一章三十八話[炎を継ぐ者]
「お、おっさん……? なあ、おい……!」
体を揺さぶり呼びかける。
返事はない。
焼け爛れ、血の気が引いたその顔からは、まるで生気が感じられなかった。
「嘘、だろ……? こんな……こんな……っ」
震える声。絶望感が、一気に押し寄せてきた。
「ばか……馬っ鹿野郎ォ……!」
感情に任せて、おっさん大きな身体を抱き上げた。
その時――
「――ッ!」
ハッとなる。
咄嗟におっさんの胸に耳を当てた。
聞こえる!
途切れ途切れの、浅い呼吸。弱々しい鼓動。
「……生きてる!」
虫の息。でも確かに、まだ命はそこにある。
胸の奥が、燃えるように熱くなった。
「とはいえ……」
状況は、最悪だ。
外から店の壁を叩く音がひっきりなしに響いている。
ワイバーンだ。
窓から見える数は………三体。
アイツら……建物の周りを囲んで、俺達を逃さないつもりか?
「クソ……!」
どうする?
ここで籠城したって、先はない。
ワイバーン達がその気になれば、店の壁なんか簡単に突き破られるだろう。
おっさんだって、命があるとはいえ酷い有り様だ。全身火傷に出血多量。一刻も早く治療しないと……多分、長くは持たない。でも、入り口は塞がって脱出不可。
「せめて、薬かなにかあれば……!」
店の中を見渡す。
散乱した食器類。客席は大荒れ模様だ。
奥の厨房は無傷。カウンターがいい盾になったらしい。
「……待てよ――」
ふと、脳裏に閃光が走った。
「――そうだ、“料理”だ……!」
体力……つまりHPを回復させるのは、なにも薬だけじゃない。この世界に限っては、食べた物が命を救うことだってある。それは、俺が身をもって実感した。
「へっ……今度は逆だな」
おっさんとの出会い。あの時、森の中で食わされた薬草の味は、今でも忘れない。
「よし! ちょっと待ってろよ、おっさん!」
俺は立ち上がり、厨房へと駆け込む。
外から聞こえる打撃音が激しくなってきた。
時間はない。
「なにか……ないか……なにか!」
少しでいい。命を繋げる食材を。
俺は必死に棚を漁った。
焼豚用の塩漬け肉、色とりどりの野菜、各種調味料……そして――
「――こいつは……!」
視線が止まる。
『――料理人スキル。食材鑑定Lv3、発動』
アイテム名:暴君ペッパーの粉末
種別:素材
可食適性:〇
毒性:極小
食材ランク:B
「暴君ペッパー……!」
これは使える。
瓶に詰められた真っ赤な粉末を見て、俺はとある料理を閃いた。
「材料は……」
あるか?
いや、ない筈がない。おっさんの得意料理。店の定番メニューでもあるんだから。
「よし……!」
やってやる、調理開始だ!
棚から肉と野菜、各種調味料を取って作業台に向かう俺。
包丁を素早く振って食材を均等な大きさに切り分け、鉄鍋を焜炉にセットする。
「あの時は、キバニーを使ってたっけ……」
頭にイメージするのは、この世界に来て初めて食べた料理。
レシピは……知らない。記憶だけが頼りだ。
それでも、やるしかない。
火を熾し、鍋に油を投入する。
「……絶対に死なせねぇ! アンタは……俺が生かす!」
思い出せ。あの味を、あの食感を、あの香りを。
頼む……俺に、あの料理を作らせてくれ!
切実な、その願いに応えるかのように――
『――スキル覚醒。固有スキル――【再現】。発動』
目に飛び込んだ文字列。
それを確認したと同時に、俺の脳裏に、情報の波が押し寄せる。
「こ、これは……ッ!?」
レシピだ。
作りたい料理――その材料、調味料の分量や比率。加熱時間、必要な道具まで。
まるで元から知っていたかのようにあらゆる情報が頭に浮かび、俺は眉間を押さえた。
「【再現】……?」
固有スキルだって?
そんなこと、いきなり言われてもなにがなんだか分からない。
分からないけど……これで、料理がし易くなったというのは事実。
「……それなら、よし!」
細かいことを考えている余裕はない。使えるものは、なんでも使ってやる。
頭に流れ込んできた情報に従って、俺は手を動かした。
まずは野菜。
さっと、油で照りが出るまで炒めたら、いったん別皿に移す。
次は肉を鍋へ。色が変わるまで炒めたら、香味野菜を加えて臭み消しと香り付け。
そうしたら、後は味付けだ。
まず使うのは、この赤い……まるで豆板醤みたいな調味料と、暴君ペッパー。
それを肉全体に馴染ませるように炒めていく。
刺激的な香りが鍋から立ち昇る。
これだけでも十分美味そうだが、まだ終わりじゃない。
「甜麺醤の代わりは……これか」
黒い味噌のような調味料。これもまた全体に馴染ませるように炒める。
続けて酒、醤油っぽいソース、砂糖を、頭の中のレシピに従って適量加えたら、
「今だ!」
休ませていた野菜を再度投入。
たれが全体的に絡まったら火を止め、具材を皿に盛り付ける。
「――仕上げだ!」
最後、暴君ペッパーの粉末を小さじで取り、振りかけたら――完成だ!
