一章三話[始まりの味]
沈むような感覚があった。浮かぶような感覚があった。
水の中で揺蕩う藻屑の如く、流れ流れて流されて……そして、それが唐突に終わりを迎えた時、俺は目を開いた――
「――眩ッ!! 目がぁ!! 目がぁぁー!!」
容赦ない直射日光。
俺はまるでどっかの大佐のように目を押さえながらのたうち回った。
「ああ、クソ!」
寝起きにこの仕打ちとか、どんな嫌がらせだよあの野郎! 俺になんか恨みでもあるのか!
思わず悪態をつくが、相手がいないのだから仕様がない。
「それにしても……」
と、目を閉じたまま己の状況を確認する。
「愛しい我が家……な訳ないよな」
今寝転がっているこの地面の感触、まるで芝生の上にいるようなこれは、家の中では有り得ない。目を覚ますとそこには見慣れた天井が……なんて淡い期待は見事に打ち砕かれたようだ。
「やっぱ、夢じゃなかったか……」
いやまあ、薄々察してはいたけど。それでも、今までのやりとりが全部が夢でしたー、っていう展開をほんの少しは期待する自分がいた。
「はぁ〜」
深い溜息を吐いて、今度は目を慣らすよう、慎重に少しずつ瞼を開いていく。
「此処は……?」
森の中。そうとしか言えない景色だった。
前後左右、見渡す限りの緑、緑、緑。
辺りはしんと静まり返っていて、ファンタジーにありがちな奇抜な植物も動物の気配もない。少し霧が出ていて見通しが悪いが、それ以外パッと見た感じはよくある普通の森だ。
此処が、本当にアイツの言っていた“異世界”なのか?
今更疑った所で仕方がないとはいえ、やはり信じられない。
信じられないと言えば、この“体”のこともそうだ。
先程から普通に呼吸をして、脈打っているこの体が赤の他人のものだということもまた、信じ難い。
「どれどれ……あーあー、こちら金田凌平。本日は晴天也〜」
喉を震わせる感覚と共に、聞き慣れた己のそれと限りなく近い声が辺りに響く。
「声は、似てるな……」
強いて違いを言うなら、やや幼く聞こえる。もしかしたらこの体の持ち主は、俺よりも若い人間なのかもしれない。
「ま、いいや」
とにかく……体は動く。違和感も殆どない。
生きてる。生きてるんだ!
感謝感激。ありがとう! 流石神様! 恩に着るぜ! 本当、尊敬してます!
思いつく限りの感謝の言葉を述べる。
昔からお調子者と呼ばれる程、気持ちの切り替えが早いのが俺の良い所だ。
ともあれ、
「さて……と」
こんな所で倒れていても始まらない。
そう思い、地面に両手をついて上半身を起こす――
「――痛ッ!?」
途端、激痛。左手に焼けるような鋭い痛みを感じ、俺は思わず動きを止めた。
何事か? 片手で体を支えながら咄嗟に左手を確認する。すると、痛みの原因はすぐに見て取れた。
「なんだよ、これ……」
手首が――裂けている。
切り傷、なんて生易しいものじゃない。皮が、肉が裂け、パックリと口を開けたそこからは、ドクドクと血が流れ、白い骨らしきものが覗いている。酷い有り様だ。それにしては感じる痛みが少し鈍い気もするが……それは俺がこの体に入ったばかりだから、ということだろうか? いずれにせよ、無視できるような傷ではない。
「またかよ、畜生」
寝起きに血を見るのはこれで何度目か。
もはや見慣れてきたとはいえ、気分がいいものでは決してない。
「そういや……」
ここへ来る前、神は言っていた。
――彼もまた、死にかけている。
こういうことだったのか。
納得する気持ちと同時に、当然の疑問も浮かんでくる。
「っ……なんで、こんな……」
この傷はただ事じゃない。
なにが起こればこんなことになるのか?
