包丁【大炎海】、こんなに規格外な大きさなのに、驚くほど手に馴染む。こんなに細い体にもかかわらず、振り回すことが苦にならない。
これが、料理人としての力なのか?
思った以上の威力に、俺は唸った。
「これなら……!」
いける!
ワイバーンの一匹や二匹くらい、どうにかなるかもしれない。
意気込んで外に出た――その時、
「……?」
違和感に気付く。
「なんだ……?」
静か過ぎる。
ついさっきまで聞こえていたワイバーンの唸り声も、壁を叩く音も消えていた。
「今の一撃にびびって逃げた……訳ねぇよな?」
その問いに答えるかのように、耳に飛び込んできたのは――地鳴り。
正面、奥から黒煙に包まれたなにかが近づいてくるのが見えた。
「おいおいおいおい、まさか……!」
空気が変わった。
包丁を握る手に汗が滲む。
周囲の熱気で、喉が焼かれそうだった。
『――料理人スキル。食材鑑定Lv3、発動――』
個体名:F▲B∴Nィ〓ル
年齢:?▯?¿?
性別:N/A≠≒
種族:■■
可食適性:ERRO╳
毒性:N#ll
食材ランク:ERR/╳
『――鑑定不可』
頭痛、視界にノイズが走る。
「な、んだ、これ……!?」
意味不明な文字列。
鑑定不可……こんなこと、初めてだ。
その結果の不気味さに、俺の肌は粟立った。
突如、黒煙が晴れる。
目と鼻の先――そこに佇むソイツが、翼を軽く動かして煙を払ったからだ。
「く……ッ!?」
吹き荒れる熱風。
俺は地面に包丁を突き刺して体を支え、その威力になんとか耐えた。
やがて風が止み、眼前に姿を現したのは――
「やっぱり、てめぇか……!」
声が震える。
その圧倒的な存在感に、圧力に。
――司災獣。
村を焦土に変えた“赤き災厄”が、そこにいた。
「クソッタレが……!」
ゆっくりと、されど確実に近付いてくる巨体。
怖い、怖い、怖い。
でも、
「負けるかぁ!」
震える足に無理矢理言うことを聞かせ、その場に踏み留まる。
逃げる訳にはいかない。
今ここで退いたら、おっさんはどうなる? 店は? イケス、カナエ……アイツらの帰る場所は?
俺の後ろにあるのは、皆の居場所なんだ!
「――待ちやがれ、デカブツ!!」
包丁を構え、竜の前に進み出る。
呼ばれたソイツの瞳が、胡乱げに俺を見た。
『去ネ……』
地の底から響くような声。
「ッ……喋れんのかよ……!?」
その事実に驚いてる暇はなかった。
巨大な影が落ちる。
まるで虫でも踏み潰すかのように、ソイツは一歩を踏み出した。
「この野郎……ッ!」
竜の足が迫る。俺はその場から全速力で退避した。
火の粉が舞い散り、先ほどまで立っていた大地に亀裂が入る。
「――っぶねぇ! 殺す気か……!」
出会って五秒で死にかけた。
やっぱりこいつは、格が違う。
「おっさん、アンタ……こんなのと戦ってたのかよ……?」
思わず呟く。
でも、弱音を吐いてる場合じゃない。
包丁を構え、竜の顔を睨む。おっさんにやられたのだろう、傷付いた瞳が俺を真っ直ぐに捉えた。
『煩ワシイ……貴様ノ如キ小虫ニ用ハナイ……奴ヲ出セ』
「奴、だと?」
「ヴァルド・シーフレア。我ト対スル資格ガアルノハ、奴ダケダ……ソコニ居ルノハ分カッテイル……出テコイ」
あくまでおっさん狙い。俺のことは眼中になし、か。
「ふざけんなよ……!」
心が燃える。
こいつだ。こいつのせいで、おっさんは死にかけてる。こいつのせいで、村は燃えて……こいつのせいで、今も人が死に続けてる。
この惨状……地獄は、全部こいつのせいだ!
「このクソ野郎がッ!! 生憎うちの店長は休憩中だ! 邪魔すんじゃねぇ! おらどうした、かかってこいよ! てめぇの相手なんざ、俺一人で十分だッ!!」
叫ぶと同時に地面を蹴る。
赤熱した大地を駆け抜け、巨竜の足元へ。
振り下ろされる爪を紙一重で躱し、解体スキル【剛刃】を発動――その足に容赦なく包丁を突き立てた。
「――らぁああッ!」
渾身の一撃。だが、弾かれた。
硬い鱗に火花が散る。
『……小虫ガ』
苛ついたような声音。
それでいい。俺を見ろ!
「その虫も潰せねぇのか? そら、こっちだ! 来いよ!」
『貴様……』
挑発しながら、走る。店とは反対の方向へ。
アイツの意識がこっちに向いている内に、少しでもここから遠ざけるんだ。
『――属性魔法(火)Lv2、初級【リボルバーン】。発動』
火球を飛ばして気を引きながら、一定の距離を保って走る。
『逃ガサン』
嫌な予感がして、振り向く。
「――ッ!?」
視界に飛び込んできたのは、まるで隕石のように凄まじい勢いで投擲された――瓦礫の雨。
「マジかよ……!」
冗談みたいな光景に、もはや笑うしかない。
でも、
「うおぉぉおおおおお!!」
諦める訳にはいかねぇ!