『――料理人スキル。食材鑑定Lv3、発動』
アイテム名:火山炒め(辛)
種別:料理
可食適性:〇
毒性:無
調味ランク:A
念の為、一口味見をしてみる。
「……ッ!」
完璧だ。
この辛さ、コク、甘み。肉と野菜のパリパリ食感。どれをとっても、あの時食べた火山炒めと殆ど変わらない。
それに――
『――回復効果。HP小回復』
『――一時的増強。炎耐性、小向上』
よかった。俺が作った料理でも、体力は回復できるらしい。
となれば、善は急げ。
俺は皿を片手にすぐさまおっさんのもとへ駆け寄った。
「おっさん……飯だ! 食え! 頼む……!」
浅い息を繰り返すおっさんの口元に、匙で掬った料理を近付ける。
すると、かすかに動いた唇が、料理を受け入れるように開いた。
「そうだ……! 噛んで、飲み込め……!」
意識もはっきりしていない状態で、それでもおっさんはゆっくりと口を動かす。そして、飲み込んだ瞬間、
「……辛え……」
その一言に、涙が出そうになった。
「……おっさん……!」
ほんの少しだけ、顔に赤みが戻ってきている。
峠は越えた。
なんとなく、そう感じた。
「てめえ……怪我人に、なんてもん、食わせやがる……」
「はは、悪ぃ。でも……効いたろ?」
「……ああ、効いたぜ」
そう言うと、おっさんは荒い息を吐きながら身体を起こそうとする。
「お、おい! まだ寝てろって!」
多少回復したとはいえ、たった今死にかけていた体だ。動いて平気な訳がない。
「馬鹿、野郎……外の……聞こえてんだろ?」
壁を叩き割るような鈍い音。それは、いよいよ激しさを増していた。
「ワイバーン……囲まれてんな……」
「分かってる。でも、おっさん……アンタは動くな」
「……あ? じゃあ、どうすんだ……?」
その答えは、もう決まってる。
「俺が、やるよ」
迷いはない。決意を込めた目で、俺はおっさんを見た。
「なっ……馬鹿言え……! てめえ、相手はワイバーンだぞ……!? 並の人間がどうこうできる相手じゃ……」
「なんだよ、まだ疑ってんのかおっさん? 俺のこと」
「どういう意味だ……?」
その問いに対する答えも、もう決まってる。
「並の人間だって? 違うぜおっさん! 何度も言ってんだろ? 俺は――」
アンタと同じ。
「――料理人だ!」
その言葉に、おっさんは目を見開いた。
「……だから、後は任せろ! アンタはゆっくり飯でも食ってりゃいい。あんな蜥蜴野郎、ちょちょいと捌いてきてやるからよ!」
返事は聞かない。
おっさんに背を向け、俺は立ち上がった。
「……待て! シノ! 待ちやがれ!」
制止の声を振り切るように、一歩を踏み出す。
「待てって言ってんだろうがッ!」
必死な声。肩を掴まれ、俺は立ち止まった。
「おいおい、過保護か? 大丈夫だって。ワイバーンならさっきも……」
「ちげえよ! そうじゃねえ!」
「は? だったら、なんの――」
「――ほらよ」
おっさんから差し出されたそれを見て、俺は言葉を失った。
「貸してやる……大事なもんだ。丁寧に使えよ?」
そんな言葉と共に渡されたのは――
『――料理人スキル。食材鑑定Lv3、発動』
アイテム名:解体包丁【大炎海】
種別:厨具(包丁)
可食適性:✕
毒性:無
厨具ランク:S
まるで鉄の塊のような、それ。
おっさんが意識を失っても尚、その手に持っていた相棒が今、俺の手の中にある。
重い。
とても、重たかった。
「い、いいのかよ? こんなの、俺なんかが持ってったって……」
「使えねえって? はんっ! なあに情けねえこと言ってやがる!」
弱気になる俺を、おっさんは盛大に笑い飛ばした。
「てめえ、料理人なんだろ? だったら……大丈夫だ! 使える! 使えねえ訳がねえ! どんな形だろうが、そいつは包丁なんだからな!」
胸の奥が、熱くなる。
おっさんの笑顔に、背中を押されたような気がした。
「……へへっ、そうだな! ありがとう、おっさん……ちょっとだけ、借りてくぜ!」
「おう! 行って来い!」
しっかりと握り直し、担ぐ。
解体包丁【大炎海】――託された想いを背負って。
***ヴァルド視点***
去っていく背中を、ただ見ていた。
アイツが向かう先は、地獄だ。
絶望的な状況、下手をすれば、命を失うかもしれない。
それでも、そこに恐れは見えなかった。
いつから、あんなに頼もしくなったんだろうか?
巨大な包丁を担ぎ、悠然と歩くその姿は、まるで――
「やっぱ、てめえの息子だぜ……なあ、シバよお?」
目の前にいる少年に、親友の影が重なって見えた。
普通に考えたら、無謀。
食物連鎖の上位にいる竜種に、能無しが一人で立ち向かうなんて、正気の沙汰じゃない。
だが、
「シノ、てめえは……」
違う。
そうだよな?
ずっと、見れなかった。
アイツが生まれた日――アイツを能無しにしたのは、他でもない、俺だったから。
あの時、鑑定で見えた事実。俺が黙ってりゃ、アイツは…………ずっとそう思って、今日まで目を逸らしてきた。
でも、今なら……きっと。
『――料理人スキル。食材鑑定Lv6、発動』
久しぶりに見た文字列。
それが教えてくれた事実に、俺は思わず笑ってしまった。
「……へっ! ほんと、大馬鹿野郎だな、俺は」
体は、まだ動かねえ。痛みも酷え。
でも、大丈夫だと、そう思えた。
なぜなら――
「――シノ。後は……任せたぜ」
その料理人の背中に、全てを託した。
次回「焦土に舞う」
乞うご期待!
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