そう思って辺りを見れば、一つ、目に入るものがあった。
「これは……?」
小さい刃物……果物ナイフだろうか? 地面の上、俺の手元にポツンと転がっていたそれを拾い上げて眺めると、その刃にはベッタリと赤い血が付着していた。
「凶器確定、だな」
やれやれ、こんなのサスペンスドラマでしか見たことがないぞ。勘弁してくれ。
もしかして、何者かに襲われたのだろうか?
確かに、異世界ものだと序盤に盗賊やら獣やらに襲撃されるのがお決まりのパターンではあるが。
しかし、周りには俺以外に人の姿はおろか、生き物の気配すらまるでない。
そもそも、だ。
この体の持ち主はこんな森の中で何をしていたんだ?
野草を採りに……は、道具の類が見当たらないから違う気がする。痩せて筋肉も少なそうな体だ。狩猟でもない。
どっかから連れ去られて来たとか?
その割には、縛られた後も抵抗した様子も見られない。例え撃退に成功していたのだとしても、相手の痕跡が全くないのはおかしいだろう。
とすると、考えられる可能性は――
「――“自分”で……?」
いやいや、まさかな。流石に考え過ぎか。
辺りが富士の樹海みたいな雰囲気だから、妙なことを考えてしまった。
「っと、んなことより……」
このまま血を流し続けているのはまずい。いつだったか、人体の内およそ三割の血液が流れ出すと命に関わるというのをネットで見たことがある。だとすると、既に一、二割は出血していそうなこの状態は危険極まりない。
「まずは、止血しねえと……!」
とは言ったものの、ここは森の中。使えそうなものと言ったら、今着ているこの服くらいか。
ファンタジーでよく見る村人然とした淡い色の質素な服装。麻のような質感のそれの袖に、手に持ったナイフで少し切り込みを入れ、思い切り引っ張って破る。
これでちょうどいい布ができた。見た感じボロボロで、衛生面に若干の不安はある。本当なら消毒するべきだろうが、そんなことも言っていられない。傷口に布を当てて押さえ、口と手を使ってどうにか結ぶ。その上で、腰に巻いてあるベルトを外し、傷口の少し下の部分をギュッと縛ったら止血は完了だ。
昔、包丁でザックリ手を切った時に調べた知識がここで役に立つとは。調理師でよかった!
とはいえ、素人仕事なので安心はできない。一刻も早く人の住む所に行って、適切な治療を受けた方がいいだろう。
「よし」
そうと決まれば、こんな所に長居は無用だ。
早く移動して民家のある場所を探そう。
念の為、ナイフは持っていく。誰かに襲われた可能性もまだゼロではない以上、丸腰でいるのは少々心許ない。
初期装備が血染めのナイフとか……縁起悪過ぎだろ。
流石に見た目がアレなので、刃に付いた血は服の裾で拭き取る。乾いてしまって全ては落とし切れないが、なにもしないよりは錆びの防止になるだろう。後で、水場があったらしっかりと水洗いしよう。
そんなことを考えながら、
「よいしょ……っと」
今度は左手に体重をかけないように気を付けて立ち上がる。
瞬間――
――グラリ。
視界が大きく傾き、地面が揺れる。嵐に襲われた船上にでもいるかのように、グラグラと均衡が保てない。木も草も、目に入る全てがユラユラと揺れて、揺れて――
――ドーン!
背中を強打し、再びお天道様と顔を突き合わせた。
「痛ってぇ〜! なんだってんだ!」
頭がフラフラする。まるで二日酔いだ。
すぐに上体を起こしたものの、足に力が入らない。
なにが起きた? そう思ったが、まあ、考えてみれば当然か。
こんだけ血が出てるんだ。立ちくらみの一つや二つ、起こしてもなんらおかしいことはない。寧ろ、今ので失神しなかったことを僥倖だと思おう。
しかし……これは、思ったよりやばいかもしれない。まさか、歩くこともままならないとは……。
この体、今どうなってるんだ?