触れたら死亡の弾幕ゲーム。全神経を集中させて瓦礫の軌道を予測し、直撃を避ける。
右に左に、前に後ろに。飛んで、走って。
それでも躱せないものは、
『――料理人スキル。解体術Lv1、【斬視】発動』
脆い部分を見極め、叩き切って防いだ。
『存外、ヤル……』
瓦礫の雨を捌き切った俺に、意外そうな声を上げる竜。
「はぁ、はぁ……うっせぇ! 料理人舐めんな……!」
『ホウ……貴様モ、ソウカ……』
値踏みするように言う竜。
周囲の温度が、僅かに上がったような気がした。
『少シ、試シテヤロウ……』
その瞬間、竜の翼が激しく燃え上がった。
眩しいほどの熱。圧倒的な光景に俺は目を見開く。
「なに、する気だ……!?」
答えはシンプルだった。
紅く染まった翼を、竜はそのまま羽ばたかせる。
吹き荒れる熱風。それに乗って無数の火の粉――いや、火球が降りかかる。
「――熱ッ!」
まともに受けたら消し炭だ。
俺は即座に踵を返し、手近な民家に転がり込んだ。
この灼熱の中でも原形を留めている石造りの家。その中でもキッチンなら、多少の防火性能はある筈だ。
とりあえず、これで第一波は防げた。
だが――
『――無駄ダ……』
雷鳴のように轟く声。
直後、とてつもない衝撃に家が震え、屋根が吹き飛んだ。
「んの野郎、尻尾で……ッ!」
でも、大丈夫。
元々ここでやり過ごす気はない。
それに、
「見つけた!」
手を伸ばす。
床に散らばった調理器具。その中から俺が掴んだのは――
「ちょいと借りるぜ!」
鉄製の平鍋――“フライパン”だ。
『……燃エ尽キヨ』
家から飛び出した俺に向けて、再び火球の嵐が降り注ぐ。
「ったく、大した火力だぜ! でもな――」
肩から力を抜き、フライパンを構える。
「――こちとら、炎の扱いには慣れてんだよ!」
飛んで来た火球をフライパンの内面で受け止め、滑らせるようなイメージで。砲弾みたいなその勢いに逆らわず、俺はその場で一回転した。
そして、
「秘技――フライ返し、ってなぁ!」
飛んで来た威力はそのままに、俺は火球を竜の方へと受け流す。
「まだまだぁ!」
一発じゃ終わらない。
タイミングを見切って次々に火球を受け止め、返す。舞うように。返して、返して、返し続ける。
「おらおらおらぁッ!」
料理人にとって、炎は敵じゃねぇ。
共に戦場を駆ける――友だ!
方向転換して竜に衝突した火球は、音を立てながら弾け、その巨体を揺らした。
『小賢シイ……虫メ!』
ダメージはおそらくない。
それでも、癪に障ったのだろう。
また、周囲の温度が上がった気がした。
『滅セヨ……』
竜が炎の翼を広げる。
また同じパターン……?
いや、違う。
力強く動く紅蓮の大翼。それにより大気が乱雑に掻き混ぜられ、その場に渦が形成される。
「嘘だろ……? 竜巻を、作りやがった……!」
それもただの竜巻じゃない。
灼熱を纏い、触れる者全てを燃やして破壊する――炎の渦だ。
「こんなの、どうしろってんだよ……ッ!」
人間が対峙できる規模を軽く超えている。
体が、吸い込まれそうだ。
「クッ……ソ!」
包丁を地面に突き立てて耐える。
でも、このままじゃ動けない。すぐに呑み込まれる。
――どうする?
どうしようもない。こんなの、空でも飛べなきゃ、避けることすら……。
「空……?」
閃く。
突破口……そうだ、知ってる。俺は、見たじゃないか。
俺と同じ料理人が――おっさんが自在に空を駆ける、その姿を。
「アレだ……ッ!」
アレさえできれば、まだなんとかなる。
再現するんだ。
今持てる経験、知識、スキルの全てを使って。
あの炎を。あの煌めきを。
「やれるか……?」
不安はある。
一か八かの賭け。失敗すれば、全てが終わる。
でも、
「やるしかねぇよな!」
火の渦はもう目の前、どうせやらなきゃここで死ぬ。
だったら、覚悟は決まった。
目を閉じ、全神経を集中する。
投影開始。
『――頑張りなさい、シノ!』
カナエの声が聞こえる。
『――頑張って、シノ君!』
イケスの声が聞こえる。
『――頑張れ、シノ!』
おっさんの声が聞こえる。
そして――
『――りょうちゃん!』
優莉の声が聞こえた。
『――固有スキル――』
頼む、皆……俺に力を貸してくれ!
『――【再現】。超動』
全身が、白く燃えた。
次回「二つの境地」
乞うご期待!
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