知りたい。
そう考えた時だった――
『――料理人スキル。“食材鑑定Lv1”、自己発動』
突如として頭に浮かんだそんな文言。それを認識するや否や、目の前の景色に異質なものが混じる。
個体名:シノ・シルヴァーン
年齢:17
性別:男
職業:料理人
可食適性:✕
そんな情報が宙に浮かんで見える。
それが上下左右、どこに目を向けても構わず視界に追従してくるのは、なんとも不思議な感覚であると同時に、なんだか飛蚊症のようで少し気持ち悪くもあった。
しかし、初めて体験したという気は全くしない。
寧ろ、その光景は俺にとって、とても馴染みの深いものだった。
「なんか……VRゲームみたいだな」
率直な感想を述べる。
ちょっと前に親友の家で体験したそれを思い出した。あの時、ゴーグルを通して見たキャラクターのステータス画面。この光景はそれにそっくりだ。
「“シノ”……か」
当然の事ながら、俺自身の名前ではない。
歳も若いし……やっぱり他人の体なんだな。改めてそう感じた瞬間だった。
唯一変わらないのは職業くらいか。事前に分かっていたこととはいえ、まさか異世界に来てまで料理人をやることになるとは。染み付いた経験というのはなかなか落ちないもんだ。
で、その下の可食適性ってのは、要するに食えるか食えないかだろうな。まあ、当然✕か。自分……というか人間を食おうとは思えないし。もしも〇だったらどうしようかと思った。
とにかく、スキルとかってのはまだよく分からないけど、“食材鑑定”……こいつは便利そうだ。なにか食べれそうな物を見つけたらどんどん使ってみよう。
「……って、呑気に見てる場合じゃねえな」
今知りたいのはそこじゃない。
そう思いながら改めて情報を確認すると……あった!
名前の上に表示された、二本の棒グラフのような、それ。アクションゲーム等でよく見るそのバー表示。
これこそ、俺の求めていたものだろう。
「こっちがMP……か?」
まだ魔法の存在は確認できていない。だが二本のゲージの内、下の方に青で表示されているのがMP。言わば魔力的なものだと仮定する。その認識でいくなら、その上にあるゲージがHP。つまり生命力を意味していると見るのが妥当だろう。完全に推測でしかない上、ゲーム的な考え方だが、あながち間違ってはいない筈だ。
まさかこんな所でゲーム知識が生きてくるとは……なんでもやっておくもんだな。
ともあれ、それを踏まえて確認してみよう。
さ〜て、気になる俺のHPは――
――“瀕死”。
「……って、死ぬじゃん! 虫の息じゃん!」
俺のHPを表すであろうグラフの状態は、それはもう見事な赤点滅具合だった。
これは酷い。
こっちはもうちょっと目に優しい感じの色の表示を期待してたんだが!?
これ、一割も残ってないんじゃないか? 確かに死にかけとは聞いてたけど、流石にあんまりだろ!
開始直後にデッドラインとか、もしこれがゲームだったらクソゲー確定だぞ! 運営に直訴してやる!
「…………」
ちょっと待って。
一旦落ち着いて、今の状況を整理してみよう。
此処は人気の無い森のど真ん中。手持ちは小さな果物ナイフ一本だけ。左手は重傷。フラフラな体に、躓くだけでなくなりそうな僅かなHP……と。
「あれ?」
ひょっとして俺、今かなり危機的状況なんじゃ?
こんな時になにか凶暴なやつと遭遇でもしたら……考えるだけで恐ろしい。
この森、猪とか熊とかいないだろうな?
嫌な想像が頭をよぎった、その時だ――
――ガサッ。
背後から響く音。反射的にそこへと目を向ける。
一瞬、茂みが揺れた……ように見えた。
「いや、気のせいだ気のせい!」
臆病風に吹かれてちょっと敏感になってるだけだな、きっと。そんなタイミング良くなにかいたりしないって、大丈夫大丈夫! 落ち着け俺。実際ほら、こうして待ってたってなにも出な――
――ガサガサッ!
ですよねー、知ってた。絶対なんかいるわこれ。フラグ回収お疲れさん!
「クソッタレ!」
思わず悪態を吐きながら、鉛のように重たい体に鞭打って俺は立ち上がる。まだ体はフラつくが、気合いでどうにか踏みとどまった。
ナイフを突き出すような形で構え、じっと様子を伺う。
ガサガサ、ガサガサ。激しく揺れる茂み。音の主は何故か真っ直ぐこっちに向かって来ているようだ。
兎かなにか……だよな? うん、きっとそうだ。そうに違いない。頼むからそうであってくれ!
ガサガサ、ガサガサ。近付く音と気配。
鬼が出るか蛇が出るか、そんな緊張感が場を支配する。
そして――
――ピョーン!
満を持して飛び出して来たのは、兎ではなかった。
猪や、熊でもなく、なんなら動物ですらない。
「おいおいおいおい、こいつは――」
それは、まさしく――
『――料理人スキル。食材鑑定Lv1、発動』
個体名:リーフスライム
生態:成体
性別:無
種族:スライム
可食適性:〇
まさか食べれるとは……というのはさておき。
表示された文字列に「やっぱり」と思う。
それは、所謂“スライム”という生物(?)だった。
大きさは人の頭程度。まるで緑色のゼリーのようにぷるんとした丸いボディの中心には、なにやら核らしき球体が浮かんで見える。目鼻口がなく、まさに単細胞生物といったその体貌には、どこかの漫画家が描いたような愛らしさは欠片もない。そんな、奥の景色が見える程に透明感のあるそいつが、どういう原理か絶え間なくウニョウニョと動いて近付いてくる様は、どこかナメクジのようにも見えて、正直ちょっとキモイ。
「ま、これも定番っちゃ定番か……」
序盤のチュートリアルとしてはありがちな相手ではある。
実際、スライムの体表はとても柔らかそうで、襲われたとしてもそれほどダメージがあるようには見えない。
応戦すれば倒せそう……だけど、今の俺のHPは誰もが認めるデンジャラスゾーン。油断は禁物だ。
いくらスライムと言えど、攻撃を食らったら致命傷になると思った方がいい。
「冗談じゃねえ!」
異世界来て早々に死亡とか洒落にならねぇぞ!
そう考えてから、逃げるという結論に至るまでそう時間はかからなかった。
どこでもいい。とにかく、ここから離れるんだ!
体は依然として碌に動かないが、幸いスライムの方も動きは鈍そうだ。
これなら、無事にやり過ごせるか?
「大丈夫、きっと悪いスライムじゃない」
そう呟いた瞬間、スライムの挙動が変わる。突然こちらに近寄るのを停止。そうかと思うと、その場で体をプクリと膨張させ――
――ビュン!
「うおぉっ!?」
跳ねたー! ってか、跳躍力半端ねぇ!
雑魚とは思えないような勢いで飛び掛かって来たスライムを間一髪で横に避けながら、俺は思った。
前言撤回、どう見ても悪いスライムです。本当にありがとうございました!
いくら液体のようだとはいえ、あんな殺意に満ちた勢いで衝突されれば金属バットで殴られたのとそう変わらない。今の体力でそんなのを喰らったら、致命傷どころか確実に昇天するだろう。
恐ろし過ぎる。こいつは、見た目以上に危険な生物なのかもしれない。
「どうする……?」
とりあえず、物音を立てないように様子を伺う。
こちらを探すように這いずるスライム。その通過点にあった野草がドロドロに溶かされて体内に吸収されていくのを、俺は見逃さなかった。
俺も、お陀仏になった暁にはあの草と同じ末路……か。
「そんなの、絶対に御免だ!」
その声を察知したのかどうか、スライムの動きが止まる。
しまった!
こちらに狙いを定めたように体を膨張させ、跳躍。スライムは再び容赦のない勢いで飛び掛かって来た。
「うわぁ!」
無我夢中、咄嗟にナイフを突き出す。
そこへ示し合わせたように突っ込んで来るスライム。ニュルリと、気色の悪い感触が腕を包み込んだ。
やばい、喰われる!
そう思った瞬間――
――バシャッ!
と、まるで水風船が破裂したかのような音を立てて、スライムの体は四散した。
「え?」
一瞬の出来事に呆気に取られる俺。
だが、なにが起こったかはすぐに分かった。
どうやら、ナイフの先端が運良くスライムの核に突き刺さったらしい。護身用の武器が早速役に立った。
「死んでる……よな?」
未だウネウネと動いている破片もあって判断が難しいが、どちらにせよ、この有り様ではもうなにも出来ないだろう。ひとまず、危機は去った。
「助かった……」
大して動いた訳ではないのに、凄まじく息が上がっている。
スライムの破片をまともに受けて全身ベトベトだ。なんなら少し口に入った気もする。気持ち悪い。目を咄嗟に閉じることが出来たのがせめてもの救いか。
「うぇ〜」
頬を拭うと、粘性のある液体と共に、スライムの欠片が手に付着した。生命活動を停止したからか、こうして触れていても溶かされる心配はなさそうだ。ならば、と握ってみる。プルプルしていて、なんというか、本当にゼリーみたいだ。
そう思って眺めていると、
「ゴクリ……」
どういう訳か、無性に腹が減ってきた。
グゥ、と思い出したように腹の虫が鳴き始め、涎が次々に分泌される。
なんでもいい。なんでもいいから腹に入れたい。
そんな、まるで数日間食事を抜いたかのような飢餓感に襲われ、俺は思わず辺りを見渡す――
『――料理人スキル。食材鑑定Lv1、発動』
アイテム名:ヒグサ
種別:植物
可食適性:✕
アイテム名:コグサ
種別:植物
可食適性:✕
アイテム名:ドクソウ
種別:植物
可食適性:✕
スキルのレベル故か、至極単純な情報しか載っていないが、知りたいことははっきりと見て取れる。
「駄目だ……」
あっちを見ても、こっちを見ても、どこを見ても雑草だらけ。目に入る範囲に食べれそうな物はなにもなかった。
「……いや」
一応、一つだけ。あるにはある。
「……これ、食えっかな?」
そう呟きながら俺が見たのは、手に握った“スライムの肉片”だ。
自分でもなにを考えているのか分からない。腹が減り過ぎていよいよ頭がおかしくなったか?
でも、俺の記憶が確かならこいつは――
『――料理人スキル。食材鑑定Lv1、発動』
アイテム名:スライムジェル(緑)
種別:素材
可食適性:〇
よし来た! 可食、〇だ。
いつの間にやら使いこなせるようになってきたスキルの鑑定結果に、俺は満足する。
「いや、でも……」
マジで、これ食うのか?
いくら腹が減っているとはいえ、こんな得体の知れない物を口に入れて大丈夫だろうか?
スキルの結果も、本当に信用していいか分からない。
「毒とかないよなこれ……?」
それも含めての可食適性なのかもしれないが、万が一ということもある。
これで毒に侵されて死亡。なんてのも馬鹿げた話だ。
なら食べないのか?
それはそれで、一つの懸念がある。
もし……もしもだ。どこぞのゲームみたいに、空腹の状態が継続することでHPが減るとしたら……
「ええい!」
背に腹は変えられん! もしかしたら逆にHPを回復出来るかもしれないし……一か八かだ!
覚悟を決めて、一思いにそれを口に含んだ。
ヌルリとした舌触りに、ゼリーよりも若干硬めの、蒟蒻にも似た歯応え。そして、
「苦っ!」
ツンと来る青臭さ。まるでピーマンを生で齧ったような強烈な苦味が口いっぱいに広がる。はっきり言って不味い。
これ以上味わわないよう、咀嚼も程々にゴクリと飲み込む。
「あー、酷い味だった……」
後味までしっかりと苦みが残っている。これは、しばらく消えてくれなさそうだ。
もう二度と食べたくない。素直にそう思った。
だけど、これはなんだか効きそうな気がするぞ!
良薬口に苦しという言葉もあるくらいだ。
実際ほら、じわじわとエネルギー的なものが漲ってきた……ような感じがする。
来てる……来てるぞ!
もしかしたら、これで少しはHPを回復出来たかもしれない。
そう思った瞬間、再び脳内に文章が浮かぶ――
『――アイテム、スライムゲル(緑)使用。回復効果』
おお! やった……
『……“MP”小回復』
って、そっちかーい!!
「ふざけんな畜生!」
あんなクソ不味い物を頑張って食べた結果がこれだ。
少しだけ空腹感が治まったとはいえ、なんともやりきれない。
「はぁ……ま、しゃあないか」
気を取り直して、民家を探しに行こう。
そう思って歩き出した矢先――
――ガサガサッ!
激しく揺れる茂み。
「またかよ……」
いい加減にしてくれと思う。
「はいはい、どうせまたスライムだろ?」
しかし一度倒した相手だからか、先程に比べて危機感は薄い。
もう弱点も分かってんだ。今更一匹や二匹飛び出してきたところで、どうということはない。またナイフの錆にしてやるぜ!
意気込んで待ち構える。
なにを目印にしているのか、やはり真っ直ぐこちらに向かってくる音と気配。
そして――
「――いいぜ! かかってこ……い?」
絶句する。
飛び出してきたのは、予想通りスライムだった。確かに、スライムだったが――
――ピョーン! ピョーン! ピョーン!
出るわ出るわ。あっちから、こっちから。四方八方、あらゆる方向から次々に飛び出して来るスライム達。その数……一、二、三、四……六……十……
「……いや、多っ!」
ちょっと待て! 聞いてないぞ!
よく見りゃ緑に混じってなんか小さくて青いのもいるし、どんだけ集まってんだ! 大家族か!
「おいおいおいおい、嘘だろ……?」
見る見る内に視界を埋め尽くすスライム達。駄目だ……完全に取り囲まれている。
「絶体絶命の景色……略して絶景、ってか?」
乾いた笑いがこぼれる。
逃げ場はなし。だからといってナイフ一本でこの数を相手にするはいくらなんでも不可能だ。
「なにか、ないか……なにか!」
なんでもいい。この状況を打開出来るなら、なんでもする。
俺は必死に辺りを見渡し、頭を巡らせた。
しかし焦燥感からか、なにも浮かばない。
そんなこちらの焦りを知ってか知らずか、無情にもズルズルと距離を詰めてくるスライムの群れ。
嗚呼……このまま、さっきの野草みたいにドロドロに溶かされていくのだろうか?
「クソッ……クソッ!」
嫌だ、嫌だ、嫌だ!
死にたくない!
まだ来たばっかりだってのに……なにも始まってないってのに……こんな所で死んでたまるか!
「うあああッ!!」
叫び、走る。考えなどない。ただ感情のままに、その場から逃げようとして、足が動いた。
その動きに反応して、スライム達が一斉に飛び掛かって来る――
――もう駄目だ!
恐怖と諦観。俺は咄嗟に身を丸め、頭を抱え込んだ。
「ごめん、優莉……」
俺、死んじまった。
「早い、ゲームオーバーだったな……」
そうしてスライム達はあっという間に俺の体を包み込み、貪るようにその存在の全てを跡形もなく溶かし……て?
「…………あれ?」
来ない。
なにも、起こらない。
いつまで経っても、どれだけ待っても、覚悟していた衝撃や苦痛が訪れないことに疑問を持ち、俺は恐る恐る顔を上げた。
「え?」
嘘のような静寂と、何故か辺りに飛び散っているスライムの残骸。嘘みたいな光景のその中心には、これまた嘘みたいに眩い輝きを放っているお天道様が、出刃包丁を持って佇んでいた。
次回「飴と鞭と太陽」
乞うご期待!